元ものまね芸人の佐伯玲子(さえきれいこ)さんは、80年代後半モノマネでブレイク。その後も数々のモノマネ番組で活躍しましたが、90年代後半テレビから姿を消しました。
現在51歳になった佐伯玲子さんは、シングルマザーとして12歳の息子と2人で暮らしています。なぜ彼女は芸能界から姿を消したのでしょうか?
芸人として不安の日々
1988年、当時24歳だった佐伯玲子さんはホリプロお笑い班の一期生でした。ホリプロは期待の新人として佐伯玲子さんを猛プッシュ。モノマネ番組だけでなく新人としては異例の女優デビューも。
しかし、佐伯玲子さんは常に期待されるプレッシャーと人気がいつまで続くのか不安な日々を過ごしていました。
新興宗教の集会へ
芸人としての自信が揺らいでいた2年目のある日、偶然「お墓参りに行くだけで凄いエネルギーがもらえる」という会話を耳にしました。この言葉が佐伯玲子さんの心の隙間に入り込みました。会話をしていたのは東京に本部を構える教団Xの信者でした。
1990年代初頭、バブルが崩壊し社会全体が不安に包まれ新興宗教が次々と設立されていました。教団Xもこの時期に存在した新興宗教の一つでした。後日、佐伯玲子さんは集会に参加しました。
教団Xの教祖は当時40代後半の女性で、信者数は200人程度でした。教団の教えは「お墓を大切にする」というもの。お墓参りに行けば先祖のエネルギーを貰えるというシンプルな教えでした。
しかも、入会金やお布施の強要は一切ありませんでした。その手軽さから佐伯玲子さんは週2回行われる集会に行き話を聞くように。そして東京から先祖の眠る四国のお墓へ。
ある集会でリウマチで立てないほど膝の痛みがある女性の足に教祖が触れると、女性が自然と立ち上がりました。教祖いわく波動と呼ばれるもので宇宙からのエネルギーを教祖の手を通じ送り込んでいるんだとか。またお腹の赤ちゃんに障害のある可能性が高いと言われた女性に波動を送ると元気な赤ちゃんが産まれたと言います。
教団を盲信
多くの奇跡を目撃し教団を盲信するようになった佐伯玲子さんは、お墓にお供えするお札(2000円)1本1万円のお神酒、教祖のパワー入りペンダント(3万円)を購入。すると不思議なことに知り合いの芸能関係者から脚本の仕事がまいこんできました。これにより佐伯玲子さんは仕事が来たのは教祖のおかげだと思い込むように。
すると行動はエスカレート。年1回開かれる教祖が身に着けていた衣類や装飾品のバザーで先を争うように手を伸ばしました。
入信から4年、佐伯玲子さんはプロレスラーの男性と結婚。しかし、なかなか子宝には恵まれませんでした。子供が欲しかった佐伯玲子さんは集会の度に波動を入れてもらいました。
入信から13年、39歳で男の子を授かりました。そして夫と息子も教団Xに連れて行くようになり、家族崩壊の引き金となりました。
教祖を信じて手術拒否
入信から18年目、11cmの子宮筋腫ができてしまいました。医師から全摘出を進められたものの拒否。佐伯玲子さんは病気のことを教祖に相談していたのです。教祖から波動エネルギーとお墓参りで治すよう提案されました。
夫は何度も手術をするように説得しましたが、佐伯玲子さんは聞く耳を持ちませんでした。そんな彼女に耐えられなくなった夫は離婚をつきつけ、佐伯玲子さんはシングルマザーに。その結果、生活も一気に苦しくなりました。
しかし、母が援助してくれたお金まで教団につぎこむように。子宮筋腫は改善することなく肥大し続け直径30cmにも達していました。
さらに、佐伯玲子さんはバセドウ病も発症。転倒し手首を骨折。負の連鎖を断ち切るために何度も墓参りに行きましたが、逆に精神状態が不安定になりました。
目が覚める!
入信から22年目、教団Xが所有する富士山の麓の保養所で行われる一泊二日の波動合宿ツアーに参加(2万6000円)。一日中、教祖の波動を体に注入してもらいました。ところが帰宅後、佐伯玲子さんはノロウイルスに感染。
このことで目が覚めた佐伯玲子さんはすぐさま手術を受けました。取り出された子宮筋腫は直径30cm以上、重さ6.5kgにも達していました。
最終的に佐伯玲子さんが教団Xに費やした金額は1000万円以上だそうです。
脱退後
教団を脱退してから3年、平穏な日々を取り戻した佐伯玲子さんはタレントスクールでお笑い講師をつとめています。
さらに、オリジナルのエアロビクス「賛美クス」も考案。多くの人に楽しさを広げています。
「爆報!THEフライデー」
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