クロード・モネは、鮮やかな色彩で輝かしい世界を作り上げた画家です。それらは印象派と呼ばれ絵画の新しい扉を開きました。
しかし「カササギ」は一面白の世界。なぜなのでしょうか?
クロード・モネ「カササギ」
当時のモネの言葉が残されています。
僕は田舎で暮らしている。ここは実に美しく、そしておそらく夏よりも冬の方がずっと気持ちがいいと思う。
(クロード・モネ)
うまくいかない日々
1859年、モネは本格的な絵の勉強をするためパリにやってきました。そこでルノワールやピサロ、シスレー、バジールといった画家たちと出会い、新しい絵画を追求していきました。
光が色彩に及ぼす様々な効果を表現しようと、明るい色を多用して緻密に描いていきました。しかし、それらは当時主流であったアカデミックなサロンでは全く受け入れられませんでした。
支えとなったのは恋人のカミーユでした。モネが26歳の時、2人の間には息子ジャン・モネも生まれました。
ところが、モネの両親は2人の結婚を決して認めませんでした。一緒に暮らすことすら許されない切ない日々の中で、モネは友人バジールに手紙を送っています。
絵はうまくいかずもはや栄光には見放された。そのうえ相変わらずの金欠だ。落ち込み恥をさらし希望が生まれたかと思うとまた落ち込む。そんな毎日なんだ。
(クロード・モネの手紙)
まさに人生のどん底。転機となったのはエトルタでした。
転機
1868年11月、パトロンのわずかな援助もあってモネは妻と息子の3人でエトルタに滞在することになりました。
僕はここで僕が愛するすべてに取り囲まれています。夕方小さな家に帰るとくつろげる小さな家族が待っています。僕は今、苦労から解放され平安な時を過ごしています。できればこのように静かな自然の片隅にもう少し留まりたいものです。
(モネがバジールに送った手紙)
「カササギ」を描いた5年後、モネは「印象、日の出」を発表しパリを騒然とさせました。そして一瞬の美しさの先にあるうつろいを描くことに挑戦していくのです。
「美の巨人たち」
クロード・モネの「かささぎ」
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