19世紀後半のパリで、新しい芸術運動が花開こうとしていました。印象派です。鮮やかな色彩を使った表現は人々を驚かせました。
しかし、同時代のパリにモノクロの奇妙な絵を描いた画家がいました。オディロン・ルドンです。独特な画風から怪奇的な画家というイメージがつきまとっていました。
しかし、オディロン・ルドンには一貫して描こうとしていたものがありました。それは自然の神秘や生命力。その奥にあったのは「見えないもの」でした。
オディロン・ルドンのおいたち
オディロン・ルドンは、1840年フランスのボルドーに生まれました。しかし、生後2日で親戚の老人のもとに預けられました。その場所がオディロン・ルドンが繰り返し描いた故郷ペイルルバードです。荒涼とした荒れ地に囲まれた寂しい田舎でオディロン・ルドンは11歳まで過ごしました。
内気で病弱だったこともあり学校にも行かず、一人空想の世界に興じるようになりました。
子供の頃、私は暗がりが好きだった。厚いカーテンの下や家の暗い片隅や遊び部屋などに身を潜ませると不思議な深い喜びを感じたものだ。そして、外に出野原に行くと空が私に対して何という魅惑的な力をふるったことだろう。地面に寝そべり雲が動いていくのを眺めたり、そのつかの間の変化が作るうっとりするような煌めきを目で追っていた。
「芸術家の打ち明け話」より
少年の孤独な心を癒してくれたのがペイルルバードの自然だったのです。オディロン・ルドンは画家になってからも毎年ペイルルバードに滞在し、創作をしていました。
ペイルルバードで描いたとされる作品の一つが「預言者」です。オディロン・ルドン独特のモノクロの絵です。人物は何者なのか、一体何を見つめているのか?全てが謎めいています。
「植物人間」と題された絵。顔から放射されるものは光のようにも植物の綿毛のようにも見えます。大気中に漂う奇妙な物質。目には見えない自然の気配を感じさせます。
オディロン・ルドンは、なぜこうした不思議な絵を描くようになったのでしょうか?
ロドルフ・ブレスダンとの出会い
子供の頃から絵の才能を見せていたオディロン・ルドンは、20代前半に画家を目指しパリで修業しました。しかし、決まり事にしばられた教育が合わず失意のうちにボルドーに戻りました。そこで、後に師とも仰ぐ版画家ロドルフ・ブレスダンと出会いました。
目には見えない自然の底知れぬ神秘まで描きだしたブレスダン。オディロン・ルドンは大きな衝撃を受けブレスダンに学ぶようになりました。
アルマン・クラヴォーとの出会い
見えないものを見ることを教えられたオディロン・ルドンですが、さらにその面白さを身をもって体験させた人物がいました。植物学者のアルマン・クラヴォーです。
オディロン・ルドンはクラヴォーのもとを訪ねては、当時最先端だった顕微鏡をのぞき肉眼では見えないものの中に豊かな世界が広がっていることを知りました。
クラヴォーは無限に小さなものを研究していた。知覚の限界のような世界で動物と植物の中間の生命。一日のうち数時間だけ光の働きによって生きる神秘的な存在を研究していたのだ。
「芸術家の打ち明け話」より
目には見えない生命との出会いが、オディロン・ルドンの想像力を激しく刺激することになりました。
印象派とルドンの黒
オディロン・ルドンは32歳の時、画家としての成功を夢見て再びパリにでました。しかし、約7年間絵を発表する機会はほとんどありませんでした。
その当時、パリに新風を巻き起こしていたのは印象派です。対象を包む光の変化を視覚的にとらえようとしました。オディロン・ルドンと同じ年齢のモネをはじめ、画家たちは戸外の光のもと目の前の風景や人物を鮮やかな色彩で描いていきました。
その中で、オディロン・ルドンが目指した芸術はあまりに独特なものでした。39歳にして事実上のデビュー作となった石版画集「夢のなかで」色彩を一切使わない画面は、色鮮やかな印象派とは対極をなすものでした。パリが新しい色彩にわいていた時代、オディロン・ルドンは色を使わず黒だけで描いたのです。
黒は最も本質的な色彩である。それはパレットやプリズムの美しい色彩よりも遥かに優れた精神の代理人なのである。
(オディロン・ルドン)
色を使えば目に見えるものは表現できますが、見えないものを表現する手段としてオディロン・ルドンは黒にこだわりました。
しかし、作品はごく一部の人にしか評価されませんでした。しかも、その評価は「恐怖を描いたオカルト的な画家」という歪んだものだったのです。
私について色々な記事が書かれたが、その中には魔法の色眼鏡をかけたものがあった。私は交霊術師などではない。私はただ芸術を作り出しているだけなのだ。
(オディロン・ルドン)
オディロン・ルドンの理解者
そんな中、オディロン・ルドンの芸術に深い理解を示した人物がいました。ポスト印象派のポール・ゴーガンです。
ルドンが描くものは本質的には人間的である、私たちと共に生きているものだ。それらは決して怪物などでではない。静かな夜の暗闇の中で私たちの目は見、耳は聞く。彼の作品のどれをとっても聞こえてくるのは心の声なのである。
怪奇なものとして受け止められていたルドンの世界に、ゴーガンは生命の輝きを見ていたのかもしれません。
画風の変化
黒を使って独自の世界を表現してきたオディロン・ルドンですが、40代の終わりから画風が一変。色彩を使うようになりました。オディロン・ルドンは色彩を手にした喜びをこう綴っています。
私たちが生きながらえるのは、ただただ新しい素材によってなのだ。私は色彩と結婚した。もうそれなしで過ごすことはできない。
(オディロン・ルドン)
オディロン・ルドンの作品は色鮮やかなものへと変化していきました。
オディロン・ルドンが60歳にして挑んだ大作が、ドムシー男爵の城館の食堂壁画(16点)です。オディロン・ルドンはこの連作に1年半を費やしました。連作の中でも最高傑作と言われるのが「グラン・ブーケ」です。花の中には現実には存在しない不思議な色や形を持って花もあります。
「見えないものを描く」
76歳でこの世を去るまでオディロン・ルドンはその信念を貫きました。
「日曜美術館」
見えないものを見る
~オディロン・ルドンのまなざし~
この記事のコメント