ゲノム編集(2) がんを根治!?医療で始まる大革命|サイエンスZERO

私たちの細胞の奥深くにしまわれた生命の設計図ゲノム。そこに無数に並ぶ遺伝子によって、私たちの体の作りやどんな病気にかかりやすいかといった運命が左右されます。

その遺伝情報を自由自在に切り貼りし、書き換えられる驚きの技術を人間はついに手に入れました。それが「ゲノム編集」です。従来の遺伝子操作技術とは比べものにならないほど、簡単かつ正確に狙った遺伝子だけを切り書き換えられるのです。

病気の治療に大革命!ゲノム編集医療

今、ゲノム編集の研究で世界のトップクラスに急浮上しているのが中国です。2017年3月末、上海市内で大きな学会が開かれました。集まったのは国内の第一線で活躍する医学や薬学の若手研究者たち。「ゲノム編集医学」をテーマに初めての学会が開催されたのです。ゲノム編集を医療に応用するという新分野、中国政府は2030年までに1兆円を投じる計画です。

中国・国家科学院では20以上の研究プロジェクトが動いています。プロジェクトリーダーを任された李偉(リイ)さんが研究しているのは、運動神経が麻痺して手足に力が入らなくなるグルタル酸血症という難病です。

この病気は私たちのゲノムにある特定の遺伝子が働かないために起こる病気と考えられていますが、患者数が非常に少なくほとんど解明されていません。何とか治療法を見つけようと、李さんはまずどの遺伝子の異常が原因なのか突き止めることにしました。

この病気はある遺伝子が働かないことで起こります。その状況を人為的に作って詳しく調べたんです。

(国家科学院 李偉研究員)

ここで活用するのがゲノム編集技術です。マウスのゲノムにもそれが正常に働かないとグルタル酸血症が起こる遺伝子があるはずです。そこで李さんは、いろいろな遺伝子をゲノム編集で切って働けなくし症状が現れるか調べました。そして、とうとうグルタル酸血症の原因となる遺伝子を突き止めたのです。

それならば逆に正常に働くその遺伝子をゲノム編集で組み込めば、グルタル酸血症を治せるのではないかと考えました。そして、病気の原因となる遺伝子をゲノム編集で修復する物質をマウスに注射。すると、神経が麻痺していたマウスが1か月程で歩けるまでに回復しました。

これはいわば「ゲノム手術」です。マウスでは、この治療で症状を和らげることができました。ゲノム編集技術は生命科学に革命をもたらすのです。

(国家科学院 李偉研究員)

がんを根治!?ゲノム手術の威力

国家科学院 遺伝子プロジェクト技術研究チーム長の王皓毅(おうこうき)さんは、ゲノム編集を使って全く新しいがんの治療法を生み出そうと研究しています。

着目したのは病気に対抗する免疫システムのかなめ白血球T細胞です。T細胞はがん細胞を見つけると攻撃してくれる頼もしい存在ですが、その表面にPD1と呼ばれる場所があり、そこを塞がれると働きが弱まる性質があります。実は、がん細胞はPD1を巧みに塞いでT細胞の働きを抑え増殖することが分かっています。そこで、特別な薬でPD1をブロックしがん細胞に塞がせないようにする免疫療法という最新の治療が注目されています。

しかし、王さんはT細胞からPD1をなくしてしまえば良いのではないかと考えました。そこでゲノム編集技術でT細胞にPD1を作る遺伝子を切り取ってしまいました。それだけでなく、王さんは別の研究者が開発したがん細胞を見つけて捕まえる特殊な物質に注目しました。

この物質を作る遺伝子をゲノム編集で付け加えたところ、がん細胞につけこまれるPD1を持たず、逆にがん細胞を捕まえる特別な腕を持った「スーパーT細胞」を作り出すことに成功したのです。こうして作り出されたスーパーT細胞を培養したがん細胞に加えると48時間後、90%以上のがん細胞を駆逐することができました。

人間でも「スーパーT細胞」を増やせれば理論的には100%がんを殺すことも可能だと思います。がんを撲滅する新たな治療法になるでしょう。

(国家科学院 王皓毅研究員)

しかし、PD1はもともと免疫反応が過剰にならないようにする安全装置です。マウスの実験では自己免疫疾患が起きるということが報告されています。

ゲノム編集を使った医療の研究は日本国内でも始まっています。がんに限らず病気の原因となっている患者の細胞を取り出し、ゲノム編集を使って異常な働きをしている遺伝子を切り、正常な遺伝子と入れ替えます。それを再び体内に戻すという治療の試みです。基礎研究の段階ですが、筋ジストロフィーの治療を目指した実験が行われています。

ついに始まった!命を救うゲノム編集医療

アメリカ・サンフランシスコでゲノム編集を人間の病気の治療に応用する世界初の臨床試験が行われています。

マット・シャープさんは29年前、バレエダンサーだった頃にエイズウイルスに感染しました。薬を飲み続けても病気が進行し、次第に免疫力が弱まりめまいや下痢などの副作用にも苦しめられていました。そんなシャープさんが主治医に勧められて参加したのが世界初の治療法の臨床試験です。

エイズを克服!命を救うゲノム編集

治療ではまず血液を採取します。治療のターゲットは免疫細胞のリンパ球です。リンパ球には表面に特有の突起があります。エイズウイルスは、この突起に結合してリンパ球内部に侵入し増殖。リンパ球を壊して体内に広がっていきます。

そこで、新たな治療法では採取した血液中のリンパ球のゲノムを編集して、突起を作る遺伝子を切り取ってしまいます。これを体内に戻すと患者の体内では次第に突起を持たないリンパ球が増え、エイズウイルスの増殖が食い止められると考えられるのです。

シャープさんが治療を受けて数か月後、ウイルスの増殖が抑えられ免疫力を示す数値が大きく上昇。薬の服用が必要ない状態にまで回復しました。

私だけでなく医者も驚いていましたよ。普通は起きないことですからね。エイズはもう治療可能になろうとしています。感染したときには想像もできませんでしたけれどね。

(マット・シャープさん)

生命を作り変える!?ゲノム編集の衝撃

ゲノム編集によって遺伝子を書き換えられるのは、病気の患者の細胞だけではありません。まだ生まれる前、受精卵の段階で遺伝子を書き換える研究も始まっています。

2015年、中国で人間の受精卵にゲノム編集を加えた実験が行われました。受精が失敗した受精卵を私用した実験ですが、技術的にはヒトの受精卵でゲノムを改変した母体に戻せばゲノム編集で改変した遺伝子を持った子供が生まれるところまで十分可能な段階だと言います。

生態系まで変わる!?驚異の遺伝子操作技術

近年、日本でも大騒ぎになったジカ熱やデング熱。これらは蚊が媒介して広がる伝染病です。血を吸われるとかゆくなるばかりか、様々な病気まで移されてしまいます。マラリアをはじめ蚊が運ぶ病気による死者数は世界中で毎年100万人にものぼると言われています。実は蚊は地球上で最も多くの人間を殺している生物なのです。

そこで今、ゲノム編集を使って蚊が運ぶ病気を撃退する研究が行われています。

マラリアの病原体は、蚊に寄生するマラリア原虫という寄生虫です。成虫になって血を吸うさい人間の体内にマラリア原虫が侵入して感染します。そこでカリフォルニア大学アーヴァイン校のアンソニー・ジェームズ特任教授は、マラリアを撲滅するにはそもそも蚊がマラリア原虫に寄生されないようにしてしまえばいいと考えました。

ジェームズさんたちは、まずマラリア原虫の寄生を防ぐ働きをするマラリア耐性遺伝子を見つけ出しました。そして、この耐性遺伝子をゲノム編集によって蚊の受精卵のゲノムに組み込んだのです。しかし、これでマラリア原虫に寄生されなくなるのはゲノム編集した卵からかえった蚊だけ。耐性遺伝子を持たない通常の蚊と交尾すると受精卵の中で両者のゲノムが混ざり合い、生まれた子供には必ずしも耐性遺伝子が受け継がれません。

そこでジェームズさんは、交尾相手のゲノムにも耐性遺伝子を組み込む働きをする新たな遺伝子を蚊のゲノムに付け加えました。いわばゲノム編集遺伝子です。こうすると、別の蚊と交尾して受精卵ができるたびに自動的にゲノム編集が行われ、相手のゲノムにも耐性遺伝子が組み込まれます。すると、生まれる子供には100%耐性遺伝子が受け継がれます。こうして最初の1匹にだけゲノム編集を施せば、やがて全ての蚊のゲノムに耐性遺伝子が組み込まれることになるのです。

ゲノム編集する機能自体を生物のゲノムに組み込んでしまう、これがゲノム編集を発展させた「遺伝子ドライブ」という新しい技術です。

計算上は2年以内に私たちの作った蚊しかいなくなると思われます。マラリアを撲滅することは可能なのです。

(アンソニー・ジェームズ特任教授)

実験的にゲノム編集された蚊は、厳重に隔離され外に放たれていません。しかし、遺伝子ドライブ技術によって遺伝子を書き換えられた生物が次々と自然界に広がれば、元には戻せない変化を地球の生態系に与えてしまうことになります。今や人間はそれほどの威力を持つ遺伝子操作技術を手にしているのです。

「サイエンスZERO」
シリーズ・ゲノム編集
(2)がんを根治!?医療で始まる大革命

シリーズ・ゲノム編集(1)「生命を作り変える魔法の新技術
(2)「がんを根治!?医療で始まる大革命」

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