市川由紀乃の壮絶人生…母との確執・極貧生活・涙の懺悔…|爆報!THEフライデー

TBSテレビの「爆報!THEフライデー(ばくほうザフライデー)」で市川由紀乃さんの壮絶人生について放送されました。

 

市川由紀乃(いちかわゆきの)さんは1993年、17歳の時に演歌歌手としてデビュー。その後、長い下積み時代を乗り越え2016年に紅白初出場を果たしました。透き通った歌声と美貌で一躍人気に火がつき、2年連続紅白出場という快挙を達成しました。

 

そんな市川由紀乃さんは現在42歳、独身。埼玉県で暮らしながら全国のイベントを飛び回っています。しかし、笑顔の裏側に今まで決して語ることのなかった闇を抱えていました。

 

市川由紀乃さんの母・栄子さんが結婚したのは1969年、25歳の時です。一男一女の子宝に恵まれ、長女として生まれたのが市川由紀乃(本名・松村真利)さんでした。しかし、幸せだった家族の生活は離婚で一変。市川由紀乃さんが中学1年生の時に離婚した栄子さんは2人の子供を育てるシングルマザーに。週6日、不動産の営業事務として働きなんとか生計を立てていました。彼女の家にはもうひとつ大変なことがありました。長男が脳性まひだったのです。7歳年上の浩司さんは左半身が麻痺し、成人しても学習能力は小学生レベルのまま。日常会話もおぼつかない状態でした。しかし、栄子さんは仕事で家にいないため、兄の世話はほとんど市川由紀乃さんの役目でした。さらに、兄が外出するときは迷子にならないよういつも付き添っていました。

発作ではないんですけど、「わっ」みたいな声を急に。周りの人はびっくりしますし、視線はもちろん浴びることは多かったです。

(市川由紀乃さん)

思春期の市川由紀乃にとって時に兄の行動が恥ずかしくなることもあったと言います。さらに、母にとっては障害のある兄のことが最優先で市川由紀乃さんのことはその次。テニス部に所属していましたが、ラケットもユニフォームも買ってもらうことはできず全て先輩から借りていました。栄子さんがいくら働いても生活は楽になることはなく、いつしか長年の疲労がたたり慢性的な体調不良に。手元に残っていたのは数日すごせるかどうかのわずかの貯金でした。

 

栄子さんは一か八か、市川由紀乃さんを地元のカラオケ大会へ連れ出しました。目的は参加賞の食材でした。市川由紀乃さんは見事優勝。これをきっかけにカラオケ大会があると聞けば嫌がる娘を参加させ、食べ物だけでなく生活必需品もまかなうように。

恥ずかしいなんて言ってられないよ。あんまり泣いてまとわりつくもんで「あんたね、お母さんの子じゃないんだよ。育ててもらってるだけありがたいと思いなさい。」

(母・栄子さん)

自分の不甲斐なさを隠すように娘に強く当たってしまうこともあったと言います。

 

そんなある日、カラオケ大会で偶然歌声を聞いていた芸能事務所の社長からスカウトされ、17歳で演歌歌手デビューしました。歌手になったことを喜ぶ母の前で市川由紀乃さんは薬剤師になる夢を言い出せず高校を中退。兄と母を自分で養っていくことを決意したのです。しかし、彼女に待っていたのは演歌界の厳しい現実でした。

 

デビュー直後は17歳という物珍しさもあり新人賞を受賞し話題になりましたが、その後はヒット曲を出せず全国をまわってCDを手売りするドサ回り。誰も認めてくれる人はおらず、プロの演歌歌手というのは肩書きだけでした。そして、いつしか自分を頼りにしてくる母親との間で言い争いが絶えなくなりました。デビューから9年後、市川由紀乃さんは芸能界を引退しました。しかし、家族を支えるという呪縛からは逃れることができませんでした。

 

市川由紀乃さんは恋愛も封印し、ただ家族を養うためにアルバイトに明け暮れるようになりました。そんなある日、歌手を辞めたことを伝えていなかった兄に「次いつCD出すの?」と聞かれました。思わず「来月出すことになったよ」とウソをつくと、兄は大喜びしてくれました。

その時の兄の万歳は忘れることができないですね。

(市川由紀乃さん)

歌手としての市川由紀乃さんを誰よりも応援してくれていた兄のためにも、もう一度演歌歌手の道へ。

ところが2008年、兄が敗血症を発症し容態が急変。39歳の若さで亡くなりました。しかし、お墓を買うお金がありませんでした。そのため、母は遺骨を抱え泣き続ける日々。市川由紀乃さん自身も歌手を続けていく目標がなくなってしまったと言います。

 

そんな時、生前兄からもらった手紙を見つけました。

ゆきのちゃん かようコンサートいっぱい声が出るようにおいのりします。えがおもわすれないでね。ぼくがまりちゃんをぜったいまもります。

松村浩司

市川由紀乃さんは兄の想いを胸に2つの大きな目標をさだめました。1つは紅白歌合戦出場。そして、もう1つが兄のお墓をたてることでした。市川由紀乃さんは洋服も買わず、食費をギリギリまで切り詰めながら年間200件以上も全国をドサ回りする生活を続けました。こつこつ貯金しながら手が届く墓地を探しまわりました。そして兄の死から1年3カ月後、必死に貯めた150万円で浩司さんのお墓を購入しました。すると、墓を買ってから市川由紀乃さんの身に不思議と良いことが起こり始めました。

 

2014年、日本レコード大賞に初選出され、翌年にはオリコンで1位を記録。そして2016年、紅白歌合戦に初出場することが決定しました。晴れ舞台で市川由紀乃さんは、兄が書いてくれた手紙を胸元にいれ天に届けと精一杯の歌声を披露しました。しかし、母・栄子さんは紅白出場を素直に喜べずにいました。

歌手になって良かったのかなって寝顔を見るたびにずっと思っていました。

(母・栄子さん)

栄子さんの胸には常に自責の念があったと言います。栄子さんは懺悔の言葉を市川由紀乃さんに伝えました。

 

2017年12月31日、紅白出場の直前、栄子さんに市川由紀乃さんからメールが送られてきました。

あと少しで本番です。今年も大晦日に歌える喜びを噛みしめ、感謝の気持ちでステージに立ってまいります!私は、歌手になれて本当に良かったよ。栄子ママ♪ありがとう!

どん底時代、日々の糧を得るため娘に歌わせていた後ろめたい思い。薬剤師の夢を諦め高校を中退。演歌の道に進ませてしまった過去。栄子さんは自分の人生を家族のために費やしてきた娘に常に罪悪感を感じていました。しかし、市川由紀乃さんのメールが全ての後悔から救ってくれました。




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