岡寛恵(おかひろえ)さんは1980年、11歳で芸能界デビューしました。そんな岡寛恵さんを一躍有名にしたのが1983年公開の映画「時をかける少女」です。原田知世さん演じる時空を超える能力を持った主人公と、未来から来た少年との淡い初恋を描いた青春映画です。日本を代表する映画監督・大林宣彦(おおばやしのぶひこ)さんが尾道三部作として手掛け、興行収入は28億円を記録しました。
岡寛恵さんは、映画初出演にして原田知世さんの妹役に大抜擢されました。大林作品といえば、若手女優の登竜門として小林聡美さん、富田靖子さん石田ひかりさんといったスター女優を多数輩出。その大林監督にオーディションで一発合格をもらった岡寛恵さんは、その後の活躍が約束されたとも言えるスター候補でした。
ところが、19歳で突如芸能界を引退。これまで、その理由は謎に包まれていました。
1988年9月28日、初舞台の本番を1週間後に控え岡寛恵さんは稽古に打ち込んでいました。稽古を終えた岡寛恵さんは迎えの車に乗り込みました。交差点へさしかかった車は右折するために減速。そして曲がろうとした瞬間、対向車と衝突。片側二車線ある交差点で、岡寛恵さんが乗っていた車が右折しようとしたところに、信号無視をした対向車が直進。岡寛恵さんが座っていた助手席側へ突っ込む大事故でした。
岡寛恵さんはフロントガラスに顔面を強打。顔面には20か所以上のガラスが突き刺さっていました。不運なことに彼女の傷は全て顔に集中していました。特に損傷のひどい右目付近はZ型に大きく切れ、口元の傷は頬まで伸び口が裂けたような状態に。岡寛恵さんは、顔中にガラスが刺さったまま病院へ搬送され傷口を縫い合わせる処置を受けました。
事故から1か月後、ようやく包帯を外せましたが、そこにあったのは手術痕だらけの顔でした。そして岡寛恵さんは19歳で芸能界を引退しました。しかし、顔を失った彼女に待っていたのは地獄の日々でした。
外出時はファンデーションを厚く塗り傷を隠そうと努力しました。しかし、好奇心の目や異物を見るような感じで見られてしまうということがあったと言います。飲食店でアルバイトをしても「厨房に入れ」と言われてしまったそうです。
ところが、21歳の時に転機が訪れました。検診で顔面形成外科手術を勧められたのです。しかし、岡寛恵さんの傷は20か所以上と多いため一気に手術は不可能で長期治療が必要とされました。それでも岡寛恵さんは手術を希望しました。そして5年間で5回に及ぶ大手術を受けました。
現在、頬についた細かい傷はキレイに消え、事故以前と比べても顔の傷はほとんど分からない状態になっています。それでも全ての傷跡が消えたわけではなく、口元の傷は今でも気になると言います。
岡寛恵さんは現在、独身で母と二人暮らしをしています。そして、大林宣彦監督に「表現できる人になりなさい」と言われた言葉の意味を忘れることなく、顔ではなく声で表現できる声優の世界に飛び込んでいます。年間100本以上の仕事をする超売れっ子に。さらに、一度は諦めた女優の道も、今では舞台の世界で再出発を果たしています。
「爆報!THEフライデー」
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