モーツァルトの交響曲 第41番「ジュピター」|ららら♪クラシック

「ジュピター」ってどんな曲?

「ジュピター」はモーツァルトが亡くなる3年前に作曲した生涯最後の交響曲です。世界中の指揮者がこよなく愛する曲です。今、世界が注目する若手指揮者・山田和樹(やまだかずき)さんもジュピターラブな一人です。

(第4楽章は)音符が飛んで跳ねていますよね。楽譜を見てもそうだし、実際に演奏しても音が見えるかのように飛んで跳ねてる。天空を駆け抜ける、宇宙空間を駆け抜けるような。疾走する喜び。

木星っていうのは快楽の神なわけです。快楽性もすごく含まれているんですね。

最後の最後に全てのテーマが同時に出てくるんですよ。これはもう人間業じゃないと思う。

(指揮者・山田和樹さん)

 

次々に現れるいくつものテーマ。それらが、繰り返し演奏されながら組み合わさり、最後は全てが混然一体となって曲を盛り上げます。

 

19世紀の大作曲家リヒャルト・シュトラウスもこんな言葉を残しています。

私は天国にいるかのような思いがした。

(リヒャルト・シュトラウス)

「ジュピター」はそんな天国の光を思わせる音楽なのです。

 

名曲「ジュピター」が生まれた背景

父や娘を立て続けに亡くし、人間の死を身近に感じていたモーツァルト。しかし、このころ彼の暮らしにはもう一つ大きな変化がありました。「ジュピター」作曲の年、モーツァルトは800フロリン、今の価値で500万円程の年俸が入ってきました。実はこの前年、ウィーンの宮廷作曲家に任命されたのです。

 

ウィーンの宮廷っていうのはヨーロッパ随一の大きな宮廷で、そこの一員になるということは名誉の上でも安定した収入という上でもこれ以上のポストはないわけですね。

(慶應義塾大学教授 西川尚生さん)

 

モーツァルトとウィーンの皇帝一家の繋がりは深く、6歳の時には宮殿で演奏し拍手喝采を受けました。それでも、宮廷作曲家になることは前任者が亡くなるまで長年待ち続けた人生最大の栄誉でした。

 

宮廷作曲家になった直後に、ウィーンでピアノ曲そして室内楽曲の楽譜を次々に出版するんですけれども、そのタイトルページに「皇帝陛下にお仕えする作曲家モーツァルト」というようなことを全てに書いているんです。

(慶應義塾大学教授 西川尚生さん)

自分は宮廷作曲家だとわざわざ言いふらすほど喜び一杯のモーツァルトでした。姉にもこんな報告をしています。

皇帝はぼくを皇室にお抱えになられた。でもたったの800フロリンです。とはいえ皇室でこんなに多くもらっている人はいません。

(モーツァルト)

悲しみの中で味わった溢れるほどの喜び。「ジュピター」を書かせたのは、そんな複雑な感情だったのかもしれません。

 

「ららら♪クラシック」
モーツァルトの交響曲 第41番「ジュピター」



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