三田明(みたあきら)さんは1963年に「美しい十代」でレコードデビュー。その甘いマスクで絶世の美少年と称され、紅白歌合戦に6年連続出場する人気歌手となりました。以来、テレビ・ラジオ出演は毎日5本。ファンレターは1ヶ月で1万5000通も来たと言います。
大やけど
1979年12月、三田明さんはテレビを観ながら食事の準備をしていました。すると、火にかけていた鍋の油から出火。気が動転した三田明さんは油に水をかけてしまいました。煮えたぎった炎と油がはね返り三田明さんの顔面を襲い、絶世の美少年だった顔を失いました。
三田明さんはその事故を境に死亡説までささやかれ、そのまま表舞台から姿を消しました。
三田明は今…
現在66歳となった三田明さんの顔には火傷の痕は残っていません。
実は顔面火傷のあと緊急搬送され、症状は皮膚から皮下組織にいたる火傷で顔面の皮膚移植もさけられない状態でしたが、医療スタッフの懸命の努力と幾度にもわたる治療で顔の皮膚は奇跡的に完治したのです。
そんな三田明さんの一番の楽しみは、行きつけのもんじゃ屋さんで楽しむ1人ビールだと言います。
悲劇の美少年歌手と言われた三田明さんの人生は、とんでもない不幸の連続でした。
借金1億5000万円
大火傷をおう前、人気絶頂だった1972年のこと。所属事務所が倒産。三田明さんがトップスターになったことにより所属事務所社長が事業が拡大したものの失敗。社長は失踪し、三田明さんには負債の督促状が届きました。
何と事務所社長が各所への支払い名義を三田明さんの名前で出していたのです。その額1億5000万円。三田明さんは車、マンションなど全ての財産を差し押さえられ極貧生活へと転落してしまったのです。
それでも、大好きな歌を続けるため個人事務所を立ち上げ借金返済を決意。しかし、決意から1年も経たない間にさらなる悪夢が三田明さんを襲いました。
ハイジャック事件
その日、三田明さんはコンサート出演のため飛行機で福岡へと向かう予定でした。しかし、羽田出発から約1時間後、ハイジャックが発生。羽田発福岡行きの日本航空351便がハイジャックされた日航機ハイジャック事件の便に三田明さんも乗っていたのです。
犯人は乗員・乗客に拳銃をつきつけ操縦室のドアを開けさせると機長にいったん羽田に戻って給油しキューバに向かうよう要求を叩きつけました。飛行機は急遽羽田に進路変更。羽田で犯人は逮捕され、事件は一人の負傷者も出すことなく解決しました。
たまたま居合わせた三田明さんは一躍時の人となりマスコミから取材が殺到。しかし、この時の記事で三田明さんはさらなる地獄に落とされてしまったのです。
実は三田明さんは騒動の中、爆睡していたため犯行を見ていませんでした。当然取材に対し多くを語れるはずもなかったのですが、記者が「あの時のスチュワーデスさんとお付き合いしたい」という記事を勝手に出したのです。そのせいでマスコミは「不謹慎きわまりない」「顔は良いが頭は空っぽ」と大バッシング。このせいで三田明さんの人気は急降下。そして顔面火傷が決定打となり三田明さんは表舞台から姿を消したのです。
三田明さんは歌う場所を求めて地方のキャバレーなどをまわりました。36歳で俳優に転身するもヒットに恵まれることはありませんでした。
1985年に17歳年下の女性と結婚。何とか稼がないといけないと49歳でなぜか手相の本を出版するものの失敗。
そんな時、声をかけてくれたのがかつてのライバル舟木一夫さんと西郷輝彦さんでした。舟木一夫さんは、どうしても三田明さんと一緒に歌いたいと自ら用意したステージに彼を誘いました。
こうして始まったコンサートは「BIG3コンサート」と銘打たれ今では大盛況。全国をまわり昔からのファンに元気な姿を見せています。
地獄を見た男・三田明さんは今、ファンを大切にしながら再び歌手としてスポットライトを浴びています。
「爆報!THEフライデー」
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