コロンブスの素顔 ~英雄か侵略者か~|137億年の物語

スペインとポルトガルは15世紀、競って海外へと進出しました。大航海時代です。歴史に名を残す数多くの冒険家が現れました。

中でも有名なのがクリストファー・コロンブスです。彼の航海を支援したのがスペイン。スペインでは偉大な英雄とされています。

コロンブス

しかし、コロンブスは本当に英雄だったのでしょうか?

クリストファー・コロンブス

コロンブスは自称イタリア人としてパロス・デ・ラ・フロンテーラにやってきました。航海の支援者を探していたのです。

西に向かえばアジアに着く」という突拍子もない計画は相手にされず、数年間ラ・ラビダ修道院に身を寄せていました。

コロンブスはキリスト教の布教にもつながると熱心に航海の計画を説明しました。

熱意が実り1492年、スペイン王室の支援をとりつけました。コロンブスは未開の海を西へ西へと進みヨーロッパ人として初めて新大陸アメリカに到達しました。

なぜコロンブスは新大陸を目指したのか?

ヴェネツィアの商人マルコ・ポーロがまとめた旅行記「東方見聞録」を読んだコロンブスは、ジパングの記述に強く惹かれました。

コロンブスはジパングの黄金だけでなく東南アジアで採れる香辛料にも大きな関心を抱いていました。中世ヨーロッパで香辛料はとても高価な商品だったからです。

コロンブスは西へ2ヶ月進めばアジアに到達できると予測していました。しかし、予定を過ぎても陸が見えず船員たちの不満が高まりました。

サン・サルバドール島

彼らを前にコロンブスは「あと3日で着かなければ引き返す」と宣言。するとその2日後、陸地を発見。コロンブスはアバナ諸島に到達しました。彼はこの島をサン・サルバドール島と名づけました。意味は「聖なる救世主」です。

コロンブスの記録によると先住民はとても親切で友好的、常に笑みを浮かべていたそうです。コロンブスは彼らを東アジア人と信じインディオと呼びました。

先住民たちは島の東に「シバヨ」と呼ばれる黄金の産地があるとコロンブスに教えました。コロンブスはシバヨこそ黄金の国ジパングに違いないと確信し出発。しかし、途中サンタマリア号が座礁。撤退を余儀なくされました。

船に全員乗れなくなったため乗組員39人を島に残しコロンブスは帰りました。コロンブスのアジア到達の知らせをうけ支援していたスペインは沸きあがり、彼は英雄ともてはやされました。

1年後の1493年には第2回航海に出航。17隻1500人が参加しました。コロンブスは総督としてアジアだと信じた場所に戻りました。そして、エスパニョーラ島の入植を開始。コロンブスたちは先住民たちを使い黄金探しに奔走。しかし、発見できたのはごくわずか。香辛料も見つかりませんでした。

そこで、わずかにとれる金を先住民から取り上げ、さらに先住民を奴隷にしてスペインへと売り飛ばしました。

しかし、食料をめぐる暴動や先住民との争いは絶えず入植計画は頓挫。巨万の富を得られなかったばかりか、スペイン女王はコロンブスを見限り総督の地位を剥奪しました。

結局、黄金も香辛料も得られないままコロンブスは55歳の生涯を閉じました。

コロンブスは新大陸からヨーロッパに梅毒を持ち込みました。一方、スペイン人は天然痘やインフルエンザなどの伝染病を新大陸に持ち込みました。

新大陸にとってコロンブスはとても迷惑な人物だったのです。

「137億年の物語」
英雄か侵略者か ~コロンブスの素顔~

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