よみがえる幻の海賊都市ポートロイヤル~海に沈んだカリブの楽園~|歴史秘話ヒストリア

NHK総合テレビの「歴史秘話ヒストリア」でよみがえる幻の海賊都市~海に沈んだカリブの楽園~が放送されました。今から300年前、カリブの海を駆け巡った荒くれ者たちがいました。史上空前の2000人もの仲間を率いた海賊王や奇抜なファションで黒ひげと呼ばれ恐れられた船長、勇猛果敢な女海賊までいました。そんな海賊たちの根城となった町がポートロイヤル。海賊がもたらす巨万の富で栄えたポートロイヤルは当時、世界で最も豊かな町と称えられました。しかし17世紀末、大地震に襲われ町は破壊。大部分が海に沈み、今も海に眠ったままです。幻の海賊都市はどんな姿をしていたのか、世界各地の研究者たちが熱い視線を注いでいます。

 

これがカリブの海賊だ!

海賊たちの略奪行為は今なら完全に犯罪ですが、17世紀半ば海賊たちは大手を振って船を襲っていました。それは私掠免許と呼ばれる許可証のおかげでした。私掠免許さえあれば、敵国船への攻撃が許されたのです。当時イギリスは新大陸と呼ばれたアメリカの利権をめぐり、スペインと激しく対立していました。ライバルのスペインはいち早く領土を拡大して、そこで手に入れた金や銀などを船で本国に運び莫大な富を築いていました。一歩出遅れたイギリスは海賊に私掠免許を与え、スペインの船を襲わせていました。つまり海賊は国家公認で略奪を行っていたのです。海賊たちにとってスペインの船は宝船でした。船に積まれていた財宝は時に1隻で400億円を超えたとも言われています。海賊に次々と船を襲われたスペインは大打撃を受け、イギリスのもくろみは成功。この海賊たちの拠点となったのがジャマイカの港町ポートロイヤルでした。ポートロイヤルはイギリスの植民地で私掠免許を持った海賊はこの町を自由に利用することが出来ました。

 

現在のポートロイヤルは人口2000人ほどの小さな漁村です。海賊の面影はほとんどないポートロイヤルですが、イギリスがスペインなどの敵から町を守るために作ったチャールズ砦が今も残されています。時には敵の船を襲い、時には町の防衛軍ともなった海賊はポートロイヤルの繁栄にとって欠かすことの出来ない存在でした。カリブの海賊たちの中でも遠く離れたヨーロッパにまでその名を轟かせたのがヘンリー・モーガン。人呼んで「ポートロイヤルの海賊王」です。ヘンリー・モーガンは海賊を夢見てイギリスからカリブに渡り、戦いで連戦連勝。海賊の親玉へとのぼりつめました。1670年、ヘンリー・モーガンは海賊史上最も壮大な計画を思い立ちます。それはスペインの拠点パナマへの遠征です。スペインは南米の高山でとれた金や銀などをパナマに集め、そこから本国に輸送していました。パナマは黄金で溢れかえる黄金郷だったのです。しかし、パナマはカリブ海とは反対側の太平洋に面し、ポートロイヤルから船で攻め込むには南米大陸をぐるりと回らなくてはなりません。そのため海賊の攻撃にさらされたことがほとんどありませんでした。ヘンリー・モーガンの呼びかけに集まった海賊は2000人。30隻を超える大艦隊が出港しました。しかし、ヘンリー・モーガンはすぐに船をおり陸路を通って最短ルートでパナマを目指したのです。ジャングルを進むこと10日間、パナマに辿りついた海賊たちによってパナマは半日で海賊の手に落ちました。財宝の多くはポートロイヤルに運ばれ、略奪した銀貨はポートロイヤルで貨幣として使われ町の経済を活性化させました。町には海賊の富を目当てにヨーロッパから沢山の商人や職人が集まりました。小さな港町だったポートロイヤルの人口は1万人近くにまで増え、新大陸有数の巨大都市へと変貌。しかし、繁栄は長くは続きませんでした。1692年、大地震がポートロイヤルを襲ったのです。さらに揺れの直後、町は大津波に襲われました。この地震で町の3分の2が海に沈み、海賊の楽園は地上から姿を消しました。今もひっそりと海の底に眠るかつての町の中心部。近年、調査が進みその実態が明らかになりつつあります。

 

カリブの海賊列伝 悪魔の化身 黒ひげ

エドワード・ティーチ、通称「黒ひげ」は海賊王ヘンリー・モーガンの時代から40年あまり後に活躍した海賊です。トレードマークは長い髭。カリブ海で最も恐れられた海賊です。黒髭は見た目だけでなく船も強力でした。40門の大砲を備えた大型の海賊船で、カリブ海を我が物顔で暴れまわったのです。当時の人たちは黒ひげのことを悪魔の化身と恐れました。そんな黒ひげの略奪行為に手を焼いたイギリスは討伐のため海軍を派遣。この時代イギリスはスペインと和平を結び、海賊行為は違法とされて厳しい取り締まりを受けるようになっていたのです。黒ひげは海軍に大砲で打撃を与え、とどめを刺そうと敵の船に乗り込みました。しかし、黒ひげは敵に刺されあっけない最期をとげました。切り落とされた首は見せしめとして船の先に吊るされました。ところが、海に捨てられた黒ひげの胴体が船の周りをぐるぐると泳ぎ回ったと言われています。

 

カリブの海賊列伝 女海賊の戦い

海賊は男社会でしたが、中には女性もいました。その一人がアン・ボニー。裕福な家に生まれたアン・ボニーですが、海賊を好きになってしまいました。彼氏にぞっこんのアン・ボニーは自分も海賊船に乗り込み、やがて彼女はピストルの名手として頭角を現しました。しかし1720年、海賊を取り締まる船にアン・ボニーの乗る船は見つかってしまいました。恋人はアンを守るどころが一目散に隠れました。捕らえられたアン・ボニーは恋人ともども絞首刑が決定。しかし、アンが妊娠していることが判明。当時のイギリスの法律では、罪人が妊娠している場合、出産するまで刑の執行は延期されることになっていました。その後、アン・ボニーが処刑されたという記録は残っていません。うまく逃げて82歳まで生き延びたという話も伝わっています。

 

海賊たちが活躍した時代から300年、2008年にカリブ海で大発見がありました。海賊王ヘンリー・モーガンがパナマ遠征で使ったと見られる船が発見されたのです。カリブ海にはこうした海賊船がまだまだいっぱい沈んでいると考えられています。