ベートーベンの「熱情」|ららら♪クラシック

かなわぬ恋への熱情

「熱情」は現在のハンガリーのブダペスト近郊にあるブルンスヴィク宮殿で書き上げられました。宮殿の主ブルンスヴィク伯爵は音楽を愛したチェロの名手で、ベートーベンとは親友でした。そして、彼を通して出会った運命の女性がブルンスヴィク伯爵の妹ヨゼフィーネです。彼女にピアノを教えていたベートーベンは、レッスンを重ねるうちにヨゼフィーネに魅了されていきました。

 

20世紀の半ば、ベートーベンがヨゼフィーネに宛てた13通の手紙が約150年ぶりに発見され話題となりました。

おお愛するJ(ヨゼフィーネ)私はあなたのすべてを尊敬しています。私のすべての感性をとりこにしています。

しかし、2人の間には平民と貴族という身分の差がありました。ヨゼフィーネの両親は裕福な貴族でないと結婚を決して認めませんでした。ヨゼフィーネは別の貴族と政略結婚をさせられたものの、わずか4年で死別。ベートーベンは未亡人となったヨゼフィーネを健気に支えましたが、結局身分の差は越えられず2人は結ばれなかったのです。その引き裂かれるような想いは13通のラブレターからも伝わってきます。

あなたにお会いしたとき決してどのような愛情も抱くまいと私は固く決心していました。しかし、あなたは私を征服してしまったのです。

「熱情」はそんな叶わぬ恋の苦しみの中で書かれたと言います。求めても求めても得られぬ苦しみを激しい旋律に込めたのです。

 

ピアノ開発にかける熱情

ピアノ進化の過程を辿るとベートーベンの功績の大きさが見えてきます。ベートーベンが10代の頃に流行したピアノは鍵盤の音域は5オクターブでした。ベートーベンも「悲愴」や「月光」など初期のピアノソナタは、こうした5オクターブまでしかないピアノで作曲していました。

 

しかし、そんな音域の制限にどうしても我慢できなかったベートーベンは、度々職人たちに5オクターブ以上の鍵盤を要求したと言います。当時住んでいたウィーンでも新しいピアノが次々と登場しましたが、ベートーベンは満足できませんでした。当時は音を伸ばすのに鍵盤の裏にあるレバーを膝で押さなくてはなりませんでした。そのため自由かつ大胆な演奏はできませんでした。

 

ついにはウィーンから遠く離れたイギリスにまでピアノを注文したベートーベン。リクエストに応えたイギリスの職人たちは、極めて画期的なピアノを作り上げました。音域はベートーベンこだわりの5オクターブ半。さらに、膝で操作していたレバーは足先に移動。体全体を左右に動かせるようになったことで激しい演奏も可能になったのです。

 

「ららら♪クラシック」
ベートーベンの「熱情」



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