アンコール・ワット 密林に眠る巨大都市|地球ドラマチック

NHK・Eテレの「地球ドラマチック」でアンコール・ワット 密林に眠る巨大都市が放送されました。

 

クメール王国の中心

アンコール・ワットは、世界有数の美しく謎めいた建造物です。蓮の蕾のような形をした5つの巨大な塔を、6kmにもわたる巨大な堀がぐるりと取り囲んでいます。2k㎡もの敷地に建つ左右対称の寺院は、中世の不思議の一つと言われています。

 

アンコール・ワットは、約900年前に建てられました。その当時、ヨーロッパでは巨大な大聖堂を建てるのに100年以上かかっていました。一方、アンコール・ワットは40年たらずで完成。しかも、壁にはヒンドゥー教の神話を題材にした2000体もの踊り子の像が、合計2kmにも渡って彫刻されています。そのどれもが実にユニークです。

 

アンコール・ワットは、100万k㎡にも及ぶ大国クメール王国の首都アンコールの中心的な存在でした。しかし、アンコール・ワットや周辺の都市がどのようにして築かれたのかは謎のままです。証拠の多くが密林にのみこまれ失われてしまったからです。

 

クメール王国の起源

クーレン丘陵は、クメール王国発祥の地と考えられています。時代は9世紀、アンコール・ワットが建設される約300年前のことです。

 

ロンチェン寺院は、クーレン丘陵の頂の一つにあります。後に建設された寺院の碑文には、ロンチェン寺院が新たな首都の宗教的拠点であり、強大な権力を誇った国王ジャヤヴァルマン2世のために建てられたと記されています。

 

ジャヤヴァルマン2世が現れるまで、カンボジアは小さな王国の集まりでした。碑文にはジャヤヴァルマン2世が自らを神と人間を繋ぐ特別な存在であると宣言し、一帯を支配するようになったと記されています。

 

内戦で発掘調査ストップ

1975~1979年にかけて、カンボジアは独裁者ポルポトの支配下にありました。ポルポト率いる共産主義勢力クメール・ルージュは、国民を恐怖政治で支配し都市文化を否定し自給自足型の極端な農業社会を築こうとしました。

 

クーレン丘陵は、クメール・ルージュの最後の砦の一つでした。クーレン丘陵には、今でも多くの地雷が残っています。そのため、ここはほとんど調査が行われていない場所の一つになっています。

 

しかし、今それが変わろうとしています。調査から、初期の首都マヘンドラパルバタが高度に発展した都市で、かなり広かったことが分かりました。

 

王国繁栄の理由は?

ダムのような巨大な建造物が作られたということは、支配者がとてつもない財力を手にしていたことを物語っています。強大な権力は、人々を悩ませていたモンスーン問題を解決するためにも欠かせませんでした。

 

カンボジアでは、5~11月にかけて1500mlもの雨が降ります。そして雨期の後には乾期が続き、気温は40℃前後まで上がります。雨期に農作物を収穫できなければ飢饉にみまわれます。水に悩まされてきた人々は、クーレン丘陵を流れる川に水中寺院を作り水を神聖化しようとしました。

 

クーレン丘陵に降った雨水は、20kmもの距離を下り平野に向かいます。クメール王国に繁栄をもたらした水。神聖化された水は王国の繁栄を支えたもう一つの要素である水田も潤しました。クメール王国は水と米で築かれたのです。

 

水の恵みが支える暮らし

ジャヤヴァルマン2世がマヘンドラパルバタを築いてから90年後、行政の拠点はアンコールに移されました。この土地の稲作は常に確実な給水源に支えられていました。

 

都が移されたばかりの頃、人々は不作を避けるため水が豊富にある場所のそばに住みつきました。トンレサップ湖です。湖は毎年増水し、田畑に養分を与えます。

 

乾期の間、トンレサップ湖はカンボジアの面積の2%近くを占めますが、雨期になると10%近くにまで増えます。一方で、トンレサップ湖の増水は人々の生活に大きな影響を与えてきました。雨期になると湖の水位が9メートルも上がるからです。

 

水の力で王国繁栄

自給自足型のアンコール時代の農民たちは、新たな技術を開発していきました。そして1000年前、バライと呼ばれる2つの巨大な人工の湖を作り上げました。土手の建造作業に必要な人手は20万人にも及んだと推定されています。

 

今もバライの水は乾期の間、周辺地域の灌漑に利用されています。13世紀には中国から来た使者が、クメール人が灌漑によって年に3~4回も収穫することに驚いたと記しています。

 

知られざる寺院の役割

クメール王国は、都市を機能させるインフラを作り上げました。次に必要とされたのは民衆の管理です。要となったのが寺院のネットワークでした。都市のインフラ作りのために、民衆は財産や労働力を差し出すことが求められました。寺院は宗教の中心施設というだけでなく税や労働力を徴収する場でもあったのです。

 

9世紀に建てられたアプリアコー寺院の壁に、王たちが寺院を税の徴収に利用していたことを示す碑文が残されています。碑文から、寺院に人生を捧げることを強いられた奴隷が存在したことが明らかになりました。

 

権力の象徴アーシュラマ

アーシュラマは、僧院と税務署と学校をかねた場所でした。アーシュラマは、クメール王国の力の象徴でもありました。その多くがクメール王国の領土の端にあたる場所に建設されていたからです。

 

クメール文明の頂点

11世紀末まで、クメール王国は現在のベトナム・ラオス・タイとの国境を越えて拡大し、東南アジア一帯を支配しました。やがて、新たな王が即位しました。スーリヤヴァルマン2世です。彼こそアンコール・ワットを建てた王で壁にレリーフが残っています。

 

スーリヤヴァルマン2世は、かつてない建造物を作ろうと考えました。アンコール・ワットは神に捧げられた寺院です。そのため美しくなくてはなりません。美しい女神や美しい動物などを彫刻するため、巨大な砂岩が持ち込まれ繋ぎ合わせられました。

 

アンコール・ワットの遺跡では、どこにもモルタルは使われていません。でも、砂岩が正確に繋ぎ合わされています。莫大な資金と当時の最先端の技術の全てが壮麗な大寺院の建築につぎ込まれました。規模も壮大です。

 

クメール人が数百年にわたって培った寺院建築の技術、そして水を操る土木技術の全てが一つとなりクメール文明の至宝といえる建造物アンコール・ワットが誕生したのです。

 

JUNGLE ATLANTIS
ANGKOR WAT’S HIDDEN MEGACITY
(イギリス 2014年)

コメント