杉山明美は今…低血糖症をレバーで克服!|爆報!THEフライデー

杉山明美(すぎやまあけみ)さんは1988年、ソウルオリンピックに出場し日本の4位入賞に貢献。そして大林素子(おおばやしもとこ)さんや田中久美(たなかくみ)さんとともに美人バレー選手として話題に。

オリンピックの後もバレーの名門NECでVリーグ優勝に貢献。まさに日本を代表する選手でした。そして、1997年に現役を引退。表舞台から姿を消しました。

杉山明美さんは所属していたNECでOLとして働き始めた32歳の時、手足が震えしびれだし、冷や汗が止まらなくなってしまったと言います。このとき、杉山明美さんはストレスを抱えていました。会社で自分の存在価値を見出すことができなかったと言います。このストレスが体調不良の原因だと考え1年半でNECを退社しました。

しかし、情緒不安定な状態が続き、無気力状態に。歩くことすら面倒くさくなり家中を這って移動するように。さらに、部屋を掃除する気にもならずゴミ屋敷状態に。心身ともに崩壊していきました。

病に苦しむこと2年、限界を感じた杉山明美さんは病院へ行きました。そこで診断されたのは低血糖症でした。

低血糖症とは、体内のたんぱく質や鉄が不足し、脳に栄養が行かず自律神経に不調をきたす病。その症状は一般的なうつ病とよく似ています。糖質や炭水化物に偏った食事を長い間続けると低血糖症に陥ることがあります。

杉山明美さんの場合も、レトルト食品や菓子パンの過剰摂取という乱れた食生活により低血糖症を患ってしまったと言います。低血糖症には明確な治療法があります。それは多くのたんぱく質を摂取すること。

そこで杉山明美さんはレバー料理を食べるようになりました。そして1年後には血糖値は正常値に回復。低血糖症を克服しました。

病気克服から10年、杉山明美さんは病という最大のピンチをチャンスに変え、法政大学の講師に転身しています。実は45歳で早稲田大学大学院に入学。そこで学んだのが分子栄養学。杉山明美さんはピンチをチャンスに変え一発逆転していました。

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