1986年に生まれたザック・ダンラップは、生後15日でダッグとパムのもとに養子として迎えられました。成長するにつれ重度の難読症であることが判明しました。
それでも母パムは毎日文字を教え、ザック本人も必死で努力した結果、無事に高校を卒業することができました。そして、念願の運転免許を取り休日は四輪バイクに夢中になりました。
しかし、2007年にバイクで事故に合ってしまいました。脳は壊滅的な状態で脈拍は40以下、痛みに対しても反応がない状態で、自発呼吸や瞳孔反応が失われていました。脳に深刻なダメージをおい、生体反応が失われていたにも関わらずザックは意識があったのです。意識はあるものの体を動かすことは全くできませんでした。
ザックの脳内は血流が失われ、自発呼吸はなく、刺激に対する反応もないという脳死の基準に達していました。
脳死の判断基準は国や地域によって異なりますが、ザックが搬送された病院では昏睡状態であることを前提に自発呼吸の消失、心拍数の低下、痛みへの無反応、脳幹反射の消失、脳内の血流が停止していることが基準でした。 ザックは意識があるにも関わらず脳死と判定されてしまったのです。
さらに、ザックの善意がとんでもない事態を招いてしまいました。ザックはドナー登録をしていたのです。ザックは脳死状態に陥った時、臓器を提供すると意思表示していました。そして事故から40時間後、ザックは死亡宣告されました。12時間以内にザックの臓器移植が始まることになってしまいました。
ザックへのお別れに親友や妹、祖母が最期の別れを告げに病院にやってきました。そして、従兄弟夫婦のダンとクリスティもお別れにやってきました。看護師である2人は職業経験から各種の検査結果が脳死状態を裏付けていることを確認しました。
しかし、一方で「ザックはまだ生きている」という奇妙な感覚にとらわれていました。そこで、ダンはナイフを手にとり足の裏を刺激しました。医療の現場では神経の反応をみるために足の裏を刺激する検査が行われます。通常はペンを使うそうですが、ダンはポケットナイフを使って代用したのです。するとザックは刺激に反応。しかし、心臓が止まってしまった遺体でも萎縮していた筋肉が伸び反射を起こすケースがあります。
そこでダンはもう一度違う箇所に刺激を与えました。自分の爪をザックの爪のすき間にねじ込みました。すると痛みに反応したザックが腕をひっこめたのです。
すぐさま医師はザックの体を再検査しました。するとザックの反応が決して反射的な痙攣などではないことが分かりました。この時、移植チームは到着寸前でした。ザックは間一髪、臓器摘出を免れたのです。
ただ、いったん脳死状態になったザックが目を覚ますかどうかは彼の生命力にかかっていました。そして、生体反応から5日後にザックは目を覚ましました。
医師の脳死の判定にミスはなかったようです。ダンの母パムも「奇跡が起こったのだ」と言っていました。
ザックの生還を説明する答えは今も見つかっていませんが、この事件はアメリカの医学会に変化をもたらしました。州ごとにばらつきがあった脳死判定基準を統一し、さらに精度を増すための改定が行われたのです。
一方、事故の後遺症が心配されたザックですが、事故前後の記憶障害とわずかな運動障害が残っただけで5週間後にリハビリ病院に転院。懸命なリハビリのおかげで日常生活に支障がないまでに回復しました。そして事故から48日後、自宅に戻りました。
現在、ザックは1児のパパになっています。ザックはダンが自分の反応を確かめるために使ったナイフをお守りとして持っているそうです。
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