そしてテレビは戦争を煽った ~ロシアVSウクライナ 2年の記録~|NHKスペシャル

NHK総合テレビの「NHKスペシャル」でそしてテレビは戦争を煽った ~ロシアVSウクライナ 2年の記録~が放送されました。2014年5月、ロシアのプーチン大統領がウクライナ南部のクリミア半島の併合を決定。これをきっかけに始まった各国の対立は各地で紛争の火種を生みました。隣国ロシアの攻勢で激戦地となったのがウクライナです。東部で「親ロシア派」と呼ばれる武装集団が独立を求め蜂起。ウクライナ政府軍との間で激しい戦闘を繰り広げてきました。2年に及ぶ戦いで、市民を含む犠牲者は9000人を超えています。

旧ソビエト時代には一つの国だったロシアとウクライナ。独立後もウクライナには多くのロシア系住民が暮らし、密接な関係を築いてきました。しかし、ウクライナ東部で戦闘が始まるとロシアは親ロシア派の後ろ盾となり、両国はいがみ合うようになりました。対立に拍車をかけたのは両国のテレビメディアです。テレビが政権の強い統制下におかれるロシアでは各局が足並みをそろえウクライナを敵視する報道を行ってきました。一方のウクライナはロシアに対抗するため、国と一体となって報道姿勢を変えていきました。加熱する戦争報道が憎しみをかきたて戦地へと向かう人も相次ぎました。

 

兄弟国家とも言われ緊密な関係を維持してきたロシアとウクライナ。その両国のテレビが互いに批判し合うようになったのは2014年です。2月、大規模な反政府デモによってロシア寄りのヤヌコーヴィチ政権が崩壊。欧米寄りの新政権が誕生すると、ロシアは猛反発しました。決定的な対立を招いたのは3月のロシアによるクリミア半島の併合です。プーチン大統領はロシア系住民が多く、軍事基地もあるクリミアの併合は国益にかなうと強調。政府の強い統制下におかれてきたロシアのテレビ各局は、一斉にクリミア併合を支持する報道を繰り広げました。ロシア国営テレビの人気キャスターであるドミートリー・キセリョフは、一連の報道でロシア政府のプロパガンダをになう中心人物とされEU各国への入国が制限されるなど制裁対象となりました。

「プロパガンダとはなんでしょうか。それは自分たちの立場の説明です。それは誰もがやっているのではないでしょうか。世界のジャーナリズムにおいて報道の客観性なんて、もはや存在しません。私たちは我々にとっての真実を伝えるために自分の命をかけているのです」(ドミートリー・キセリョフ)

 

ウクライナではクリミア併合によってロシアへの国民感情は急速に悪化しました。それまでウクライナではロシアに比べテレビ各局がそれぞれ独自の視点を持ち放送を行ってきましたが、その環境は激変しました。クリミア併合直後にはウクライナ国営テレビの会長室に議員が乱入。プーチン大統領の演説を生放送したことに腹を立て、会長に辞表を書かせました。ロシアへの反発が高まる中、テレビ各局はロシアを批判する報道に舵を切りました。画面に国旗を掲げ、国民の団結を訴えました。率先してロシアに対抗する報道を行ったのは最大手の民間放送局オディン プリュス オディンです。ウクライナを代表するキャスターのアーラ・マーズルは祖国が危機に陥る中で、国を思う感情を抑えるのは難しいと言います。

「かつての同盟国が私たちを殺そうとしています。私たちは精神的につらい状態に置かれています。毎日新たな試練に直面しています。愛国心と報道の客観性との間で揺れ動いているのです」(アーラ・マーズル)

 

クリミア併合を巡り対立したロシアとウクライナ。2014年4月にはロシア系住民の多いウクライナ東部で戦闘が始まりました。ロシアが後ろ盾となる武装集団「親ロシア派」がウクライナからの独立を視野に蜂起したのです。ウクライナ政府軍が鎮圧に乗り出すと大規模が戦闘へと発展。新ロシア派は支配地域を拡大し、東部は二分され今も戦闘状態が続いています。戦闘の激化は記者の取材姿勢にも影響を及ぼしました。オディン・プリュス・オディンで18年働くオレクサンドル・ザホロードニー記者はこれまで世界各地を飛び回り紛争地帯などを取材してきました。対立する双方から話を聞くことを大切にしてきました。戦闘が始まった当初はウクライナ軍に敵対する親ロシア派やそれを支持する住民も声も伝えていました。しかし、戦闘が激しさを増すとウクライナ軍の従軍取材が増えていきました。その中で次第に軍隊に対する見方が変化したと言います。

「これまでの戦争は異国の戦争、他人の戦争でした。しかし、これは自分の国が戦っている戦争なのです。私はたとえ武器をとって戦っていなくても兵士と同じ気持ちでニュースを作っています」(オレクサンドル・ザホロードニー)

世論がテレビを変え、テレビが世論をまた煽る。やがて、両国の報道は正反対の内容を伝えるようになっていきました。

 

2014年6月2日、東部ルガンスクの中心部で大規模な爆発が起きました。ウクライナの放送局はこれを親ロシア派による砲撃だと伝えました。一方、ロシア国営テレビはウクライナ軍による空爆だと報じました。食い違う放送は様々な悲劇を生んでいます。ウクライナ東部からキエフに避難してきたビクトル・プロコペンコはウクライナ第5チャンネルのカメラマンです。妻で記者のリリアと共に東部で取材していましたが戦闘が激しくなりキエフに避難しました。しかし、同じウクライナ東部で暮らしていた父親のビクトルは行動を共にしませんでした。一人国境を越え東のロシアへ移り住んだのです。親子の間に亀裂を作ったのはテレビの報道でした。ウクライナ東部では親ロシア派とその支持者が地元のテレビ局を次々と襲撃。ウクライナの放送をとめロシアの放送へと切り替えていきました。その結果、東部ではウクライナの放送を見ることが難しくなり、ロシアの放送が影響力を持つようになっていきました。父ビクトルが見ていたのもロシアの放送です。次第にその内容を信じるようになっていったと言います。

 

互いに敵意を煽り続けた双方のテレビ。その報道を過熱させたのはインターネットでした。ネットに氾濫する映像をテレビ局が用いたことで憎しみを増幅させた決定的な事件が起こりました。2014年5月2日、ロシア系住民が3割を占めるオデッサでその事件は起こりました。事の発端は反ロシアを掲げるウクライナ民族主義者と、過激なロシア系住民との衝突でした。双方の対立はエスカレートし、やがて火炎瓶の投げ合いが始まり火災が発生。建物にたてこもっていたロシア系住民40人以上が死亡する大参事となりました。ウクライナのテレビ局は犠牲者の詳細については触れず、事件をロシア側の陰謀だとにおわせました。一方、ロシアのテレビ各局はいっせいにウクライナを批判。事件をナチスドイツによる大量虐殺になぞらえ激しく糾弾しました。

テーベーツェー記者ピョートル・リュビーモフは事件から4日後、30分の特別番組を制作しました。現場には行かず、番組で使う映像は主にインターネットから得ていました。当時、事件の現場では多くの市民がスマートフォンなどで撮影。無数の映像がインターネットに投稿されていました。

「技術の発展よって記者は必ずしも現場に行く必要がなくなりました。今やどんな事件の現場でも目撃者がいるし映像があります。映像に移っていることが事実です。事実には反論できません」(ピョートル・リュビーモフ)

オデッサ事件の報道はロシアの人々に大きな影響を及ぼしました。ロシアからウクライナ東部へ向かう志願兵が相次いだのです。セルゲイ・ボイチェンコは報道を見た数日後には自らの意思で戦地へ向かいました。彼はそれまで大手銀行に勤め安定した生活を送っていました。同じ民族のロシア系住民が犠牲となったことに強い怒りを感じたボイチェンコ。中でも憎しみをかきたてたのはロシアのテレビが妊婦が殺されたと報じた画像でした。

「妊娠9ヶ月目くらいでしょう。もうすぐ産まれそうでした。報道で状況が分かったとき怒りがこみあげました。やつらを全員たたきのめそうと思いました」(セルゲイ・ボイチェンコ)

多くの人を戦地へと駆り立てたオデッサ事件ですが、現場で取材を進めると新たな事実が浮かび上がってきました。

 

アレクサンドル・ルイチコフはブログでニュースを発信するロシア国籍のフリージャーナリストです。あの日、取材でオデッサを訪れていたルイチコフは、衝突が激しさを増すとスマートフォンでインターネットの生中継を始めました。現場の様子をできるかぎり正確に伝えようとしていたと言います。しかし、ロシアのテレビ局はルイチコフに連絡を取ることもなく、彼の撮影した動画に事実と異なるナレーションをつけて放送しました。ロシア人のルイチコフをウクライナの民族主義者として扱い、まるで犯罪者のように伝えたのです。

「ウクライナの民族主義者が死者を侮辱しながら撮影しています。笑いながら金目のものを物色しています」(ロシア国営テレビのナレーション)

「私の映像はプロパガンダのために作りかえられました。事実が明らかに歪曲されています。許されることではありません」(アレクサンドル・ルイチコフ)

さらにロシア国営テレビが妊婦と報じた画像も事実が歪められていました。写真を撮影したのはアリョーナ・ノビーツキーさん。ノビーツキー夫妻は事件の翌日、建物の中にいた父親を捜すため内部に入りました。その惨状に驚いたアリョーナはスマートフォンで撮影。

「世界に真実を伝えなけらばならないと思いました。とてもつらかったですが、神様がその機会を与えたのだと思います」(アリョーナ・ノビーツキー)

妊婦と報道された画像はその時撮影した一枚です。女性は54歳。その後の調査で妊娠していなかったことが分かっています。アリョーナがこの画像をインターネットにい投稿すると大きな反響がありました。投稿した画像はわずか数秒で世界中に広まり、人々は次第に「これは妊婦だ。妊婦が殺された」とコメントし始めました。拡散した画像と根拠のないコメントが検証もされずに放送されていたのです。

 

妊婦と報じられた画像に激しい怒りをおぼえ戦地へと向かったボイチェンコに、取材班は妊婦ではなかったと伝えました。しかし、ボイチェンコはその情報を決して受け入れようとしませんでした。

「たとえねつ造だとしてもファシストを殺しに行くという私の意思は変わりませんでした。テレビ局はあそこで何が起きたかについて社会の注目を引き批判をうながしたのです。それは正しかったと思います」(セルゲイ・ボイチェンコ)

 

残虐さが強調されたオデッサ事件ですが、取り上げられなかった大切な事実もありました。セルゲイ・ジプロフ記者は地元ウクライナのテレビ局で取材を続けてきました。あの日、ジプロフは事件の一連の経過をスマートフォンで撮影していました。そこには逃げ遅れたロシア系住民を助けようとする人々の姿が映っています。そこにはウクライナ人もいたとジプロフは言います。憎しみにかられる人々がいる一方で、立場をこえて命を助けようという人もそこにはいたのです。

「どんなものでも表と裏があります。斧は人を殺すことができるし薪を作ることもできる。映像をどう使うのか、それは良心の問題なのです」(セルゲイ・ジプロフ)

 

ロシアのインターネット放送局ドーシチは政権寄りの大手テレビ局とは違い、独自の視点で放送を続けています。セルゲイ・エルジェンコフ記者は2年前にテレビ局を退社し、ウクライナ東部をテーマに調査報道を続けています。今、エルジェンコフはロシア人志願兵のドキュメンタリーを企画しています。大手テレビ局が一刻英雄のように持ち上げた志願兵たち。彼らが今何を思っているか知りたいと考えたからです。

「この企画はまったく反響がないかもしれません。社会は聞きたくないテーマを求めてはいないからです。でも私は志願兵たちの人生を伝えたいのです。だってみんなお父さん、お母さんがいて家族がいる人たちです。ウクライナ東部に行った理由があるはずでしょ?」(セルゲイ・エルジェンコフ)

元志願兵のミハイル・ラプチェフは東部の戦闘で負傷し、1年前に帰ってきました。帰還した当初は町で英雄としてもてはやされましたが、今は誰からも見向きもされなくなったと言います。ラプチェフもまたテレビの報道を見て戦地に向かった一人でした。日々の満たされぬ暮らしが彼を戦地へおいやったとエルジェンコフは感じていました。メディアが煽った一刻の熱狂は人々に何をもたらしたのか、エルジェンコフは一人一人の声に耳を傾けていきたいと言います。

「多くのジャーナリストは今責任を負っていません。彼のような志願兵を一度とりあげたらそれっきり、そこで終わりです。世界を白と黒のふたつに分けてしまうことは簡単ですが、すべてを投げ捨てて戦地へ向かった人のことを理解するのはずっと困難なのです。私は彼のような人と直接話すことが大切だと思います。記録し続けます。時代を記録するのです」(セルゲイ・エルジェンコフ)

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  1. 余りにも偏った無知な報道に幼稚園以下だと思いました。

  2. 今の日本のメディア、テレビも同じことをしている。隣国に対する憎しみを煽り、恰も日本が戦争の危機にさらされているかのような報道をしている。戦争を望んでいるとしか思えない。テレビを見ているどれ位の人が、テレビやマスコミの報道を鵜呑みせず、自分の頭で考えられることができ、正しい物事の判断ができるのだろう?

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