フェリックス・ヴァロットン「ボール」|美の巨人たち

フェリックス・ヴァロットン「ボール」

 

フェリックス・ヴァロットンの「ボール」は夏の昼下がり、麦わら帽子をかぶった少女が赤いボールを追いかけている様子を描いた絵です。少女の頭上に広がるのは鬱蒼とした森。その遥か向こうでは白のドレスと青いドレスの女が立ち話をしています。

 

フェリックス・ヴァロットンが「ボール」を描いたのは1899年、33歳の時でした。「ボール」の舞台となった場所は、パリの南東に位置するヴィルヌーヴ・シュル・ヨンヌ。この街にフェリックス・ヴァロットンの友人の別荘がありました。

 

当時パリで前衛芸術の雑誌を主宰していた友人は、19世紀末の画家たちを養護していました。フェリックス・ヴァロットンもその一人として別荘に集まった画家たちと芸術論を交わしていました。そして1899年、この場所を舞台に描いたのが「ボール」でした。

 

フェリックス・ヴァロットンが生まれたのは1865年、スイスのローザンヌででした。敬虔なプロテスタントであった両親は、薬屋を営んでいました。16歳になったヴァロットンは、画家になるため憧れのパリへと向かいました。

 

若き画家が孤独な異国でのめりこんでいったのが日本の浮世絵でした。きっかけは、パリで1890年に開かれた浮世絵を中心とした日本美術の大規模な展覧会でした。遠近法にとらわれない大胆で奇抜な構造。画面を立体ではなく平坦な面でとらえるという西洋とは異なる技法が画家たちを大いに刺激したのです。

 

表現

フェリックス・ヴァロットンが目をつけたのは構図ではなく、平面的な表現。しかもそれを白と黒の鮮烈なコントラストで描きました。画面を占める黒の割合が増えるにつれ、ヴァロットンの版画は怪しげな雰囲気を帯びていきました。

 

「ボール」では、奥の森と手前の地面が緑とベージュではっきりと描き分けられています。彼は2つの色を対立させることで、不安的で落ち着かない雰囲気を作り上げていたのです。

 

さらに、ヴァロットンは白と黒の版画を越える複雑な物語を作りあげるため、上と横からの別々の視点を組み合わせ「ボール」を描いていました。それにより斬新な効果を生み出しました。

 

結婚

「ボール」を描いた1899年、フェリックス・ヴァロットンは結婚しました。妻となったガブリエルはパリの有名な画商の娘で、すでに3人の子持ちでした。ヴァロットンはいきなり父親になったのです。

 

新たな生活が彼の人生を一変させました。ヴァロットンはその戸惑いを「ボール」という作品に塗りこめていたのです。

 

裕福な妻との結婚は、彼自身もブルジョアの仲間入りをしたことを意味します。それによって遠ざかっていったのは、かつて友人の別荘で夢を語り合った仲間たちでした。

 

「ボール」の大人がいる緑の世界は結婚後の新しい生活で、少女がいるベージュ色の世界は自由だった独身時代です。2つの世界はフェリックス・ヴァロットンにとって決して相容れないものでした。

 

ボールを赤にしたのは、赤が危険を表す色だからです。転がるボールが少女を自由のない世界へと誘いこもうとしている危うさを赤で暗示しているのです。

 

「美の巨人たち」
フェリックス・ヴァロットンの「ボール」

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