陰陽師・安倍晴明のヒミツ ようこそ!平安京ダークサイド|歴史秘話ヒストリア

NHK総合テレビの「歴史秘話ヒストリア」でようこそ!平安京ダークサイド 陰陽師・安倍晴明のヒミツが放送されました。

安倍晴明(あべのせいめい)と言えば、空を飛び魔物を倒す、映画や漫画では人間離れした超能力者として描かれます。しかし、安倍晴明は平安時代に実在した人物です。こんな術を使えたはずはありません。安倍晴明の真実の姿とは?

 

真実の安倍晴明 ~ヒーロー誕生のヒミツ~

安倍晴明の名が初めて記録にあらわれたのは960年。平安京の中心、天皇が暮らす内裏の側に「陰陽寮」という役所がありました。陰陽師というと妖しいイメージですが、れっきとした朝廷の役人。いわば国家公務員です。天文、暦、時刻、占いの4つの分野に関わる朝廷の業務を担当していました。その陰陽寮で安倍晴明は天文学を学んでいました。この時の安倍晴明はまだ研修生ですが、後に都でも一番の陰陽師になります。これまでにない革新的な考え方で次々と術を繰り出したからです。

 

安倍晴明の陰陽術 禹歩(うふ)

天皇が新築の御所に初めて入る時のこと。天皇が通る道の邪気を払うという儀式が行われました。普通、式次第は先例にのっとって決められています。このときは酒や米をまいて道を清めるはずでした。ところが、安倍晴明は奇妙な足さばきで歩き始めました。その名は禹歩(うふ)。陰陽師が代々受け継ぐマジカル・ステップです。禹歩は全部で9歩。重要なのはステップの運び方です。そして、同時に唱える「天逢 天内 天衝」という言葉です。これは北斗七星を含む9つの星の名前です。足跡を線で結ぶと北斗七星の形に似ています。禹歩は天の星の力で大地の邪気を鎮めるマジカル・ステップなのです。しかし、なぜ安倍晴明は予定を変えてまで禹歩を行ったのでしょうか?

実は、御所が新築されたのは前の年に火災で焼けたからでした。安倍晴明はこれまで通りのやり方では火災による邪気を払えないと判断。あえて儀式をアレンジしたのです。天皇も貴族たちも納得し、一層安心して新しい御所に入りました。

 

安倍晴明の陰陽術 泰山府君祭

989年、宮中は悲しみに包まれていました。幼い一条天皇が重い病にかかってしまったからです。何か打つ手はないか、仏教の僧と安倍晴明が呼ばれ病気回復を祈ることになりました。僧侶が行ったのは尊勝御修法(そんしょうみしほ)仏の力で病を退散させる当時の代表的な祈祷法でした。これに対して安倍晴明は前代未聞の術を施しました。地獄の力を借りたのです。泰山府君とは、閻魔大王に並ぶ地獄の10人の王の一人です。人間すべての寿命を記した帳簿を持ち、生死をつかさどるとされています。術の名は「泰山府君祭(たいざんふくんさい)」。泰山府君に帳簿を書き換えてもらい、寿命を延ばす儀式を編み出したのです。祭壇には帳簿を書き換えるための硯と墨、筆が用意されました。

その後、平安貴族の間では泰山府君が大流行り。長く生きたいという誰もが抱く願いに説得力のある術でこたえた安倍晴明の名は大いに高まったと思われます。ちなみに平均寿命が30歳前後だった平安時代に安倍晴明は85歳まで生きました。

 

安倍晴明の陰陽術 追儺

平安時代の人々は病気や天災など、人にはどうしようもない災いは全て鬼の仕業と信じていました。災いを避けるためには何より鬼を追い払う必要がありました。平安京の人々にとって追儺(ついな)はきたる年の平穏を祈る大事な行事でした。ところが、1002年の大晦日、朝廷は追儺をとりやめると決定しました。1週間程前に天皇の母が亡くなったばかりで、朝廷は賑やかな行事を控えて喪に服することになったのです。平安京の人々は大きな不安を抱きました。というのも、この年は疫病や飢饉、洪水などが相次ぎ、いつもの年以上に追儺の儀式を待ち望んでいたからです。安倍晴明が立ち上がりました。朝廷がやらないのならばと安倍晴明は自分の屋敷で追儺を執り行ったのです。すると、京のいたるところから人々が続々と安倍晴明の屋敷に集まってきました。そして「鬼やろう」と声を合わせました。その声は都中に響き渡ったと記録されています。貴族から民衆まで、陰陽師の術で心の平安を守った安倍晴明。この後、平安京の闇を払うヒーローとして語り継がれるまでになっていきました。

 

星のチカラを宿せ ~安倍晴明と伝説の剣~

聖徳太子によって創建された四天王寺に伝説の剣が眠っています。国宝「七星剣(しちせいけん)」です。かつて聖徳太子が持っていたと伝えられる品です。その名の通り、刀身に刻まれているのは北斗七星。古より北斗七星は邪悪なものを打ち払い国を守る力があるとされてきました。そして、安倍晴明もまた北斗七星の剣と深い関係があったのです。

陰陽師が学ぶ陰陽道の始まりには星が深くかかわっています。そのルーツが古代中国の陰陽五行説です。この世の全ては陰と陽が対になっており、互いに影響しあっていると説きます。例えば、太陽と月、男と女、火と水といった具合です。中でも重要なのは地上に人間と天の星々。星の動きに異常があれば人の世にも災いが起きると考えられていました。この考え方を日本に本格的に取り入れたのは飛鳥時代の天武天皇です。天武天皇は即位すると中国にならって占星台を築きました。星々の異変を速やかに見つけるための観測所です。さらに、観測の結果を分析する陰陽寮を設置しました。陰陽師という仕事は星の動きを見極めることから始まったのです。約300年後の安倍晴明も陰陽寮の役人。豊富な星の知識を持っていました。

960年、平安京はじまって以来の大火災が都を襲いました。御所は全焼。宝物殿も焼け落ち、天皇家代々の宝はその多くが失われてしまいました。消失した中には朝廷で最も重要な2本の剣、護身剣と将軍剣も含まれていました。国家守護の力を備えるとされた霊剣です。一刻も早く新たな霊剣を作るため陰陽寮も駆り出されました。2本の剣にはいくつもの文様が彫られていました。特に重要なのが北斗七星や南斗六星といった星の文様。ここに星の力が宿るとされていました。ところが、肝心の文様について誰も分かる者がいませんでした。その時活躍したのが安倍晴明でした。安倍家に伝えられた話によれば、安倍晴明は密かに式神を呼び出しました。なんと安倍晴明は式神から霊剣の文様を聞き出したのです。というのは、あくまで安倍晴明伝説の一つ。しかし、安倍晴明が文様の再現に大きく貢献したことは間違いありません。

 

陰陽道は日本の近代化が進むにつれて消え去っていきました。しかし、その名残をとどめる場所があります。高知県の物部町には「いざなぎ流」と呼ばれる民間信仰が伝えられています。建てたばかりの家の安全、毎年の収穫への感謝、日々の暮らしの色々な場面で独自の祈祷が行われています。陰陽師は歴史の表舞台ではその役目を終えましたが、蓄えた知識や技は各地に広まり人々の心に寄り添っているのです。


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