タイタニック 新たな真実 沈没事故の原因は?|ドキュランドへ ようこそ!

1912年、イギリスの豪華客船タイタニックが完成しました。世界一の巨大客船であることはもとより、世界最大の建造物でした。全長270メートル、3000人以上も乗船することができました。

ジャーナリストのセナン・モロニーは、30年に渡ってタイタニック号の沈没事故を調べています。

氷山に衝突してから2時間、その時点では翌日まで浮力を保っていられると思われました。しかし、何の前触れもなく海に沈んでしまったのです。致命的なことが起きたのだとすれば、それは一体何だったのでしょうか?答えは船と共に海に沈んでしまいました。

新たに見つかった写真

ところが、100年以上屋根裏部屋で眠っていた写真が見つかりました。アルバムにはタイタニックの短い生涯の記録が残されていました。

写真には船体に黒いシミのようなものが写っていました。黒い跡は何を意味しているのでしょう?

セナン・モロニーは、一部の研究者にしか知られていないある事実を思い出しました。船で火災が起きていたのです。

火災が起きていた!?

火災は第6ボイラー室の石炭倉庫で発生。そのボイラー室は黒い跡のすぐ裏側にありました。この火災については1912年の事故調査査問委員会で取り上げられましたが、沈没事故と直接の関係はなかったと結論づけられました。

火災のことは以前から知っていましたが、沈没とは関係がないというのが定説でした。たいした火災ではないと言われていたからです。研究者たちも重視してはいませんでした。(セナン・モロニー)

ボイラー作業員の証言

新たな証拠を手にしたモロニーは、乗船していた目撃者の証言を調べ始めました。目を引いたのは沈没事故の数日後にニューヨークの新聞に掲載された記事でした。ボイラー作業員ジョン・ディリーの証言です。

ジョン・ディリーは、タイタニックの大きなボイラーに石炭を供給するチームの一員でした。彼は船内の巨大な石炭倉庫で起きた深刻な火災について語っています。火災はタイタニックがベルファストの造船所を離れたその日に発見されました。

石炭倉庫で火災が発生した場合、火が広がる前に燃えている石炭を取り出すというのがここのマニュアルでした。当時、最大の客船だったタイタニックの石炭倉庫はデッキ3層分の高さがありました。

ディリーは11人の作業員とともに消火にあたったと言っています。それだけの人数で対応したにも関わらず簡単には火を消し止められなかったとしたら非常に大きな火災だったと考えられます。ディリーはこのように記者に語っています。(セナン・モロニー)

「そこには何百トンもの石炭があって我々はまったく無力でした」

4日が経過、火災はますますひどくなりました。

鎮火できないまま乗客を乗せて出航した

1912年4月10日、タイタニックはサウサンプトンから出港しました。上層デッキには大富豪のための一等船室があり、下層デッキには三等船客が乗船していました。しかし、船内で起きている火災については誰にも知らされず、乗組員には箝口令がしかれていました。

新たに発見された写真に写っていた不可解な黒い跡。タイタニックの船内で起きていた火災は、沈没事故にこれまで考えられていたより深刻な影響を与えたのかもしれません。

石炭火災

ギエルモ・レイン博士は、石炭火災の研究者です。レイン博士は自然発火した石炭が発見されるまでにかなり長い間燃えていた可能性が高いと指摘します。

石炭火災が怖いのは、発火のきっかけとなるものがなくても自然に燃え始めることです。自己発熱と呼ばれます。大量の石炭があれば発火する可能性があります。石炭の中心部の温度がゆっくりと上昇し、その範囲が徐々に広がっていく。数週間かけてゆっくりと。巨大な石炭倉庫がくすぶっていることに気づいた時には、火はおそらく数週間前から燃えていたと考えられます。(ギエルモ・レイン博士)

火災はタイタニックがベルファストから出港した日に発見されましたが、石炭が積み込まれたのはその3週間前のことでした。

石炭は、船体と隔壁と呼ばれる船内の仕切りに直に触れるところに積載されていました。船体と隔壁は、船の強度を保つのに不可欠なものです。それらを石炭火災の高温にさらすのは極めて危険なことでした。

石炭火災の規模は、船に乗り込んでサウサンプトンに向かったボイラー作業員を怯えさせたようです。元々働いていた作業員160人のうちアメリカまで向かったのは8人。こんなに人が入れ替わったのは前例がありません。

なぜタイタニックの所有者は、真新しい豪華な船を船内で火災が起きている状態で就航させたのでしょうか?その答えは豪華客船が建造されたもともとの理由にあるかもしれません。

建造会社の事情

表向きは威信をかけた大型プロジェクトでした。タイタニックと姉妹船オリンピックを所有していたのはホワイトスターライン社

タイニタニックは「海の女王」と呼ばれ華々しい活躍が期待されていました。タイタニックは注目の的でした。(セナン・モロニー)

一方で、ホワイトスターライン社はライバルのキュナードライン社に遅れをとっていました。ホワイトスターライン社の会長J・ブルース・イズメイは、会社の業績を好転させようと躍起になりました。新しい豪華客船は大西洋航路の競争に勝つための切り札だったのです。

イズメイは名門の出身で自分の意思に逆らう者を一切許さない人物でした。彼の言うことはそのまま実行されなければなりませんでした。(セナン・モロニー)

イズメイは建造費を節約するため、造船会社ハーランド・アンド・ウルフ社に何度か設計の修正を命じました。

船の材料や鋼鉄の寸法が小さくなりました。救命ボートの数や船の建造費用のコストカットが行われました。(作家ブラッド・マトセン)

経費削減の影響は、オリンピックがイギリス海軍の軍艦と衝突した時にハッキリと現れました。写真には、オリンピックの船体に空いた巨大な穴が写っています。使われている鋼鉄はこのクラスの船に使うものには見えません。

鋼鉄に沢山のひび割れがありました。軍艦の船首がこの船の外板を貫通しています。もし当時、金属工学の専門家がこの写真を見たら鋼鉄の強度が不十分で衝撃に耐えられないことは分かるはずです。鋼鉄は可能な限り熱の影響に耐えなければいけないので、できるだけ良質のものを使う必要があるのです。(金属工学の専門家メーティン・ストラングウッド)

セナン・モロニーは、鋼鉄について懸念の声があったことを示唆する手紙を発見しました。

手紙は商務省と当局の幹部に関係するもので、その内容は「タイタニックの建造には特別な質の良い鋼鉄を使うべきだ」と求めるものでした。それに対してハーランド・アンド・ウルフ社は「通常の基準と検査にかなった鋼鉄を船全体に使った」というそっけない内容の手紙を送っています。「特別」ではなく「普通」の鋼鉄です。(セナン・モロニー)

損傷したオリンピックは、修理のため8週間航行できなくなり、これがタイタニックの建造にも影響を及ぼしました。できるだけ早くオリンピックを航行できるようにするため、タイタニックのスクリューとシャフトがオリンピックにうつされました。これによりタイタニックの納入は1ヶ月遅れました。

そして、追い打ちをかけるように火災で処女航海が延期される恐れがでてきたのです。

そんな事態になったらマスコミが大騒ぎするでしょう。「ホワイトスターラインの船は予定通り就航できない」そういう報道が流れたら切符を買う人などいなくなりますよ。財務状況が不安定だったので倒産に追い込まれていたかもしれません。(作家ブラッド・マトセン)

タイタニックは予定通り出航。アイルランドのクイーンズランドに寄港した後、アメリカに向かいました。乗客たちは足元で火災が激しさを増し、船体が危険に晒されていることなど知るよしもありませんでした。

事故調査査問委員会

タイタニックの沈没事故を受け、イギリス政府は事故調査査問委員会を設置。査問委員会を取り仕切ったのはマージ卿で、100人余りが召喚され証言を行いました。その大半は海運会社の幹部でした。

査問会は11日間に及びましたが、石炭倉庫の火災についての言及はほとんどありませんでした。しかし2度拒否された後、ボイラー作業員組合の責任者トマス・ルイスが質問の機会を得ました。

最初に証言したのはサウサンプトンから乗り組んだ交代要員のチャールズ・ヘンドリクソン。

ルイス「いつから石炭を運びだしたのか?」

ヘンドリクソン「サウサンプトンを出航してからです。」

彼らが鎮火にあたったのは船が出航した後のことでした。第10ボイラー室の石炭倉庫には100トン余りの石炭が積み込まれていました。鎮火するには、燃えている石炭をシャベルですくってボイラーの炉に放り込むしかありません。出航から3日が過ぎても彼らは燃えている石炭を救い出していました。

ヘンドリクソンは、石炭を取り出し終えても石炭倉庫が異常な高温になっていることに気づきました。

隔壁は石炭倉庫の側面の一部を構成している。真っ赤に焼けた隔壁が見えた。

(ヘンドリクソンの証言)

鋼鉄の隔壁が石炭火災の直撃を受けていたのです。

隔壁は船体をいくつかの区画に分ける仕切りで、一区画が浸水しても水が船全体に広がるのを食い止める役割を果たしています。ボイラー作業員たちは、火災で隔壁が激しく損傷していたと証言しました。

ところが、信じられないことにこの損傷は覆い隠されたのです。

私は汚れを落として黒い油を塗り通常通りに見えるようにしておいた。

(ヘンドリクソンの証言)

このような事実が明るみに出たにも関わらず、マージー卿は火災には関心を示しませんでした。

彼は火災の件には無関心でした。質問者が火災についてより詳しく聞こうとするたびに再三証言を遮ってやめさせています。事故調査の本当に重要な問題にのみ集中して欲しい、石炭倉庫内の火災は事故には無関係だと。(セナン・モロニー)

なぜ進路を変えず全速力で進んだのか?

タイタニックはニューヨークまで後3日足らずのところまで進みました。エドワード・スミス船長とブルース・イズメイが船の進路に氷山があるという警告の電文を受け取っていました。

第6ボイラー室の石炭倉庫で燃えていた石炭は取り出されましたが、真っ赤に焼けた隔壁が火災を広げてしまいました。燃えている石炭は次から次へと炉に投入されました。

再三警告を受けていたにも関わらず、タイタニックは進路を変えることなく全速力で氷山の方へ進んでいました。タイタニックは大西洋横断の新記録を作ろうとしていたわけではありません。それなのになぜ最高速度で進んでいたのでしょうか?火災が燃え広がったことにより、さらに何トンもの石炭を炉に投入せざるおえなくなりました。

大量の石炭が通常より速いペースで炉の中に投げ込まれました。これが否応なく船を突き動かす推進力になったのです。タイタニックは悲惨な運命をたどることになります。(セナン・モロニー)

氷山が接近する中、なぜ船長は安全なスピードまで減速しなかったのでしょうか?

燃料切れの危険性

イギリスは炭鉱労働者ストライキの真っただ中で、タイタニックはニューヨークまでのギリギリの量の石炭しか積んでいませんでした。火災によってすでに多くの石炭が燃えてしまいました。推進力を落とすことはできなかったのです。

スピードを落とせば再び加速するために大量の石炭が必要になります。石炭が足りなくなるのは目に見えていました。(船舶研究者リチャード・デ・カーブレック)

石炭の量に余裕のないタイタニックは、そのままのスピードを維持して予定の航路を進むしかなかったのです。

警告は受けたもののイズメイとスミス船長は、氷山にぶつかる可能性は低いと考えていました。それより大西洋の真っただ中で燃料切れになる危険の方が現実味を帯びていました。

船が氷山に衝突するなんてほとんどの人は考えていません。でも、石炭が底をついてニューヨークに到着できないという事態は十分に予見できます。もし、そんなことになればホワイトスターラインの信用はがた落ちですよ。(船舶研究者リチャード・デ・カーブレック)

氷山に衝突

1912年4月14日 午後11時40分、ニューファンドランド島の沖650kmの地点でタイタニックは氷山に衝突。衝突によって船体の右舷に亀裂が入りました。しかし、タイタニックの隔壁は堅固で救助船も遠くないところにいました。

タイタニックはあと1時間半長く持ちこたえられるはずでした。カルパチア号が救助にやってきて、誰も死なずにすんだはずです。(作家ブラッド・マトセン)

船の設計者もこの程度の損傷で沈むことはないと考えていました。ただし、それは隔壁が持ちこたえられればの話です。隔壁が石炭火災の熱でもろくなることは誰も想定していませんでした。

セナン・モロニーは、アメリカの査問会の記録を読んで急な沈没の引き金となった可能性がある出来事を発見しました。

沈没の引き金は?

主任ボイラー作業員のフレッド・バレットは、船が氷山に衝突した瞬間、第6ボイラー室にいました。海水がドッと流れ込んできたため、彼は火災で歪んだ隔壁の後ろに避難しました。

衝突から2時間後、事態は劇的に変化したとバレットは証言しています。海水が火災で損傷した隔壁を突き破るようにドッと流れ込んだというのです。

緑色の泡が勢いよく流れ込んできました

(フレッド・バレットの証言)

この破損が船の運命を決めたのです。沈没へと繋がる致命的な破損です。

会社の隠蔽体質

今回検証した数々の証拠は全て1912年の査問会で提示されていたものでした。なぜ明るみに出るまでにこれほど長い歳月を要したのでしょうか?それは船の所有者たちが真実を隠したからだとセナン・モロニーは主張します。

ボイラー作業員や乗組員は命令に従っていただけでしょう。問題は会社の隠ぺい体質にあります。

ホワイトスターラインのイズメイ会長は、救助船に乗り込むとすぐにニューヨークの本社に電報を打ちました。彼はすでに真実が明るみに出るのを阻止しようとしていたと言います。

電報はイズメイの綴りを逆にしたヤムジーという名前で送られています。「タイタニックの乗組員を土曜日までニューヨークに留めておくのは、はなはだ愚かなことだ。そんなに長く留めておくのはまずい」イズメイはボイラー作業員たちをできるだけ早くイギリスに送り返したいと思っていました。ニューヨークから遠ざけて証言させないようにしたかったのです。(セナン・モロニー)

ホワイトスターライン社は、アメリカの査問会でボイラー作業員は全員死亡したと報告しました。しかし、バレットは事故後も会社で働いていました。

造船業組合の後援者であるマージ卿は、助かったボイラー作業員たちをイギリスの査問会に召喚しませんでした。さらに、出頭してきた作業員の証言についてもまともに取り合いませんでした。

「沈没はスピードの出しすぎが原因で避けられない事故だった」と結論づけられ、火災には一切触れていません。

全容解明まで100年以上の歳月とセナン・モロニーの調査を必要としました。

「ドキュランドへ ようこそ!」
タイタニック 新たな真実

制作:Blink Entertainment Distribution
What Iceberg Productions
(イギリス 2016年)

この記事のコメント