福岡市郊外にある団地の一室に、女の子が18歳になるまで母親に閉じ込められていました。小学校も中学校も1日も通うことができませんでした。
自力で逃げ出しコンビニエンスストアで保護された時には、18歳にも関わらず身長は120cm程でした。保護されて9年、ナミさんは行政の支援を受けアパートで一人暮らしをしています。
ナミさんは、幼い頃から外に出るなと言われ、手や足を縛られたこともあったと言います。食事も1日1食だったり、食べさせてくれない日がありました。さらに、お風呂に入らせてもらえるのは5ヶ月に1回~1年に1回。仕事で留守がちだった父親は見て見ぬふりをしていたと言います。18歳で逃げ出すまで事態が発覚することはありませんでした。
なぜ助けられなかったのか?
学校の教員は家庭訪問をしていました。しかし、母親は障害があるので外に出せないなどと話し、ナミさんとの面会を拒んでいました。学校はナミさんの姿を一度も確認することが出来なかったため、児童相談所に相談。
しかし、児童相談所は介入しませんでした。それは学校側が母親とは会って話が出来ていたため、リスクが低いと判断したからです。
消えてしまった子供たち
社会から消えてしまった子どもたちは一体どれほど存在するのでしょうか?NHKは児童養護施設など全国1377ヶ所にアンケート調査を実施。834の施設から回答を得ました。
その結果、義務教育さえ受けられないなど社会との関わりを絶たれていた子どもの数は、保護されただけでも10年で1039人にのぼることが分かりました。その期間は1ヶ月から10年以上に及んでいました。
アンケートからは、ホームレス状態となり姿が消えていた子どもたちがいたことも分かりました。その人数は85人。
ケンジさんの場合
ケンジさんは、小学4年生から1年半も学校に通えませんでした。父親の事情で一家6人で夜逃げし、居所を隠すために車で転々としていたと言います。その間、ケンジさんは学校に行きたいと両親に訴えていました。
ケンジさんは、父親が病死したことをきっかけに施設に保護されました。
マオさんの場合
保育士を目指し定時制高校に通うマオさんは母子家庭で育ちました。10歳の時、母親が精神疾患になったことをきっかけに生活が一変しました。母親の面倒をみながら家事の一切を担うようになり中学校の3年間、行きたくても行けない日々が続きました。
担任は家庭訪問をしていましたが、自分の意思で学校に来ない不登校だと思っていたといいます。
ナミさんは今…
ナミさんは今、児童相談所で子どもを支援するボランティア活動に参加しています。しかし、人との会話に加われないこともあります。アルバイトを探そうと何度も履歴書を書いて面接を受けましたが不採用となり送り返されてきました。
義務教育さえ受けられなかったナミさんは、保護された後23歳で中学の卒業資格を取りました。しかし、他に書けることはありません。
インターネットやテレビで「虐待」や「母親」という文字を目にするだけで今でも突然過去の記憶が蘇ってくると言います。保護されて9年経ちますが心の傷が癒えることはありません。
ユキさんの場合
ユキさんは中学2年生までの7年間、学校に通わせてもらえませんでした。ユキさんは施設に保護された当初、誰とも関わろうとしなかったと言います。18歳になり児童養護施設を退所したユキさんは、自立支援のための施設に移りました。
施設に来て半年後、ユキさんは自らを傷つける行動をとるようになりました。施設ではユキさんに寄り添おうとつとめていましたが、ここは自分に合わないと1年半で退所。その後、連絡が取れなくなりました。
消息が分かったのは3年後、駅のホームから飛び込み自ら命を絶っていました。23歳でした。
志与さんの場合
介護福祉士として働く下村志与さんは、小学3年生から母親の事情で学校に通えませんでした。母親は離婚をきっかけに次第にうつ状態となり「お母さんから離れないで」と志与さんに依存するようになったと言います。学校にも行けずにいた志与さんの異変に気づき声をかけたのが、叔母の山田ゆう子さんでした。
当時、家を訪ねたとき電気もつかない部屋で志与さんが無表情で佇んでいる姿に驚きました。志与さんの母親も今は精神的な安定を取り戻しつつありますが、当時は山田さんから学校に通わせた方が良いと言われても耳に入らなかったと言います。
山田さんは母親と何度も話し合いを重ね、志与さんを引き取ることにしました。そして、小学生だった志与さんを育て高校まで通わせました。その後、山田さんは里親を始め、事情を抱えた子どもを養育しています。
「NHKスペシャル」
調査報告”消えた“子ども”たち
~届かなかった「助けて」の声~
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