ビキニ事件と俊鶻丸 ~海の放射能汚染に立ち向かった日本人|ETV特集

NHK・Eテレの「ETV特集」で海の放射能に立ち向かった日本人~ビキニ事件と俊鶻丸~が放送されました。

 

1954年3月1日、アメリカが太平洋のビキニ環礁で水爆実験を行いました。この時、爆心地から約160kmの地点で操業していた日本のマグロ延縄漁船「第五福竜丸(だいごふくりゅうまる)」が被爆しました。乗組員23人は空から降ってきた大量の死の灰を浴び、急性の放射線障害に苦しみました。被害は水産物にも及びました。日本各地の港で放射線物質に汚染されたマグロが相次いで水揚げされたのです。しかし、核実験を行ったアメリカは放射性物質は水で薄まるため無害になると主張。核実験による大きな被害を受けたにも関わらず日本政府はアメリカの責任を追及しようとはしませんでした。

 

汚染の原因として強く疑われたのは放射性物質を含む死の灰です。空から降り注いだ死の灰が、どのようにして海中のマグロを汚染するのか、そのメカニズムはよく分かっていませんでした。日本政府の中でマグロの汚染に対して強い危機感を持ったのが水産庁。水産庁の要請で調査の計画を立案する科学者のグループ顧問団が組織されました。中でも中心的役割を担ったのが気象研究所の三宅泰雄さんです。こうした中、22人の若き科学者を乗せた海洋調査船「俊鶻丸(しゅんこつまる)」がビキニの実験場に向けて出港しました。俊鶻丸が出発する2日前、アメリカはこの年の核実験が終了したことを宣言しました。

 

当初、科学者たちは漁でとれたマグロが船の上で死の灰をかぶり汚染されたと考えていました。そのため海水の汚染は重視していなかったと言います。俊鶻丸の出発から2週間後の5月31日、それまで0カウントだった汚染レベルが一気に450カウントまで跳ね上がりました。爆心地から800km以上も離れた地点でした。海水の放射線のレベルが上がると乗組員の被曝が問題になりました。そして6月12日、俊鶻丸は爆心地から180kmの地点まで近づきました。その時の海水の放射線量の数値は1分間に5540カウント。現在の単位に換算すると1リットルあたり1207ベクレルになります。ビキニ環礁から1500km離れても爆心地の15分の1程度と高い濃度を示すことが分かりました。海の汚染は簡単には薄まらなかったのです。俊鶻丸は海水だけでなくマグロを捕獲し、その汚染を詳しく調べました。マグロを解体し体の部位ごとに放射線の量を測り汚染の程度を調べたのです。するとマグロの体の部位によって放射線の値は大きく異なることが分かりました。脾臓や肝臓などの値はきわめて高く、食用にする筋肉の部分は比較的低かったのです。海水に接している皮やその下にある筋肉ではなく、なぜ内臓から高いレベルの放射線が検出されるのか、科学者たちが注目したのはマグロのエサでした。マグロが好んで食べるイカや小魚、さらにそのエサのプランクトンの汚染も調べました。その結果、海水中の放射線物質がプランクトンに取り込まれる段階で大幅に濃縮され、それがイカやマグロに移行していることが分かったのです。濃縮された主な物質は亜鉛であることも分かりました。亜鉛は生物にとって不可欠な元素の一つで生態の中に取り込まれます。その亜鉛が水爆を覆う金属に含まれていたのです。爆発によって亜鉛が放射能を帯び、プランクトンやイカに取り込まれたと考えられます。繰り返される核実験がいかに海を汚染しその環境を破壊するのか、未解明だった海の放射能汚染の実態に初めて光を当てたのが俊鶻丸でした。




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