本田理沙(ほんだりさ)さんは1986年、15歳で芸能界デビュー。その後アイドル歌手として活躍するかたわらバラエティ番組でも人気に。90年代に入ると「写真集の女王」と呼ばれ、世の男性を魅了しました。
しかし1997年、26歳で芸能界を引退。報道では結婚による引退とされていましたが、実際にはストーカー被害による精神崩壊だったと言います。
熱狂的なファン
1989年、バラエティアイドルとして絶頂期だった本田理沙さんは親衛隊ができるほどの人気を誇り、コンサートやイベントは年間100本。行く先々でファンに囲まれていました。
やがて熱狂的なファンは、どこで調べたのか彼女の実家を訪ねるように。実家ではファンを家にあげお茶を出していたそうです。
当時、ファンから様々なプレゼントを贈られていた本田理沙さんですが、その中の一つに留守電機能のついた最新式の電話機がありました。そこで自宅に持ち帰り電話機を交換しようとすると、電話機の中に盗聴器が入っていることが発覚。
暴走したファンはやがて両親にも襲い掛かるように。ある日、大分の実家に「どうして娘さんはファンのプレゼントを捨てるんですか?ファンを裏切るようなことをすると娘さんがどうなっても知りませんよ」と電話がかかってきました。
そして一人のファンがついにストーカーへと変貌しました。
ファンがストーカーに
当時、高校に通っていた本田理沙さんが通学していた時のこと。男が「同じクラスに東コウイチさんっていますよね?彼とはどういう関係なんですか?」と声をかけてきました。男は学校での出来事、交友関係、イベントなど全て調べ上げていました。
恐ろしかったものの、トップアイドルだった本田理沙さんはファンとの揉め事が表に出ると活動に支障が出るため警察に届けることさえ出来ませんでした。
男に監視される日々が2年ほど続いたある日、本田理沙さんが寝ていると寝室のドアが開き懐中電灯を持った男がいました。本田理沙さんが叫ぶと男は逃亡。警察が駆けつけ現場検証をすると犯人は隣家の外壁を登って脱衣所の小窓を壊して侵入したことが分かりました。
ストーカー被害で精神崩壊
このストレスから本田理沙さんの体に異変が起こりました。
ファンが怖くなり、イベントなどでファンと会う前は必ず吐くようになってしまったのです。そして、どこにいても男性がファンに思えて絶えず監視されている強迫観念に襲われました。
ストーカー被害を受け始めて8年目の1997年、本田理沙さんは芸能活動を休止しました。
本田理沙は今…
現在、本田理沙さんはシングルマザーとして大分県中津市で2人の娘を育てています。
そして芸能活動を再開。地元中津市のFM局でパーソナリティーをつとめ、特産品の唐揚げのPRを行う「からあげ大使」としても活動。
今はアイドル時代のトラウマは消え、再びファンと向き合えているそうです。
「爆報!THEフライデー」
あの芸能人は今…事件&被害SP
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