グリーグの「ピアノ協奏曲」が生まれたのは、北欧の国ノルウェー。氷河が数万年かけて大地を削り取ったフィヨルドに代表される大自然の国です。そのノルウェーが誇る国民的作曲家がエドヴァルド・グリーグ。ノルウェー愛に満ちた作曲家です。
ノルウェーの自然を象徴するのが精霊のトロル。グリーグは自らを「小さなトロル」と呼んでいました。
グリーグは、自らをトロルに例え、大自然の力と恩恵を音楽で表現しようとしたのです。
森と一体になろうとグリーグが大自然の真ん中に建てたのは小さな作曲小屋。季節に合わせ、いくつもある小屋を渡り歩き曲作りに没頭しました。雄大な環境の中に身をおき、音楽と向き合ったのです。
また、グリーグはノルウェー各地をくまなく旅しました。旅の目的はノルウェーに根付いた古くからの民謡や舞曲の収集。素朴で温かな響きは創作の源となり、いくつもの曲が生まれました。
1843年、ノルウェー西部の港町ベルゲンに生まれたグリーグ。ピアニストだった母の教えをうけ幼少の頃からピアノの名手でした。15歳でノルウェーを離れ、名門ライプチヒ音楽院に留学。音楽家の誰もが憧れる場所でベートーベンやシューマンなどドイツの伝統的な音楽に触れ基礎を学びました。
「ピアノ協奏曲」を作曲したのはノルウェーに戻った25歳の時。翌年には彼の音楽人生を変える大きな出会いが待っていました。ピアノの魔術師こと、当時最高のピアニストであったリストとの初めての対面です。
グリーグの「ピアノ協奏曲」に興味を持ったリストは、早速彼の目の前で演奏し始めました。初見で全曲を弾ききり「これこそ真の北欧だ」と絶賛しました。それまでにはない異国の香りを感じさせる音楽にリストは心を打たれたのです。
あなたの道を行きなさい。あなたにはその能力があるのです。恐れるものはありません。
(フランツ・リスト)
このリストの言葉をきっかけに、グリーグはノルウェーらしさを深く追求し始めました。大自然の中に作曲小屋を作ったり、民族音楽に夢中になっていくのです。
そして、のりだしたのが「ピアノ協奏曲」の改訂。余分なものをそぎ落とし北欧らしい厳しくドラマチックな曲へと変えていったのです。細かな改定を亡くなる6週間前まで約40年も続けました。修正箇所はピアノパートで100、オーケストラパートで300にものぼりました。
芸術は実に生涯をかけてもいかなる手段によっても表現できないものへの切望から生まれる。
(エドヴァルド・グリーグ)
「ららら♪クラシック」
グリーグの「ピアノ協奏曲」
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