インターネットで「世界で最も下手な画家」と検索すると、トップページに多くでてくるのはアンリ・ルソーの名前。アンリ・ルソーは19世紀後半から20世紀はじめに活躍したフランス人画家です。
サッカーをする人の絵だそうですが、競技内容が意味不明。人物も同じ顔ばかり描いてしまいます。
子供の絵ですが、顔はおじさんのようです。
自画像は遠近感がめちゃくちゃです。
「美術史上これだけ欠点の多い画家はいない」とまで言われ、作品を発表するたびに人々を大いに笑わせてきました。
しかし、下手なのになぜか惹きつけられます。下手なのに世界中に作品が展示されています。そして、下手なのにピカソ、ゴーギャン、カンディンスキーなど名だたる巨匠たちが絶賛しました。
アンリ・ルソーの「戦争」
アンリ・ルソーの「戦争」は、オルセー美術館に収蔵されています。縦114cm、横195cm、アンリ・ルソーが50歳で初めて挑んだ大作です。
描いたのは死体の山がきずかれた戦場。カラスが死肉を貪っています。中央には髪をなびかせた少女。白い服をまとい黒く怪しげな馬と共に戦場を駆け抜けています。死体はほとんどが全裸で、空は清々しい青空です。
遅咲きの天才!?
アンリ・ルソーは、1844年にフランスのラヴァルで生まれました。19歳からの5年間を兵役に費やし、27歳からの22年間はパリの税関に勤めました。その頃から仕事のかたわらキャンバスに向かい始めました。夢は自分の作品の素晴らしさを世に認めさせること。
1885年、40歳で美術アカデミーのサロンに出品しました。しかし、全く相手にされませんでした。
今度はお金を出せば誰でも展示できるアンデパンダン展に出展。ここでの評価は…
この面白い落書きを描いたのは誰だ?
6歳児が指で書いたみたい
この画家には何もない
しかし、そんなルソーの作品にピカソ、ゴーギャン、カンディンスキーが密かに注目していたのです。
私は現代フランスの最も優れた写実画家になりつつある。
(アンリ・ルソー)
アンリ・ルソーが師と仰いだのはブーグロー、カバネル、ジェロームらアカデミーのエリート画家たち。彼らのような正確なデッサンを身につけたいと模写に励みました。しかし、出来上がった絵は全くの不正確。時には仕立て屋のように巻き尺でサイズを測って描きました。
しかし、手が異様に大きいです。写真を目の前に置いて描いた作品もあります。
しかし、どうにも写真通りにはいきません。ありえない程小さい犬を加えたため、遠近感がめちゃくちゃに。
それでも、アンリ・ルソーが目指す絵はあくまでも写実画でした。
戦争に行かずに本質を描く
アンリ・ルソーは兵役はつとめましたが、フランス国内で駐屯していただけで戦場には一度も出たことはありませんでした。では、何を元に「戦争」を描いたのでしょうか?
実は、駐屯していた街には最前線から戻った多くの兵士たちがいました。口々に語る戦争の恐ろしさを耳にして、大いに作品に反映させたのです。
そしてもう一つ、ルソーが参考にしたとされるのが、皇帝アレクサンドル三世の行いを風刺した新聞の挿絵です。ルソーはこの構図を応用し、戦争そのもののイメージを追求したのです。
アンリ・ルソーは「戦争」にこんな解説を添えて出品しています。
戦争とは恐ろしいものだ。絶望と涙と廃墟をいたるところに残し通り過ぎていく。
(アンリ・ルソー)
戦争の恐怖を象徴しているのが中央の少女だと言います。
独自の黒
「戦争」には少女の髪、馬、カラス、木の幹、枯れ葉など、多くの黒が使われています。
ルソーの描く体はかなり平面的です。陰影がないぶん色の面が際立って見えます。
荒涼とした戦場には似合わない青空も、色の対比で黒を際立たせるための仕掛けだと言います。独学だからこそ生まれた平面的な描き方が、ルソーの黒を特別なものに変え、戦争の恐怖を強く訴えかける色となったのです。
引き算が生む本質とは?
アンリ・ルソーの「戦争」は、戦争の絵にも関わらず、全ての死体が軍服をまとっていません。さらに、武器も一つも見当たりません。なぜルソーは戦場に不可欠なこの2つを描かなかったのでしょうか?
世界で最も下手と揶揄された画家が描きたかったのは、理不尽きわまりない戦争の本質だったのです。
アンリ・ルソーは晩年、こんな言葉を残しています。
もし王様が戦争を起こしたら母親が止めなければならない。
(アンリ・ルソー)
暴走する権力をルソーは自らの絵筆で止めたかったのかもしれません。
「美の巨人たち」
アンリ・ルソー「戦争」
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