岡田有希子の新事実 自殺の理由&資料紛失事件|爆報!THEフライデー

TBSテレビの「爆報!THEフライデー(ばくほうザフライデー)」で岡田有希子さんについて放送されました。昭和のアイドル岡田有希子(おかだゆきこ)さんは1986年に18歳の若さで飛び降り自殺しました。俳優・峰岸徹(みねぎしとおる)さんとの恋の縺れなど、様々な憶測をよびましたが、その死は世間にあまりにも大きな衝撃を与えました。「ユッコシンドローム」と呼ばれる若者の後追い自殺も社会現象に。岡田有希子さんの死後、1ヶ月間で命を絶った若者は30人以上もいました。その裏で所属事務所サンミュージックでは岡田有希子さんの資料が紛失していました。実は彼女の死後、事務所にあったグッズや資料が何者かにごっそりと持ち去られたのだと言います。

 

岡田有希子さんは、1967年に愛知県一宮市で生まれました。アイドルに憧れていた彼女は1982年に「スター誕生!」に出演。しかし、両親は芸能界入りを反対。無理難題を押しつけアイドルを諦めさせようとしました。それは学年で1位、模擬試験で全国5位以内、地元の難関校に入学することというものでした。その日から半年間、毎日猛勉強し全ての条件をクリア。岡田有希子さんは憧れの松田聖子さんと同じ事務所サンミュージックに入り、堀越学園芸能コースに編入。事務所の社長の元で下宿生活を始めました。そして1984年、16歳でデビュー。愛らしい笑顔と清楚な雰囲気がうけポスト松田聖子と称されました。数々の新人賞を総ナメにし、デビューから2年「くちびるNetwork」が初のオリコン1位を獲得。名実ともにトップアイドルに上りつめました。しかし、この曲の発売からわずか3か月後の1986年4月8日、自ら命を絶ちました。

 

1986年4月8日午前10時、一人暮らしを初めて4日目のことでした。未遂となった一度目の自殺を図りました。部屋にガスを充満させ、刃物で手首を切ったのです。ガスの警報機がなり、通報を受けた救急隊が病院へ緊急搬送しました。そして午前11時15分、サンミュージックの元専務・福田時雄さんが話しかけても岡田有希子さんは泣くばかりだったと言います。左手首を4針ぬったものの命に別状はありませんでした。治療が終わりタクシーの車内へ。どこに行きたいか聞かれ岡田有希子さんは「事務所に行きたい」と言ったそうです。そして12時、サンミュージックに到着。福田さんは事務所社長に報告するため席を離れました。このとき、部屋には岡田有希子さんと付き人の2人だけでした。福田さんが部屋に戻ると岡田有希子さんの姿はありませんでした。当時の記録ではティッシュを取りに部屋から出て行ったと報じられました。不吉な予感がした福田さんはビルの中を探しました。すると屋上に上がる階段に病院から履いてきたスリッパがそろえられていました。そして12時15分、岡田有希子さんは所属事務所の7階建てのビルの屋上から飛び降り亡くなりました。

 

岡田有希子さんの死は連日連夜報道され、マスコミは彼女の実家に突撃取材。今では考えられない家族への質問攻めが行われました。さらに「ユッコ・シンドローム」と呼ばれる社会現象を引き起こしました。神戸の16歳の少女が「岡田有希子のようになりたい」と飛び降り自殺。その死からわずか1週間の間に少年少女8人が次々と自殺。さらに21歳の浪人生が岡田有希子さんと同じ現場で飛び降り自殺。彼女の後追い自殺をした人数は30人以上にもなりました。そしてファンは所属事務所に対し、行き場のない怒りをぶつけました。自殺現場では毎日のように悲しみにくれるファンが集い、事務所前は混乱しました。

 

自殺の理由は?

一体なぜ岡田有希子さんは自殺したのでしょうか?今まで報じられてきたのは有名俳優との男女関係のもつれが原因という説です。その俳優とは峰岸徹(みねぎしとおる)さん(当時42歳)です。記事では岡田有希子さんが残した遺書に彼の名前があったと報じられました。実は峰岸徹さんは岡田有希子さんとドラマ「禁じられたマリコ」で共演。男女関係との噂がささやかれていました。岡田有希子さんが亡くなった日の午後10時、峰岸徹さんは緊急会見を開き、彼女との関係を完全否定しました。その後、岡田有希子さんの母によって出版された本には、峰岸徹さんをかばうようにこう記されています。

「峰岸さんとのことについては、女性週刊誌、テレビなどであれこれ取り沙汰され、そのたび私は峰岸さんに対して申し訳なく、またお気の毒でなりませんでした」

あくまで岡田有希子さんの片想いだったと証言しています。そして福田元専務も「彼女の一方的な想いだと思う」と言っていました。1回目に図った自殺は、岡田有希子さんが叶わぬ片想いを憂いてのものだったと言います。

「2回目は大変なことをしてしまったから、もう生きてはいけないと思いつめたんじゃないですかね。みんなに迷惑をかけたという自責の念」(福田元専務)

人一倍真面目な性格だった岡田有希子さんは、多くの関係者に迷惑をかけてしまったと自らを責め命を絶ったのではないかと福田さんは言います。

 

資料紛失事件

岡田有希子さんの死後、いつの間にか事務所に保管していたグッズや資料が何者かに持ち去られてしまったと言います。持ち去ったのは白人男性リチャードでした。実はリチャードは1989年からサンミュージックに入社。その後2年間勤め退社。リチャードとともに岡田有希子さんの資料も消えたと言います。

リチャードが岡田有希子さんを知ったのは故郷のオーストラリアにいた頃。日本人留学生の影響でファンになり、夢中になりました。その姿は日本の雑誌で紹介されるほど熱狂的でした。リチャードが大学在学中に岡田有希子さんが自殺。大きなショックを受けたと言います。保険を解約し全財産をはたいて来日。上智大学に通いながら岡田有希子さんのことを調べていました。その時、大学のクラスメイトに当時サンミュージック所属の早見優さんがいました。そこでリチャードはサンミュージックを紹介してもらい入社。入社後、松田聖子の全米進出に関わる翻訳をし頑張っていました。しかし、岡田有希子さんの資料が倉庫の奥に押し込まれる瞬間を目撃。いたたまれなくなったリチャードは無断で資料を持ち去り退職しました。あれから25年、リチャードは岡田有希子さんの資料はコンテナに預け大切に保管しています。この事実を知ったサンミュージックは、岡田有希子さんを愛するがゆえの行動ということで問題にはしないと言います。


  1. 30年経っても山崎専務が事の真相を言う筈がないでしょう。言ってしまったら、サンミュージック、廃業でしょう。10年後に暴露すると言っていた、故相澤会長が結局真相を暴かず他界したのだから。事務所を守りたかったら、おとなしくしてるのが常識。何年か周期でたびたび山崎専務が週刊紙などでも登場してましたが、コメントはいつも同じ。進展なし。自殺の直接の原因はわからないままだが、一つには、自殺の前日辺りの松田聖子の妊娠報道。その少し前の、遠藤康子の自殺。峰岸にフィアンセがいた事を自殺する前日に知った。自分が30年追ってきた真相で、最近確信があるのが、松田聖子の尻拭いをさせられてたことも、一つの原因では。松田聖子が郷ひろみを振った事。サンミュージックはその後他の大手プロダクションから、島流しにあってますから。石原プロと接点を置くことで、破綻はまぬがれたのでは。

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