宮廷画家ベラスケスの実験 ~静かな絵画革命~|日曜美術館

「バリェーカスの少年」での実験

人々を惹きつけてやまないベラスケスの絵画は、革新的な技法によって生み出されたものでした。「バリェーカスの少年」は当時王宮にいた障害がある背の低い少年を描いたものです。王族の子供たちの遊び相手をつとめていました。間近で見ると粗く大胆な筆の跡がうかがえます。

 

「バリェーカスの少年」に近づいて手の部分を見てみると、指が緻密には描かれていないことが分かります。シミの集まりのようになっていますが、離れた所から見てみるとそのシミが肉体のボリュームや質感を生み出しているのです。

(プラド美術館スペイン絵画部長ハビエル・ポルトゥスさん)

 

粗い筆づかいは立体感をどう表現するかというベラスケスの実験だったのです。

 

「パブロ・デ・バリャドリード」での実験

「パブロ・デ・バリャドリード」では背景の描き方で斬新な試みをしています。人物の足元には影が描かれていますが、床と壁と境目はなく、抽象的な空間に立っているかのようです。微妙な濃淡を持つ背景が人物の強い存在感を生み出しています。

 

この絵に衝撃を受けたのが19世紀のフランスの画家で「印象派の父」と呼ばれるエドゥアール・マネです。若き日のマネはフランスの画壇に限界を感じ、新たな表現を模索していました。ヒントを求めて訪れたスペインで出会ったのが「パブロ・デ・バリャドリード」でした。

 

私は彼の中に自分の理想の実現を見出した。背景は消え去っている。黒い服に全身を包む生き生きとしたこの男の肖像を取り巻いているのは空気なのだ。

(エドゥアール・マネ)

 

マネは絵を見た翌年、早速その手法を取り入れました。そして描かれたのがマネの代表作「笛を吹く少年」です。ベラスケスはマネよりも200年も早く肖像を際立たせる手法を試みていたのです。

 

ベラスケスは人がものを見る時の視覚の習性について自問し、絵画の伝統の枠の外でその法則をいつも探求していました。だからこそ、ベラスケスは先進的で近代的な画家になれたのです。

(プラド美術館スペイン絵画部長ハビエル・ポルトゥスさん)

 

「ラス・メニーナス」での実験

さらに、ベラスケスは絵画そのものの成り立ちを考えるような実験的な取り組みをしています。ベラスケスの最高傑作と言われる「ラス・メニーナス」です。

 

描かれているのは王女マルガリータとその従者たち。かたわらには描き手であるベラスケス自身の姿。そして、鏡の中に映るのは国王と王妃。2人は画面の手前でベラスケスと王女たちを見つめるという構図です。描き手と描かれる人、それを見る人、その3者を一枚の絵の中に描くのは絵画史上例のない試みでした。

 

そこに激しく触発されたのがスペインの前衛芸術家パブロ・ピカソです。76歳になって「ラス・メニーナス」をモチーフとした58枚の連作に挑みました。描くとは何か、画家とは何か?絵の本質に迫ることこそが晩年のピカソの大きな関心でした。そんな時、ヒントを求めたのが「ラス・メニーナス」でした。

 

ベラスケスの生い立ち

1599年、ベラスケスはスペイン南部の港町セビリアに生まれました。12歳で工房に入り絵の修行を始めました。

 

20歳で描いた「東方三博士の礼拝」は、肖像画家ベラスケスの原点をうかがわせるものです。イエスの誕生を東方の三博士が祝う新約聖書の一場面を、身近な人々をモデルに肖像の群像として描きました。

 

横顔の老人はベラスケスの絵の師匠パチェーコ。聖母マリアは師匠の娘でありベラスケスの妻フアナ。イエスは生まれたばかりの娘フランシスカ。跪き誕生を祝う三博士の一人には自分自身。こうすることで描く人物の個性や存在感が増しています。

 

同じ頃の作品「セビーリャの水売り」からはベラスケスの観察力の高さがうかがわれます。よく冷えた水瓶にわずかに滴る水滴、グラスに反射する光もリアルに描いています。

 

宮廷画家へ

24歳の時、ベラスケスは宮廷の画家になるため自分の作品を王宮に売り込みました。そこで、運命的な出会いがありました。国王フェリペ4世です。即位したばかりの王は政治の改革に意欲をたぎらせていました。この王に認められベラスケスは宮廷に召し抱えられました。

 

宮廷に仕えたばかりのベラスケスが描いたフェリペ4世の肖像は、王が目指す質素倹約の政治を象徴するように飾り気のない黒い衣装で描かれています。左手のサーベルは国王が軍事の担い手であることを、右手に持つ勅令の紙は行政の責任者でもあることを示し、改革を進める統治者の姿をあらわしています。

 

この絵をX線で調査すると、仕上がりとは異なる図案が現れました。ベラスケスが王にふさわしい肖像を求めた跡がみてとれます。やや下膨れな顔はスッキリとした細面に、開いていた足は控えめに閉じられ品位ある国王が演出されています。それはフェリペ4世が目にしてきた他の宮廷画家とは違った表現でした。

 

ベラスケスが描いた簡素な構成と色彩を持つ肖像画。フェリペ4世はその中に自分が目指す新しく責任ある質素な政治に通じる表現を見出したのです。

(プラド美術館スペイン絵画部長ハビエル・ポルトゥスさん)

 

革新的な国王のもとでこそベラスケスは絵画で実験的な挑戦を続けることができたのです。フェリペ4世はベラスケスの斬新な画風を気に入り、自分の肖像はベラスケスにしか描かせないとまで言ったと言います。

 

宮廷画家になって数十年、ベラスケスはまた新たな挑戦をしました。国王が娯楽や外交使節をもてなすために建設した壮大な離宮ブエン・レティーロ宮を飾るにふさわしい重要な絵画の制作を命じられたのです。

 

「王太子バルタサール・カルロス騎馬像」は両足立ちの馬を斜め前からとらえた斬新な構図です。騎馬像は横から描くのが常識でしたが、あえて難しい構図に挑戦しました。そして、この絵にはあるメッセージが込められていました。騎馬像の構造には実在するマドリード郊外の山々が描かれています。新しい国王の時代になっても国が繁栄し長く続いて欲しい、そんなフェリペ4世の願いをくんで描かれた作品だったのです。

 

国王はベラスケスに新しい画家の姿を感じ、またベラスケスは宮廷から期待されるものをすぐに理解し適応したのです。フェリペ4世と宮廷の改革に対する意欲が、国王やその宮廷人を描いたベラスケスの手法にも革新性をもたらしたのでしょう。

(プラド美術館スペイン絵画部長ハビエル・ポルトゥスさん)

 

ライバル ルーベンス

宮廷画家として実験的な挑戦を続けたベラスケス。その影にはライバルの存在がありました。当時ヨーロッパ各地の王族たちの求めに応じ絵画を制作していたペーテル・パウル・ルーベンスです。

 

フェリペ4世にも招かれたルーベンスは、1年間王宮に滞在し20歳下のベラスケスと交流を持ちました。その間、ルーベンスは国王が集めた貴重な絵画を模写することがありました。その時、ルーベンスの力量を見たベラスケスは対抗心を抱くようになりました。

 

ルーベンスをライバル視していたベラスケスですが、その一方で敬愛の念も抱いていました。それを物語るのがルーベンス亡き後のベラスケス最晩年の作品「アラクネの寓話」です。ベラスケスは様々な人物の肖像を組み合わせ見事に神話を描き出しています。神話画が得意だったルーベンスへの特別な想いが感じられます。そして背景に描かれたのがベラスケスの前でルーベンスが模写をしていた作品でした。

 

「日曜美術館」
静かな絵画革命
~宮廷画家ベラスケスの実験~



コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

コメントは管理人の承認後に表示されますのでしばらくお待ち下さい(スパム対策)管理人からの返信はありませんがお気軽にコメントしてください。