ミケランジェロ・ブオナローティは、20代の頃から数々の傑作を生みだし「神のごとき」とたたえられたルネサンスの彫刻家です。若くして名声を得たものの、ミケランジェロは満足することなく生涯新しい表現を探し続けました。
ミケランジェロは1475年、イタリア・フィレンツェの郊外に生まれました。時代はルネサンスの最盛期。宗教的な価値観に縛られた中世が終わろうとしていました。
理想とされたのが古代ギリシャ・ローマの芸術。発掘や収集が盛んに行われていました。ルネサンスの芸術家たちは古代の作品にならい生命力あふれる人間の表現を追求していきました。
「若き洗礼者ヨハネ」
13歳から修行を始めたミケランジェロも古代彫刻に学び腕を磨きました。「若き洗礼者ヨハネ」は20歳を過ぎた頃の作品です。20世紀にはいり戦争で破壊されましたが、近年の修復で蘇りました。
「ピエタ」
24歳、ミケランジェロの人体表現は一つの高みに達しました。「ピエタ」です。
硬い大理石から彫り出されたとは思えない生々しいキリストの体。見る人の感情を揺さぶるような美しくドラマチックな造形です。
無名だったミケランジェロは「ピエタ」で多くの人に知られるようになりました。
「ダヴィデ」
そして29歳の時、故郷フィレンツェからの依頼で「ダヴィデ」を彫り上げました。浮き上がる筋肉や血管はリアルで緊張感がみなぎります。ミケランジェロは解剖学を学び、古代彫刻をも凌駕する精緻な表現力を身に着けていました。
フィレンツェは当時、周辺諸国からの脅威にさらされていました。広場にすえられたダヴィデは愛国と自由の象徴として人々に熱狂をもってむかえられました。
30歳の時、創作の転機となる大きな出来事がありました。古代ギリシャの彫刻「ラオコーン」の発掘に立ち会ったのです。苦痛にい歪む顔、のたうつ体。彫刻は人間の感情を肉体の動きで表すことができる。ミケランジェロは心を奪われました。
システィーナ礼拝堂の天井画
その頃、ミケランジェロの才能を我が物にしたいと狙う人物が現れました。カトリック教会の最高権力物ローマ教皇ユリウス2世です。
ミケランジェロをローマに呼び寄せ、自分の墓を作るように命じました。ミケランジェロは大理石の産地に自ら赴き、8か月の間材料の採掘を進めました。今までにない墓を作ろうとしたのです。
墓の制作に意欲を燃やすミケランジェロでしたが、気まぐれなユリウス2世は墓の計画を中止してしまいました。その代わりに命じたのがシスティーナ礼拝堂に巨大な天井画を描くというものでした。ミケランジェロは絶望しました。
私は途方にくれています。その理由は私の本業が絵画ではない上にこの仕事がとても困難なものだからです。私はただ時を無駄にしています。神様!お助けください!
(父親への手紙より)
しかし、ミケランジェロは奥行き40メートルの天井に300余りの人物を描くという凄まじい仕事をほぼ一人で成し遂げました。4年の歳月をかけて描いたのは旧約聖書の物語。目を見張るのは人間の激しい感情の動きを感じさせる肉体の表現です。
システィーナ礼拝堂の天井画を完成させたミケランジェロは、再び彫刻での人体表現を模索しました。体の動きによって様々な情念を表そうとしました。
しかし、制作に明け暮れる日々は一時期途絶えました。
フィレンツェで革命勃発
52歳の時、フィレンツェで革命が勃発。フィレンツェの支配者メディチ家側と革命軍の間で激しい戦闘が繰り広げられました。ミケランジェロは革命軍に身を投じ要塞の建設を指揮しました。
やがて、革命軍は敗北。首謀者は捕らえられました。命の危険を感じたミケランジェロは逃亡。仲間が次々と処刑される中、教会の地下室で3か月の潜伏生活を送ったとされています。壁に残された無数のデッサン。死と隣り合わせの状況でも創作への強い欲求に突き動かされていたのでしょうか。
「ダヴィデ=アポロ」
そして50代半ばで制作したのが「ダヴィデ=アポロ」です。若き日に手掛けた「ダヴィデ」のような勇ましさや気迫は感じられません。誇張された筋肉や激しい身振りはなく、柔らかな肉体が静かに波打つように表されています。顔もおぼろげです。
未完成の「ダヴィデ=アポロ」は旧約聖書の英雄ダヴィデかギリシャ神話の神アポロを表したものだと言われています。いずれにせよ華々しい英雄の姿ではありません。そこには、人間が共通して抱く不安や哀愁がたたえられています。
「フィレンツェのピエタ」
70歳を過ぎたミケランジェロは「フィレンツェのピエタ」を彫りました。誰に依頼されたわけでもない自分のための「ピエタ」です。崩れ落ちそうなキリストの体を聖母マリアが支えています。
かつて若きミケランジェロを栄光に導いたピエタ。マリアは若く美しくドラマチックな瞬間をとらえていました。
しかし、「フィレンツェのピエタ」には輝くような美しさはありません。4人の人物は体を寄せ合い、静かに死を受け入れようとしています。
背後から見守る老人はミケランジェロ自身を表していると言われています。ミケランジェロはこの「フィレンツェのピエタ」を自分の墓に置くつもりで彫っていました。
主よ この身を苦しめ続けた重荷を解かれて
(ミケランジェロ・ブオナローティ)
この世のわずらわしいことから離れて
私は疲れ果て
あなたのものに向かいます
嵐を抜けて
穏やかな大海原に出る
小舟のように
「ロンダニーニのピエタ」
88年という当時では異例の長い人生を生きたミケランジェロ。人生の最後にそれまでに確立してきた様式を一新するような作品を残しています。死の6日前まで手を入れていたという「ロンダニーニのピエタ」です。
やせ細ったキリストの体。のみ跡は荒々しく顔はほとんど彫り出されていません。母と子の体は溶け合い、互いを支え合っているかのようです。この作品はもっと大きな像になるはずでした。しかし、自分が本当に表現したいものを彫り出そうとのみを入れ続けた結果、この形になったと言います。
長きにわたる探求と試みの果てに死近くして良き芸術家は石の中に生きた像を見いだすことができる。高く新しい作品に達するのは人生も残り少なくなってからなのだ。
(ミケランジェロ・ブオナローティ)
石に刻まれた激しい探求の跡。ミケランジェロは最後に高く新しい作品に到達したのでしょうか。
「日曜美術館」
ミケランジェロ 「人間」のすべてを彫る
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