鹿沼絵理(かぬまえり)さんは1972年、20歳の時にモデルから転身し芸能界デビュー。1973年に「サインはV」で話題に。1976年「秘密戦隊ゴレンジャー」で一躍ブレイクしました。
1983年に5歳年下の俳優・古尾谷雅人(ふるおやまさと)さんと結婚。古尾谷雅人さんを支えるため鹿沼絵理さんは芸能界を引退し専業主婦に。しかし、2003年に古尾谷雅人さんが自殺。自宅で首を吊り45歳の若さで亡くなりました。
鹿沼絵理さんは結婚後、2人の子宝にも恵まれ公私にわたって夫を支え続けていました。当時、古尾谷雅人さんは役者として知名度が上がり仕事のオファーが殺到していました。
ところが、バブル景気の80年代、トレンディードラマが主流でしたが古尾谷雅人さんは役にこだわり気に入らない仕事は断るように。仕事の依頼は減り後輩たちに抜かれるプレッシャーに蝕まれていきました。
家にいる時間が増え、昼間から酒を飲み苛立つことが多くなってきました。そして、酔うと物にあたるように。さらに、家族に対しても声を荒げるようになり、DVが始まりました。
古尾谷雅人のDV
鹿沼絵理さんは何度も何度も顔を殴られたと言います。しかも、それは幼い子供が見ている前で行われました。しかし、暴力が治まった後は土下座をしてきたと言います。
芸能界から干され妻に暴力をふるう夫。それでも鹿沼絵理さんは「夫はすごい俳優、いつか必ず立ち直ってくれる」と信じていました。
ローン地獄&借金3億円
しかし、そんな鹿沼絵理さんをローン地獄が待っていました。結婚当初1億5000万円で購入した自宅マンションのローン、月100万円が払えなくなったのです。
また古尾谷雅人さんは外でも酔って暴れるようになり高額の請求が家計を圧迫。やがて住民税なども滞納し始めました。金目のものは全て売却し友人達に頭を下げて生活費を工面するように。
最終的に借金は3億円に。鹿沼絵理さんは家計を支えるため、自ら働きに出ることを決心。昼は介護の仕事、夜はスナックで毎日15時間以上働きました。
古尾谷雅人の自殺
一方、仕事がない古尾谷雅人さんは朝から酒を飲みテレビを観て過ごす日々。次第に死をにおわすようになりました。
そして2003年3月25日に古尾谷雅人さんは自宅の寝室で首をつり自らの命を絶ちました。
古尾谷雅人さんの死を発見したのは鹿沼絵理さんと息子さんでした。
母と父の死
古尾谷雅人さんの死から1年後、鹿沼絵理さんの母・節子さんが自殺未遂をおこしました。一命は取り留めたものの1年後に息を引き取りました。
さらに2005年には鹿沼絵理さんの父・宗三郎さんが後追い自殺。夫の死からわずか2年で両親も失ってしまったのです。
現在、鹿沼絵理さんは介護の仕事をしています。
「爆報!THEフライデー」
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