萩原正人(はぎわらまさと)さんは、1987年に「キリングセンス」を結成。しかし、萩原正人さんの芸人人生は壮絶な病との闘いの連続でした。
1990年代初頭、当時高校生だった現在の妻・美香さんは深夜番組に出演する萩原正人さんのファンでした。もともと引っ込み思案だった美香さんはテレビに映る萩原正人さんの姿に元気をもらい明るく前向きになれたと言います。そして送ったファンレターにも丁寧に返信してくれる萩原正人さんの存在は日に日に大きくなっていったと言います。
末期の肝硬変に…
しかし1998年、萩原正人さんは突如テレビから姿を消しました。その原因はB型肝炎が悪化したことによる末期の肝硬変でした。医者からは余命半年を宣告されていました。肝臓移植も考えましたが、当時B型肝炎患者は肝臓移植をしてもウイルスによって再び肝炎を再発するため臓器移植はできないと考えられていました。
絶望の日々を過ごしていた萩原正人さんですが、彼のために爆笑問題の太田光さんが立ち上がりました。太田さんはB型肝炎について独自に調査し、移植学会で発表されたばかりの最新論文を発見。肝炎患者でも臓器移植できる方法を探し当てていました。
さらに海外での臓器移植を実現するため非営利団体「トリオ・ジャパン」を紹介。萩原正人さんは余命宣告から2ヶ月後に海外移植を決意しました。
そして海外移植にかかる費用6000万円を集めるため公開募金を開始しました。これを知った美香さんは、給料の中から毎月1万円を寄付し続けました。
そして募金を呼びかけて1年、海外移植に必要な資金が集まり1999年アメリカ・ダラスへ。しかし、病院から告げられた臓器移植の順番は23番目で、手術予定日は1年半後。それまで萩原正人さんの命が持つかどうかは誰にも分かりませんでした。
日を追うごとに萩原正人さんの容態は悪化し、大量の腹水がたまるように。そして肝硬変の合併症である肝性脳症を発症。痛みに苦しみ錯乱状態となり、何度も大量のモルヒネを投与しました。
さらに、肝硬変の治療に使う利尿剤の過剰摂取で腎不全を併発。肝臓も腎臓も機能不全に陥り絶体絶命の事態に。
移植手術
ところが、脳死した男性から肝臓と腎臓が提供されることに。すぐさま緊急手術が行われ、海外で日本人初となる肝臓と腎臓の同時移植手術が行われ一命をとりとめました。
美香さんはおもちゃ会社に就職しましたが、私生活では萩原正人さん以上の運命の人は現れず独身のままでした。一方の萩原正人さんは体のこともあり芸人の道を諦めライターへと転身。2人はそれぞれの道を歩み12年の月日が流れていきました。
妻との出会い
2012年、出勤途中の美香さんの目に飛び込んできたのは萩原正人さんでした。信じられない出会いに思わず美香さんは声をかけました。そして高校生から大ファンだったこと、ファンレターに返信をもらったことなど自分の淡い思い出を萩原正人さんに伝えました。
この日以降、2人の距離は徐々に縮まっていきました。
しかしこの時、萩原正人さんは腎不全を再発しており週3日の人工透析が欠かせない状態に。食事制限があるため外食もままならず、普通のカップルと同じ生活を送るのは困難でした。
美香さんは萩原正人さんを支えていくことを決意。そして2015年3月13日、3年の交際期間を経て2人は結婚しました。
妻からの腎臓移植
婚姻届けを出した帰り道、美香さんは自分の腎臓を移植することを提案しました。実は2010年に夫婦など親族間での優先的な臓器提供が可能に。それを知った美香さんは結婚前から腎臓移植の適合検査を含め、密かに腎臓移植の準備を整えていたのです。
萩原正人さんは悩みましたが「手術をしないことで妻は後悔するかもしれない」と思い腎臓移植を決意しました。しかし腎臓移植は提供者にも様々なリスクが待ち受けています。
移植により2つある腎臓が1つになることで臓器提供者の腎機能が70%程に低下します。そのため移植後はタンパク尿や高血圧になるリスクも高まり心臓病や慢性腎臓病に進行することもあります。残っている1つの腎臓に問題が生じると人工透析を受けなければならないこともあります。
美香さんには手術前にどうしてもやっておきたいことがありました。それは結婚式。手術3週間前の2015年11月21日、2人は結婚式を挙げました。
そして2015年12月10日、腎臓移植は夫婦共に無事成功。手術から1ヶ月、美香さんの腎臓が適合し、水分の制限がなくなり普通の食事ができるように。人工透析を受ける必要もなくなりました。
現在、萩原正人さんはライターの仕事を再開し普通の日常を送れる喜びをかみしめています。
「爆報!THEフライデー」
この記事のコメント
私は昔にこの本と出逢い、子供が10万人に一人の病気でアメリカ式に手術後過ごさせて4度手術をしましたが、大変元気です。今度は父に臓器提供します。
本当に良かったですね。
私も子供の時小学校1年の時から、人工透析に入り一度目は事故で亡くなったかたからの腎臓をもらい移植をしました。命を二つ頂きそのあと、腹膜透析になりその後血液透析になり、血管のトラブルと、毎週血管の拡張手術本当に嫌で死にたかったです。辛くて大変な事良く私も分かります。萩原さんも無理をせず体を気遣って下さい。いつも活躍を応援しています。