エドワード・ホッパーは、20世紀のアメリカを代表する画家です。「ナイトホークス」は縦84cm、横152cmの油彩画です。舞台は路地裏にあるダイナーと呼ばれる食堂。ナイトホークスとは「夜更かしをする人々」という意味です。
少し変わった三角形のカウンターに3人の客と給仕をするボーイが一人。奥に座るカップルの2人は、どこかよそよそしい雰囲気です。男はタバコに火をつけたままうつろな眼差し、鮮やかな赤いドレスの女も退屈そうです。
そして画面中央には背を向けて座る男。誰一人視線を交わすことなく、各々が物思いにふけっているのです。店内からこぼれる柔らかな光が夜の闇の深さを強調しています。
20世紀のアメリカンアートは、エドワード・ホッパーから始まったと言っても過言ではありません。そして「ナイトホークス」は今も多くのアーティストたちに影響を与え続けています。エドワード・ホッパーの作品はよく「映画のワンシーンのようだ」「様々な物語が立ち上がってくる」と言われます。
私自身の内面的な反応をキャンパス上に表現することが私が絵を描く目的である。
(エドワード・ホッパー)
ダイナーとは、カウンターのある小さな食堂のこと。気取らない雰囲気で安くて美味しい料理が食べられることから、若者から年配の人までが集うサロンのような場所です。ダイナーが流行し始めたのは「ナイトホークス」が描かれた1940年代のこと。当時のアメリカを代表する風景だったのですが、エドワード・ホッパーは何とも寂し気な一枚に描き上げました。
20代の頃のエドワード・ホッパーはフランス絵画に強い憧れを抱き、何度かパリに留学しました。その頃描いた「カルーゼル橋とオルレアン駅」どこか印象派を意識した明るい画面からは、光とたわむれることの喜びが伝わってくるようです。しかし、ほどなくしてエドワード・ホッパーは突如その画風を捨て去ってしまいました。
エドワード・ホッパーは、ヨーロッパにはないアメリカならではの風景を探し始めました。20世紀初頭のアメリカは黄金の時代です。高層ビルが次々と建ち並び、高速道路が作られ街は大きく変貌をとげていました。そんな時代にエドワード・ホッパーは、繁栄の影にあるささやかな日常の風景に目を向けたのです。
語り掛けてくる小道具
エドワード・ホッパーが描く人物は、まるで人形のようにみな無表情です。ところが、それとは対照的にその人物を取り巻く小道具が語り掛けてくるのです。様々な小道具が相まってミステリアスな場面を作り出し、見るものの想像力をかきたてるのです。では「ナイトホークス」の場合はどうでしょうか?
例えばカップルの前に置かれたコーヒーカップの位置は、ずいぶん離れています。まるで2人の心の距離を暗示しているかのようです。
誰もいないはずの席には、なぜかコップが1つ。2つ並んだコーヒーマシンに、向かいの店に置かれた小さなレジスター。何気ない小道具たちが真夜中のダイナーを彩ります。
エドワード・ホッパーの研究家として知られるゲイル・レヴィンは「ナイトホークス」について興味深い説を立てています。それはゴッホの「夜のカフェ」から着想を得ているというもの。ゴッホは南フランスのアルルで夜のカフェの風景をいくつか描いています。エドワード・ホッパーは、若き模索の日々に憧れた印象派の作品に触発されたのかもしれません。しかし、ゴッホとは全く違う世界観をキャンバスに込めていました。
ニューヨーク・ワシントンスクエア3番街にエドワード・ホッパーのアトリエが残されています。あまり社交的ではなかった彼は、妻と2人つつましく暮らしながらアトリエで絵を描くことが唯一の喜びでした。その目は夜の散歩者となって大都会を歩き回りました。
エドワード・ホッパーは夜の光に強く惹かれていました。そして暗闇と照明が作り出すコントラストを使って大都会の風景を描きだしたのです。
(ダグラス・ドルイック)
エドワード・ホッパーは「ナイトホークス」についてこう言っています。
おそらく無意識のうちに大都会の孤独を描いたのだろう。
(エドワード・ホッパー)
もしかしたら背中を向けた男は、エドワード・ホッパー自身の後ろ姿の自画像なのかもしれません。そして男と同一線上に描かれているのがレジスターです。繁栄と消費とやるせない寂寥は、自画像と並ぶもう一つの孤独です。
晩年のエドワード・ホッパーは、ニューヨークのアトリエと海がのぞめる別荘とを行き来しながら、全身に陽光を浴びるような眩い作品を描き続けました。
「美の巨人たち」
エドワード・ホッパー「ナイトホークス」
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