ツタンカーメンの謎 ~死の真相に迫る~|地球ドラマチック

今から約3000年前、古代エジプトに19歳で生涯を閉じた若き王がいました。歴史から忘れ去られた王は、数千年の眠りを経て黄金のマスクと共に姿を現しました。

しかし、ツタンカーメンの生涯と早すぎる死の原因は、長い間なぞのベールに包まれてきました。今、最新の科学がその謎に挑み新たな手がかりが次々と発見されています。

墓は「王家の谷」に

王家の谷は古代エジプトの歴代の王が最期の眠りについた場所です。ツタンカーメンの墓は1922年に王家の谷で見つかりました。

発掘したのはイギリスの考古学者ハワード・カーター。墓からは若き王のミイラが発見されました。王の顔は黄金のマスクで覆われ周りは副葬品の山で埋め尽くされていました。

ハワード・カーター

この衝撃的な発見によってツタンカーメンの名前は世界中に知れ渡ったのです。ツタンカーメンのミイラは今もその墓に安置されています。

ツタンカーメンの墓は古代エジプトの歴代の王の墓に比べると小規模で、壁画などの装飾も少なく簡素な作りです。1922年に発見されたツタンカーメンの副葬品は5000点以上にのぼりました。

死因は暗殺?

ツタンカーメンの死因について長年ささやかれてきたのは暗殺説です。1968年、遺体のレントゲン撮影が行われた際に頭蓋骨の内部に奇妙な骨のかけらが見つかったからです。後ろから殴られた証拠のようにも見えます。一体誰が王を殺そうとしたのでしょうか?

古代エジプトのファラオは、一国の主導者であるばかりではなく生ける神として崇められていました。ファラオを殺害するには余程強い動機があったはずです。

ツタンカーメンが即位する十数年前、時の王アクエンアテンは砂漠の真ん中に新しい都を築きました。理由は太陽神アテンを祀るためです。アクエンアテンは太陽神アテンこそがエジプトの唯一の神であると宣言し、古来の神々の神殿をアテンのためだけに作り変えました。それは宗教革命を引き起こしました。

当時の記録がアマルナの遺跡に残っています。石碑には太陽神信仰の元となった幻覚めいた宗教体験が書かれています。

アクエンアテンの後を継いで混沌とした国を治めたのは、まだ10歳にも満たないツタンカーメンでした。幼い王を補佐する後見人たちは、玉座の影で実権を握ろうとしたでしょう。

そして10年後、暗殺説によれば成人になったツタンカーメンが権力を強めるのを恐れて、後見人の誰かが王の頭部に強烈な一撃を加えたのです。暗殺説は長年有力とされてきました。

暗殺説を検証

ツタンカーメンのミイラから立体画像を再現し解剖学的に調べる試みが始まりました。放射線科医師のアシュラフ・セリームは、暗殺説が事実かどうかを明らかにする重要な手がかりを発見しました。頭蓋骨の内部に見つかった骨のかけらには埋葬の際の防腐処理剤がついていなかったのです。

もし頭を殴られて致命傷を負ったのであればミイラにする際の防腐処理剤が割れた頭蓋骨内部に流れ込んだはずです。骨のかけらに何もついていないとなると遺体がミイラ化された後に入り込んだもので王の死因とは無関係となります。

死因は事故?

ツタンカーメンの左の膝には骨折したあとがありました。ツタンカーメンは骨折して間もなく亡くなり、そのままミイラにされたと考えられました。この骨折は死因に関係している可能性が大いにあります。しかし、なぜそのような怪我をおったのでしょうか?

5000点以上ある王の副葬品の中には豪華な馬車が6台もありました。古代エジプトでは馬車は狩りや戦闘に使われました。これらの品を証拠として、ツタンカーメンが馬車による事故によって亡くなったという説もとなえられてきました。

左足を痛めていた!

実はツタンカーメンの左足には骨折の他にも重大な問題がありました。左足のねじれです。これは内反足という状態です。またツタンカーメンはケーラー病を発症していたと考えられます。

ケーラー病は歩行に支障をきたす病気です。骨が衰え体を支えられなくなるからです。ツタンカーメンは足に障害があり歩くのに苦労していたのです。その証拠とも言えそうな品がツタンカーメンの墓から見つかっています。それは約130本もの杖。先が磨り減っているものもあります。

歩くのも困難だったツタンカーメンが馬車が乗りこなすことができたのでしょうか?解剖学的なデータは王の暗殺説と馬車による事故死説をともに退けました。では本当の死因は何でしょう?

ミイラのDNAを解析!

ツタンカーメンのDNAは、これまでよく分からなかった父親と母親についての情報を与えてくれました。

ツタンカーメンの前の王アクエンアテンは、ツタンカーメンの父親とも言われますが決定的な証拠はこれまでありませんでした。しかし、2人のY染色体を調べることで、親子であることが判明しました。

残る謎は母親が誰かということ。有力候補はアクエンアテンの妻である王妃ネフェルティティです。しかし、アクエンアテンには他に何人もの妻がいました。

生みの母親は誰?

王家の谷にあるアメンホテプ2世の墓には、王ばかりでなく王族の人間と思われる数々のミイラが安置されていました。床にあったのは年配の女性、少年、年下の女性のミイラ。この年下の女性のミイラが誰なのか記録はありません。しかし、王家の墓に安置されたのは重要な人物であった証拠です。

年下の女性のミイラは、CTスキャンによる画像検査で後頭部に特徴のある小さな骨が見つかりました。ツタンカーメンにもよく似た骨が見つかったため、2人の関連性を詳しく調べることになりました。

DNA鑑定の結果、年下の女性はツタンカーメンの母親であることが判明しました。発見された事実はそれだけではありませんでした。

両親の秘密が明らかに!

アクエンアテンと年下の女性の遺伝子を調査した結果、2人は実の兄妹であることが判明しました。古代エジプトでは近親婚はよくあることでした。古代エジプトの王たちは近親婚によって王家の神聖さが保たれると信じていたからです。

しかし、現実には逆効果でした。DNA調査の結果、ツタンカーメンの死因には近親婚による重大な影響があったという説が浮かび上がりました。

本当の死因は?

ツタンカーメンは19歳で突然亡くなり、慌しく埋葬されました。膝には致命的な骨折が認められます。左足は骨の病気により曲がり歩行が困難でした。そして、両親が近親婚であるという事実。それらは何を物語るのでしょうか?

新たに見つかった手がかりの全てを繋ぎ合わせ、画期的な説を提唱しているのは外科医師のフタン・アシュラフィアン博士です。

ツタンカーメンの一族は若くして亡くなった人が多くいます。ツタンカーメン自身も父親のアクエンアテンも曽祖父も早く亡くなりました。

一説によればツタンカーメンは父よりも短命で、父は祖父よりも短命でした。その事実は家族にある病気が受け継がれていたことを示唆するというのです。当時の美術品の中に手がかりがあります。

遺伝病を診断

アクエンアテンの彫像は腰周りが大きく女性的です。アクエンアテンは生前、自らの姿を正しく残すよう命じていたと言われています。同様の特徴は他の王にも認められます。

また、近年ツタンカーメンの墓にあった腰布を調べたところ、腰周りがかなり大きかったことが判明しました。ホルモンのバランスが崩れると男性でも女性的な体型になります。

死をもたらした病気とは?

ギザのスフィンクスは今から約4500年前に作られました。それから1000年以上の後、砂に埋もれていたスフィンクスを掘り出させたのはツタンカーメンの曽祖父トトメス4世だと言われています。

スフィンクス像の両足の間にある石碑はトトメス4世の夢の碑文として知られています。トトメス4世が夢に見た不思議な幻覚について書かれています。

トトメス4世は狩りの旅の途中で休息をとっていたところ夢にスフィンクスが出てきたといいます。スフィンクスはトトメス4世に「私を砂から出してくれたらお前を王にしてやる」と言ったのです。トトメス4世はスフィンクスを砂から掘り出し王となりました。

もし石碑に書かれたことが事実なら、ツタンカーメンの曽祖父は強い幻覚の持ち主だったことになります。そして、ツタンカーメンの父アクエンアテンも太陽神アテンのお告げによって宗教改革を行いました。王家の歴史には強い幻覚が繰り返し現れるのです。

ホルモンのバランスを崩し、時に強烈な幻覚を引き起こし、ツタンカーメンの足の骨折とも何らかの関連がある病は側頭葉てんかんです。

てんかんは脳に影響を及ぼし幻覚を引き起こしたり、ホルモンの生成を阻害したりします。さらに、発作が思いがけない事故につながることもあります。左ひざの骨折は突然の発作で倒れた時に起きたものかもしれません。

つまり、てんかんそのものが死因ではなく発作のさいの事故が命取りになったのです。発作のさいに転倒して骨折し、出血や感染症などに見舞われそれが元で亡くなったと考えられるのです。

かつて古代エジプト王国の頂点に立った若き王ツタンカーメンですが、明らかになったのはその栄光とは裏腹に辛い現実と向き合い短い生涯を閉じた一人の若者の姿でした。しかし、ツタンカーメンは再び栄光を手にしました。墓から姿を現し自らの名を未来永劫残すという全てのファラオの願いを実現させたのです。

KING TUT’S FINAL MYSTERY
(イギリス/カナダ 2014年)
「地球ドラマチック」
ツタンカーメンの謎 ~死の真相に迫る~

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