全国各地に存在する魔のトンネルには、幽霊や怪奇現象の噂がつきまといます。トンネルは怪談話を特集する雑誌やインターネットで、最も恐ろしい場所として取り上げられます。
現在、日本全国60ヶ所以上のトンネルで恐ろしい怪奇現象の噂が、それぞれの場所にまつわる因縁話と共に語られています。
東京都西部のFトンネルに夜な夜な現れるのは白い服を着たの少女の霊。彼女はトンネル近くで起きた殺人事件の被害者で、目撃した人には不幸が襲うと言います。
原因不明の事故が多発すると噂の群馬県東部Sトンネルに現れるのは落武者の亡霊。このトンネルは古戦場近くにあり、討ち死にした武士たちの怨霊が事故を引き起こしていると言います。
東京都の墓地の下を通るといわれるトンネルでは、走る老婆が車を追いかけてくると言います。なぜお墓の下で走る老婆なのか理由は不明です。
神奈川県のとあるトンネルは、人気タレントや日本を代表する作家も関わった有名な場所。60年以上、様々なタイプの怪奇現象に変化し語られ続けています。
ケース❶現在
現在、語られているこのトンネルの恐怖は次のような衝撃的な話です。
夜トンネルにやってきた若者たち。トンネルに入ると突然車が停車。フロントガラスに血の塊が。さらに、車めがけてバラバラ死体が落ちてくるのです。
「私たちの百物語」渡辺節子編より
あまりに現実離れした都市伝説ですが、この話に似た事件を実際に体験したという証言があるのです。
今から40年程前、ある女性タレントが次のような恐怖体験を雑誌やテレビで語り話題になりました。
ケース❷昭和50年
昭和50年、この女性タレントはトンネルに幽霊が出るという噂話を聞いて霧雨の夜、仲間と肝試しに訪れました。すると、突然フロントガラスに青白い手のひらが浮かび上がりました。さらに、屋根に何かが落ちてきた衝撃…
この体験談に尾ひれがついて、バラバラ死体が落ちてきたという現在の話になったと考えられます。
女性タレントがトンネルを訪れたのは幽霊の噂話を聞いたからでしたが、その元々の幽霊話に関わっていたのが文豪の川端康成。昭和28年に発表された短編小説「無言」は、川端康成が地元のトンネルにまつわる噂話を小説に反映させたと言われています。
ケース❸昭和20年代
小説にはこう書かれています。
トンネルの手前に火葬場があって、近頃は幽霊が出るという噂もある。夜中に火葬場の下を通る車に若い女の幽霊が乗ってくるというのだ。
川端康成「無言」
そして実際に主人公が夜にタクシーに乗りトンネルに入ると、女性の幽霊が座っていたという話になっています。
自動車にいつの間にか幽霊が乗り込んでいるという感覚は民俗学の研究によると、自動車が登場するはるか以前から日本人の意識に刷り込まれていると言います。
タクシー幽霊の都市伝説は、日本に自動車が普及し始めた昭和初期から全国的に語られるようになりました。タクシー幽霊と現代のトンネルのグロテスクな怪談。そこにはどのような繋がりがあるのでしょうか?
トンネル恐怖話を検証
20年以上に渡りミステリースポットの現場検証を行い解明してきた作家の広坂朋信さんは、トンネルにおける恐怖話の変化は実はトンネル自体が変化したことに関係していると言います。
川端康成が小説で取り上げた昭和20年代、現場周辺には2本のトンネルがありタクシー幽霊の噂話は火葬場近くのトンネルが舞台だと思われます。
ところが昭和41年、2つのトンネルの間を繋ぐ新たなトンネルが開通。連続する3つのトンネルが直線で結ばれ、その後女性タレントが謎の落下物に襲われるケースが発生。その謎を解くヒントは、2本目と3本目のトンネルの入り口にあると広坂さんは推測します。
霧雨の夜トンネルを走る車は1本目と2本目の間で水滴か油が落下、手のひら状に広がり、それがトンネルの外だと気づかず驚いたまま2本目のトンネルを通過。そして3本目の入り口でもトンネル内だと思っているところにレンガなどが落ちてきたとしたら、その驚きは並大抵のものではありません。
昭和50年頃はテレビタレントの発言力、影響力が大きい時代だったため、怪談が普及していったと考えられます。
まとめ
私たちは自動車の中を安心できるプライベート空間と感じています。しかし、それがトンネルという異世界に車ごと入っていくと、一瞬にして逃げ場所のない閉鎖空間へと変わってしまいます。
そうしたうっすらと感じる恐怖心が、トンネルでの恐ろしい錯覚を生み出し都市伝説として広めていく原因と言えるのです。
「幻解!超常ファイル ダークサイド・ミステリー」
検証!魔のトンネル伝説
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