ムソルグスキーの「はげ山の一夜」|ららら♪クラシック

はげ山の一夜」は夏至の頃に現れる悪魔たちの宴をえがいた曲です。作曲したのは、19世紀のロシアで活躍したモデスト・ムソルグスキー

モデスト・ムソルグスキー

当時、ロシアで演奏されていたのはイタリア、フランス、ドイツなどから輸入した音楽ばかりでした。ムソルグスキーはロシア人にしか作れない音楽をもっと演奏すべきだと考えていました。

「ファンタジア」で味わう「はげ山の一夜」の世界

アニメーションでクラシック音楽の世界を描いたディズニー映画が「ファンタジア」です。「はげ山の一夜」もその中の一曲です。

描くのは悪魔たちの夜の世界。金管楽器の強烈な音は悪魔のボスの登場を表しています。ボスの号令で次々と地下から湧き出てくる悪魔たち。音楽は悪魔たちが大集合する様子を見事に表現しています。集まった悪魔たちは踊ったり歌ったり、時には羽目を外したり自分たちだけの夜を満喫。

ガラっと雰囲気が変わるのは鐘の音が鳴る場面からです。朝の訪れを知らせる鐘の音は間もなく悪魔たちの世界が終ろうとしていることを告げます。最後は木管楽器の美しいメロディが平和な朝の訪れを表現し「はげ山の一夜」は締めくくられるのです。

古来ロシアには夏至の頃に悪魔が現れるという伝承があり、人々は悪魔を鎮めるための祭りを開いてきました。後にキリスト教が入ってきて、聖ヨハネの誕生日と合わせて祝うようになりました。それは今も受け継がれ、人々は悪魔や妖精の姿に仮装して町を練り歩きます。

ムソルグスキーは、こうした民間伝承を忠実に音楽に再現することがロシアの作曲家の使命だと考えました。

「はげ山の一夜」をテーマに選んだ理由

解説していたのはロシア音楽学者の一柳富美子さんです。ムソルグスキーは単に「はげ山の一夜」というタイトルをつけたのではなく、「聖ヨハネの夜のはげ山」とタイトルを付けました。

聖ヨハネとは、イエスにヨルダン川で洗礼を授けた聖人のこと

聖ヨハネの誕生日はロシア暦の6月24日です。この時期はロシアの農民たちにとって大事な時期です。「聖ヨハネの日の前までは雨を乞う、聖ヨハネの日の翌日からは晴天を乞う」という言い回しがあるように、ロシアの農民たちにとっては農作業のポイントの日です。農耕暦で節目になる日というのはロシアを代表するものです。

ムソルグスキーはそこまで計算してタイトルを付けたのではないかと一柳さんは言います。

ムソルグスキーはどんな作曲家だったの?

モデスト・ムソルグスキーはロシアの貴族で、地方の大地主の家に生まれました。軍人や役人の仕事をしながら作曲活動を続けていました。主な作品は「展覧会の絵」、歌劇「ボリス・ゴドノフ」、交響詩「はげ山の一夜」など。

ムソルグスキーが目指したロシア・ファーストの音楽

ムソルグスキーが生きた19世紀のロシアでは、イタリア・フランス・ドイツなどの音楽がもてはやされていました。ムソルグスキーは、ロシアの音楽が滅多に演奏されない現状を残念に思っていました。

もっと不満だったのは、ロシア人が作曲した曲にロシアの香りがしないことでした。ムソルグスキーはどんな音楽がロシアならではと考えていたのでしょうか?

当時、ムソルグスキーは一人の作家にハマっていました。それはニコライ・ゴーゴリ。彼はロシアの民話に題材を求めたり、貧しくともたくましく生き抜く民衆の姿を描くなどロシア人にしか書けない小説を数多く発表していました。ムソルグスキーはゴーゴリの作品「聖ヨハネの夜」の物語を参考に「はげ山の一夜」を書きあげました。

1867年、自信をもって発表したのですが斬新すぎたのか周りから酷評され演奏されることはありませんでした。しかし、ムソルグスキーは諦めませんでした。今度はオペラの歌としてリメイクしたのです。聞こえてくるのは悪魔たちの歌声。歌詞も謎の言葉にし不穏な空気を漂わせています。しかし、このオペラもムソルグスキーの死によって未発表に終わりました。

現在、一般によく演奏されるのはムソルグスキーの友人であったリムスキー・コルサコフがオペラ版を元に管弦楽に編曲したものです。

「ららら♪クラシック」

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