ディエゴ・ベラスケス作「セビーリャの水売り」はイギリスのアプスリーハウスに収蔵されています。縦106cm、横82cmの油彩画です。ベラスケス20歳の時の傑作です。
ベラスケスの生い立ち
ディエゴ・ベラスケスは、1599年にスペイン南部のセビーリャで下級貴族の血を引く家に生まれました。11歳の時にセビーリャを代表する文化人で画家のフランシスコ・パチェーコの工房に入り絵を学びました。
類まれなる才能を認められたベラスケスは、18歳でパチェーコの娘フアナと結婚し、翌年に長女フランシスカが生まれました。若き日のベラスケスは「ボデゴン」と呼ばれる庶民の風俗と静物を組み合わせた作品を多く描いています。
若き日のベラスケス 圧倒的な描写力
「卵を料理する老女」はベラスケスが19歳の時に描いた作品です。ベラスケスは2人の人物にスポットライトのような強い光をあてました。そして、用意した小道具の一つ一つを極めて丹念に描きこんでいます。
1年後、20歳になったベラスケスは「セビーリャの水売り」を描き上げました。
6つの放物線
「セビーリャの水売り」の中には6つの放物線が隠されています。
- 3人の人物をおさめた山なりの放物線
- 水売りの身体の放物線
- 手前の壺の放物線
- グラスの輪郭の放物線
- 小さな壺の放物線
- 大きな壺の下側の放物線
6つの放物線は構図に安定感をもたらし、人物とその仕草を繋げる役割を担っています。
視線と奥行きの魔術
老人の視線をたどると、グラスを通りこしてデコボコした壺に向かっています。一方、少年の頬の滑らかな肌は右下の素焼きの壺と対応しています。この2つの視線が交わったところに描かれているのがグラスの水です。隠された交差する線が私たちの目をグラスに引き付けているのです。
画面の一番手前は素焼きの壺ですが、その表面に描かれた水滴はキャンバスから飛び出しているように描かれています。この一滴の雫から素焼きの壺、その奥に使い込まれた木の机、陶器の壺と水売りの老人、さらにグラスの水と二人の手、少年、背景ににじむように描かれた男の姿。この幾重にも重ねられた奥行きが画面に途方もない深みを与えています。これがベラスケスが作り上げた筆の魔術です。
ベネチアングラスの謎
ではなぜ、ベラスケスは豪華なベネチアングラスを描いたのでしょうか?
老人は背筋を真っすぐに伸ばし威厳にみちた面持ちでグラスの水を見つめています。受け取る少年の表情は限りなく真剣です。暑い日差しの中で一杯の水を求める夏の風物とは思えない静けさをたたえているのです。
キリスト教の世界では、水は罪を洗い清める純潔の象徴です。ベラスケスは入信の時の洗礼の儀式を暗示させるように「セビーリャの水売り」を描いたのかもしれません。
ベラスケスの野望
ベラスケスは20代の前半に2度に渡ってマドリードを訪問しています。その時に携えていたのが「セビーリャの水売り」だったと言われています。
そして、ベラスケスは24歳の若さで国王付きの画家になることができました。
王家の肖像画はディエゴ・ベラスケスにのみ描かせる
(スペイン王フェリペ4世)
国王フェリペ4世の寵愛を一身にあびたベラスケスは、数々の傑作を残していくことになりました。「王の画家にして画家の王」と呼ばれました。その原点となったのが王宮で称賛をあびた「セビーリャの水売り」でした。
では、なぜ「セビーリャの水売り」はイギリスのロンドンにあるのでしょうか?
数奇な運命をたどって
初代ウェリントン公爵は、領土拡大を目論むナポレオンとの戦いに勝利した陸軍の英雄でした。1808年、スペインの半島戦争のさいウェリントン公爵はナポレオンの兄ジョゼフ・ボナパルトがスペイン王宮から略奪した絵画コレクションを手に入れました。
時のスペインの王フェルナンド7世は、ナポレオン軍に勝利した功績をたたえ絵画コレクションをウェリントン公爵に与えました。その中に「セビーリャの水売り」が含まれていたのです。
「美の巨人たち」
世界一おいしそうな水の絵
ディエゴ・ベラスケス「セビーリャの水売り」
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