古代ローマ コロッセオの秘密|地球ドラマチック

イタリア・ローマは数多くの歴史的遺産にみち、西洋文明の礎となりました。中でも最も有名な物の一つが円形闘技場「コロッセオ」です。現在残っているのは元の姿の3分の1にすぎません。コロッセオは当時各地に作られた円形闘技場の中でも最大の規模を誇り、皇帝によって政治的に利用されました。

 

西暦80年、コロッセオのお披露目を祝う祭典が始まりました。祭典は100日にわたって続き、様々な出し物が次から次へと繰り広げられました。盛大な祭典は、第10代皇帝ティトゥスが人々のために開いたものでした。

 

中でも圧巻だったのが、コロッセオに水をはり本物の船を使って行われた合戦でした。コロッセオには飲用の噴水が100所以上設置されていました。建物の中に水がひかれていた証拠です。船の合戦用に水を生み出すには大量の水が必要です。ステージの周囲には水路が残されています。水路には地下に通じる水口が30箇所もうけられ水がステージの下に流れ込む仕組みになっていました。

 

こうした催しは、もともと兵士たちが湖や川でローマ軍の戦いの様子を再現し、戦争の勝利を祝うためのものでした。しかし、コロッセオでの合戦は奴隷や罪人によって行われ、どちらか一方が全滅するまで命がけで戦うことを強いられました。

 

100日間の祭典でもう一つ人気のあった催しは、動物狩りでした。猛獣が闘技場に放たれ、人間と戦うよう仕向けられました。動物狩りには重要な意味合いがありました。動物は征服された属州を象徴し、動物を倒すことはローマ帝国が未開の地を文明化することを示していたのです。

 

珍しい動物が沢山登場すればするほど、帝国の力を示すことが出来ました。記録によれば、初日だけで5000頭もの動物が殺されました。贅を尽くした祭典は、100日間休むことなく催されました。皇帝ティトゥスはなぜこれほどまでに壮大な祭典を開いたのでしょうか。

 

その答えは、ティトゥスの父ウェスパシアヌス帝の生涯にあります。西暦69年、ウェスパシアヌスとティトゥス親子は、属州ユダヤの地で起きた反乱を鎮圧するためローマ軍を率いて遠征していました。その頃、ローマ帝国は混乱状態にありました。皇帝ネロが自害した後、わずか1年の間に3人の皇帝が次々と即位していたのです。

 

やがて、ウェスパシアヌスこそ皇帝にふさわしいと推す声が上がりました。ローマの元老院も賛成しました。ウェスパシアヌスはユダヤ鎮圧を息子ティトゥスに委ね、急いでローマに戻りました。新皇帝が最初に取り組むべき課題は、何年にも渡って荒廃しきったローマの街を再建することでした。そして、皇帝としての自らの権威を確立する必要がありました。

 

代々の皇帝が王族や貴族の出身だったのに対し、ウェスパシアヌスは平民の出だったからです。人々の支持を集めるため、ウェスパシアヌスは独裁政治で人々を弾圧した暴君ネロを否定し、差別化をはかりました。そして、長年の内乱と圧制に苦しむローマ市民にコロッセオという壮大な贈り物をしようと決意したのです。

 

円形闘技場は、それまでも歴代の皇帝によって各地に建設されてきました。円形闘技場の建設は、民衆の支持を得るのに効果的だったからです。剣闘士の戦いは帝国中で人気を博し、強い剣闘士は行く先々でもてはやされました。剣闘士の汗は香水として売られたと言います。

 

剣闘士の多くは、戦争で捕虜となった奴隷でした。しかし、戦いに勝てば財をなし名声を得ることが出来ました。戦いの前夜には宴会が催され、女性たちは剣闘士に会うためにお金を払いました。剣闘士は当時のスターで、その戦いはローマで最も人気のある娯楽だったのです。だからこそ、ウェスパシアヌスは民衆の心をつかむためこれまでにない規模の円形闘技場の建設を決意したのです。

 

西暦72年、コロッセオを建設が開始されました。コロッセオの建築を可能にした革新的な建築技術の一つがアーチです。アーチは木の枠の上に石を並べて作られました。真ん中で全体をつなぎとめる要石が重さを左右に分散させるため、さらに上に石を積み重ねることが出来ます。コロッセオにはアーチが繰り返し使われています。この無数のアーチがコロッセオの重さを支え、建物全体の均衡を保っています。

 

アーチは古代ローマの建築に革命を引き起こしました。建物の重さが軽減されることで、より高い建物が建てられるようになったのです。しかし、アーチだけでは50mもの高さがあるコロッセオを支えることは出来ません。コロッセオの建築を可能にした新しい建築素材の一つがコンクリート。

 

古代ローマの人々は、石灰と水と火山灰を混ぜ合わせたセメントを建築に使っていました。このセメントに砂や小石を混ぜ合わせコンクリートを作ったのです。もう一つの新素材がレンガ。コロッセオの建設では石の代わりに素焼きのレンガが100万個以上使われています。アーチやコンクリート、レンガの登場によって、初めてコロッセオの建設は可能になったのです。また、コロッセオの建設には滑車のついたクレーンが使われました。クレーンは重い建築素材を運びあげるために欠かせない装置でした。

 

コロッセオが建設された当時、ローマの財政はネロとその後の3人の皇帝たちによって破産寸前に追い込まれていました。ウェスパシアヌスは、どのようにしてこの巨大プロジェクトの費用を調達したのでしょうか。それは戦争によって得た戦利品でした。

 

西暦70年、ローマ軍によってエルサレムの街の要塞が破られました。ティトゥスがエルサレムを陥落させたのです。ティトゥスがエルサレムから奪った数え切れないほどの財宝が、コロッセオ建設の資金となりました。さらに、3万ものユダヤの人々が奴隷として建設にかりだされました。コロッセオの建設はエルサレムの犠牲の上に実現したのです。

 

西暦79年、皇帝ウェスパシアヌスはコロッセオの完成間近に世を去り、コロッセオのお披露目は息子ティトゥスに託されました。新皇帝ティトゥスは、父が築いた円形闘技場にふさわしい豪華な祭典を開くことにしました。観客はチケットを持って入場しました。

 

70箇所以上ある入り口のどこから入ればいいかは、それぞれのチケットに記されていました。このシステムのおかげで、観客はすばやく自分の席に着くことが出来ました。また5万人の観客全員がわずか30分で退場することが出来たと言われています。

 

座席は身分によって分けられ、最前列は貴族の席でした。その奥に騎士の席、さらに奥には平民の席がありました。急勾配の階段を上りきった最後部の席は無料で、ローマ市民ではない者や女性が座りました。

 

ティトゥスはユダヤへの遠征中、異国の女性と恋に落ちました。ユダヤの王族の娘ベレニケです。ティトゥスはベレニケを心から愛していました。エルサレム征服後、ローマにいる父のもとに戻ったティトゥスを追って、間もなくベレニケがローマにやってきました。ティトゥスはベレニケを妻にしたいと考えましたが、彼らの結婚をローマ市民を受け入れませんでした。ユダヤの王族の娘がローマ皇帝の后になることを拒絶したのです。

 

人々は、かつて異国の女王クレオパトラが帝国を混沌と戦争に陥れたことを忘れていませんでした。ティトゥスには多くの政治的ライバルがいました。彼は権力を保つため、愛する女性をユダヤに帰すことにしました。ティトゥスはその後、皇帝の座についても妻を迎えず独身のまま生涯を終えました。

 

ティトゥスは、市民の声をよく聞く名君として称えられました。しかし、統治はわずか2年で終わりを告げました。

 

西暦81年、ティトゥスが世を去り弟のドミティアヌスが皇帝になりました。ドミティアヌスはコロッセオにさらに手を加え、3階建てだったコロッセオに4階部分を加えました。さらに、コロッセオの地下に様々な設備が取り付けられ、競技者たちが出番を待つ場所として使われました。

 

時は流れ、キリスト教会の勢力が増すと古代ローマの建造物は採石場として使われるようになりました。コロッセオからも石や彫像、大理石が持ち去られました。かつての輝きは失われ、西暦442年にコロッセオは大地震によって倒壊しました。

 

現在残っているのは、元の建造物の3分の1に過ぎません。しかし、その姿は見る者に遥か昔に隆盛を極めた古代ローマの輝かしい物語を語りかけてくるのです。



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