ジョン・エヴァレット・ミレイ作「オフィーリア」は、縦76.2cm、横111.8cmの油彩画です。
静かな森の中、川に浮かぶ美しい女性が描かれています。ハムレットに欺かれ、悲しみのあまり正気を失ったオフィーリア。さまよい歩くうちに誤って川に落ち死を迎えようとしています。目はうつろに、かろうじて浮かぶ手に力はありません。
見事なのは緻密な自然の描写です。むせかえるような自然の中、流されていくオフィーリア。生と死のはざまで彼女が身をまかせているのは絶望なのか恍惚なのか…
イギリス画壇の革命児
ジョン・エヴァレット・ミレイは1829年、イギリス南部の街サウサンプトンに生まれました。幼い頃から神童とたたえられました。
ロイヤルアカデミーの学生となったのは11歳。史上最年少での入学でした。そんな神童の目にアカデミーの教育は旧態依然としたものとしかうつりませんでした。
19歳のミレイが描いた「イザベラ」は実質的なデビュー作です。テーブルの足には「PRB」のサインが描かれています。
ラファエル前派兄弟団
1848年、ラファエル前派兄弟団(Pre-Raphaelite Brotherhood)が産声をあげました。PRBはその頭文字です。結成メンバーは3人の学生でした。ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ、ウィリアム・ホルマン・ハント、そしてジョン・エヴァレット・ミレイです。
当時のイギリスには嫣然たる美の基準がありました。ルネサンスの巨人ラファエル・サンティです。理想化された人体、落ち着いた色彩、これこそが目指すべき理想の絵画でした。しかし、若者たちはラファエルを絶対視するあまり美術界が硬直していると感じていました。
この高らかな宣言こそ、ミレイが20歳の時に描いた「両親の家のキリスト」です。
中央には幼いイエスと母マリア。ラファエル前派の画家たちは、風景でも人物でも小道具でさえ全て実物を前にして描きました。
ところが、この作品は発表されるや轟々たる非難を巻き起こしました。理想化されていない聖家族は冒涜としかうつらかなったのです。中でも辛辣だったのは小説家のチャールズ・ディケンズです。
醜悪で首の曲がった泣き顔で赤毛の少年。その女のなんと醜いことか。
「ハウスホールド・ワーズ」の寄稿より
神童ミレイの初めての挫折でした。その屈辱をバネに、翌年「オフィーリア」を発表することになりました。
どこで描かれたのか?
1851年、オールドモールデンを流れるホグスミル川でミレイは「オフィーリア」を描きました。しかし、川のどこで描いたのかは近年まで特定されていませんでした。
ホグスミル川にほど近い教会セント・ジョン・ザ・パプティスト教会のチェックウィンド・ステープルトン牧師が詳細な記録を残していました。そこには、ミレイが「オフィーリア」という絵を描きに訪れたことが記され、描いた場所も特定されていたのです。
「教会に最も近い橋から上流に100ヤード(約91m)遡った場所」
橋は現在も同じ場所にあります。
自然を忠実に描こうとしたミレイにとって、そこはうってつけの場所でした。時に1日10時間以上も緑と川と向き合いました。植物の1つ1つを精緻に描くことで、ドレスを着て川を流される女性という非日常な光景をより際立たせました。
悲劇のヒロイン「オフィーリア」とは
オフィーリアの悲劇の物語は、多くの画家を惹きつけました。しかし、描かれたのは彷徨う場面や、水中に没し息絶える場面がほとんど。
しかし、ミレイが描いたのは生と死のはざまで流れゆくオフィーリアです。
モデルはエリザベス・シダル
ミレイが人物の部分だけが空白のキャンバスをもってロンドンに帰ってきたのは1852年1月。ミレイはバスタブに水をはり、その中にモデルを沈めました。モデルをつとめたのはエリザベス・シダル。ミレイが抱くオフィーリアのイメージそのものでした。
シダルはラファエル前派の画家たちにとってのミューズでした。多くの絵でモデルをつとめ、やがてロセッティと結婚しました。
ミレイは彼女が風邪をひかないようにと、バスタブの下でランプをともしていました。しかし、あるとき作業に没頭するあまりランプが消えたことに気づきませんでした。それでもシダルはじっと凍てついた水に浸かり続けたと言います。
示唆と暗喩
周りの植物や花はただ描かれているわけではありません。パンジーの花言葉は「叶わぬ愛」、バラは「若さ・美貌」、ケシは「死」、スミレは「純潔」、ワスレナグサは「私を忘れないで」、それぞれに悲劇を示唆する意味を持たせたのです。さらに「オフィーリア」には最大の暗喩が。
悲劇のヒロイン
ウィリアム・シェイクスピアは戯曲「ハムレット」の中でオフィーリアの最期をこう描写しています。
人魚のように川面をただよいながら古い讃美歌を口ずさんでいたといいます。身に迫る危険も知らぬげに。
「ハムレット」第4幕 第7場
悲しく響く讃美歌。その歌にこたえる存在が絵の中に描かれています。
コマドリ
コマドリは美しい歌声で知られる鳥です。この鳥とオフィーリアを呼応させることで絵の中の歌を強調しているのです。ミレイは絵の中に歌を響かせることで彼女を安らかに送りたかったのでしょう。絶望による死ではなく、苦痛からの解放を。
シダルの悲しい結末
モデルをつとめたエリザベス・シダルもまた悲劇の死をむかえました。ロセッティとの不和に精神をむしばまれ、アヘンの過剰摂取により短い命を散らしたのです。
「美の巨人たち」
ジョン・エヴァレット・ミレイの「オフィーリア」
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