寺田理恵子の泥沼人生…略奪婚&父娘の確執&夫の突然死|爆報!THEフライデー

寺田理恵子(てらだりえこ)さんは1961年、東京で生まれました。父は鋼材会社社長、母は専業主婦、3人兄弟の末っ子として愛を注がれ、中学・高校は東京女学館、大学は聖心女子と筋金入りのお嬢様として育ちました。

大学卒業後は、フジテレビに入社。育ちの良さを物語る優しい笑顔と清楚なキャラクターで大ブレイク。アイドルアナの先駆けとなりました。そして1989年、テレビ番組製作会社のディレクターと結婚し寿退社。翌年には長女・由里絵(ゆりえ)さんを出産しました。

出産後、フリーのアナウンサーとして仕事復帰した寺田理恵子さんは、朝の帯番組の司会など売れっ子に。夫婦生活は完全なすれ違いとなり5年で別居生活に。そして、1998年に7歳の長女を連れシングルマザーになる道を選びました。その後は娘を両親に預け仕事に没頭。そんな中、仕事で大手広告代理店に勤務していた山下徹(仮名)と出会いました。

山下は出会った日から毎日のように寺田理恵子さんの猛アプローチしてきました。そして2人の交際がスタート。山下はいつも娘のことを気にかけてくれたと言います。そして2人は婚約しました。ところが婚約から3か月後、山下に妻子がいることが判明。この事実にマスコミは大騒ぎ。「骨肉愛憎婚」「略奪婚」など容赦なく叩かれました。

寺田理恵子さんは婚約を破棄しようとしましたが、山下は離婚調停中だと謝ってきました。必死で頭を下げ続ける姿に山下の言う事を信じることにしました。そして山下の離婚成立後、2人は結婚し、寺田理恵子さんは芸能界を引退しました。

ところが結婚から半年後、夫は会社の経費を水増し請求し解雇されました。略奪婚の末のスキャンダルとあって、寺田理恵子さん自身も毎日のようにマスコミに追い回されました。夫は再び必死に頭を下げてきました。普通なら見限るところですが、寺田理恵子さんはもう一度夫を許しました。その後、夫は別会社に再就職しました。

1年後の2001年に次女が誕生すると、再び夫に裏切られてしまいました。長女の由里絵が妹に触れようとすると夫が「さわるんじゃねえよ!」と暴言を吐いたのです。さらに、長女が大事にしていた人形や、可愛がっていた猫を捨てたのです。

実は夫は極度の潔癖症でした。さらに、長女のことは「由里絵」と呼ぶのに、次女には名前に「様」をつけ、明らかに区別を付けていました。夫は自分の子どもが生まれたことで、寺田理恵子さんの連れ子だった由里絵に対し嫌悪感をむき出しにしてきたのです。以来、長女は夫に口を開くことはなくなり、完全に心を閉ざしてしまいました。

すると、夫の行動はさらにエスカレート。何と長女を除け者にして3人で家族旅行に行こうとまで言い出したのです。そんな中、由里絵が激しい腹痛を訴え緊急入院。原因はストレス性の胃腸炎でした。まだ小学校6年生だった長女の心は限界を超えていたのです。

寺田理恵子さんは、自分だけが知る夫と娘それぞれの良い面を毎日2人に伝え続けました。それは8年にも及びました。すると、ある日突然、夫が家族4人で旅行に行こうと提案してきたのです。そして2012年11月3日、家族4人の旅行が実現しました。しかし、これが4人で行った最後の家族旅行となってしまいました。わずか1か月後の2012年12月10日、夫が大動脈瘤破裂で倒れ亡くなったのです。

その後、寺田理恵子さんは事務員として時給1000円のパート生活に。2014年には芸能界に復帰しました。一方、長女はシンガーソングライターに。自らの経験を歌にする人生を選びました。

「爆報!THEフライデー」

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