自らの人生に捧げた曲
「弦楽四重奏曲 第8番」は、5つの楽章を休むことなく演奏する約20分の作品です。重苦しい雰囲気で始まる第1楽章。冒頭の首題を4つの楽器が掛け合うように演奏しながら音楽は立ち上がっていきます。
注目すべきは冒頭の「レミドシ」という音。これはドミートリ・ショスタコーヴィチ(Dmitri S C Hostakowitsch)のイニシャルを表す暗号なのです。4つの音はこの後全ての楽章に何度も繰り返し登場し、この曲全体を貫いていきます。
1930年代のソ連は、スターリンが恐怖政治をしいていた暗黒の時代です。ショスタコーヴィチも自ら発表したオペラがきっかけで粛清の恐怖を味わっていました。激動の人生を刻み込むためなのか、ショスタコーヴィチはこの曲にそれまで発表した自分の作品をはじめ数多くの曲を引用しています。
特に印象深いのが第4楽章のメロディー。ソ連の民衆に愛された「革命歌」がもとになっています。もともとはロシア革命をたたえる歌でしたが、革命後も自分を含めた民衆たちは権力に苦しめられているという現状をメロディーにたくしたのかもしれません。
曲は第5楽章の終盤、もう一度「レミドシ」のメロディーを奏で静かに幕を閉じます。弦楽四重奏曲 第8番はまさにショスタコーヴィチが自らの人生に捧げた曲なのです。
3日で書き上げた魂の告白
弦楽四重奏曲第8番が誕生する背景には、ショスタコーヴィチを生涯悩ませた政治権力との確執がありました。
1960年6月、ショスタコーヴィチは最も信頼する親友グリークマンの来訪を待ちわびていました。グリークマンと会うなり、ベッドにうずくまって泣き崩れたショスタコーヴィチ。介抱して落ち着かせ話を聞いてみると、「共産党に入党しなければいけない」と寂しげに答えたと言います。
当時の最高権力者フルシチョフは、ショスタコーヴィチに名誉あるポストを与えるかわりに共産党に入党するよう何度も圧力をかけていました。スターリンの時代も権力とはギリギリの距離を保ってきたショスタコーヴィチ。最後のプライドとして大切にしてきた党にだけは入るまいという信念も奪われようとしていたのです。
悩みを抱えたまま仕事でドイツのドレスデンに向かったショスタコーヴィチ。そのつらい気持ちを吐き出すかのように旅先で作曲に取り組みました。そして、わずか3日で書き上げたのが「弦楽四重奏曲 第8番」なのです。作曲していた時の様子をグリークマンへの手紙で記しています。
この弦楽四重奏曲の馬鹿げた悲劇性があまりにも重く大きかったので、私は作曲しながらビール半ダース飲んだ後の小便ほどの涙を流しました。
(グリークマンへの手紙より)
スターリンという大きな壁がなくなった後も、なお権力からの抑圧と戦い続けざるおえなかったショスタコーヴィチ。第4楽章に引用された「革命歌」の悲しげなメロディーは、ショスタコーヴィチ自身の気持ちの反映なのかもしれません。
「ららら♪クラシック」
ショスタコーヴィチの弦楽四重奏曲 第8番
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