クフ王の大ピラミッド|たけしの新・世界七不思議7

紀元前にフィロンが書き残した七不思議の中で、唯一今に残るモニュメントがクフ王のピラミッドです。

その謎は人類を悩ませ続けてきました。約4600年前にこれほど巨大なものをいかにして築き上げたのか。300万個の石材をつむのに途方もない歳月を費やしたのでしょう。しかし、クフ王の治世はわずか23年にすぎません。

未知の空間に何があるのか?

エジプトにピラミッドは100個以上ありますが、その中でも最大にして完璧、ピラミッドの頂点を極めたのがクフ王の大ピラミッドです。古代ギリシャの歴史家ヘロドトスが「大ピラミッドはクフ王の墓」と伝えて以来、その内部にはクフ王のミイラと秘宝が眠っていると信じられてきました。

現在、観光客が使っている入り口は本来の入り口ではありません。ある人物によって強引に開けられたものなのです。その人物こそイスラムの王アル・マムーン

9世紀、当時エジプトを支配していたアル・マムーンは大ピラミッドに穴をあけ、史上初めてその内部に潜入。間違った入り口から入ってしまったアル・マムーンでしたが掘り進めるとたまたま左に曲がっていったため、本来の通路に突き当たりました。それが地中深くへと続く下降通路への入り口でした。

通路の長さは約70m。その先には未完成の地下の間がありました。アル・マムーン一行は引き返し、上昇通路を発見。そして、後に「女王の間」と名づけられた部屋を見つけましたが、ここにも何もありませんでした。彼らは再び引き返し、さらなる上昇通路を見つけました。そこは高さ8m以上、全長50mの大回廊。その先にあるのが「王の間」です。

王の間には棺のようなものがありましたが、中には何もありませんでした。アル・マムーンの内部探索から900年後、ピラミッド内部にさらなる空間が発見されました。

イギリス人外交官ナサニエル・デヴィソンが大回廊奥の天井付近に穴を発見したのです。その穴は「重量軽減の間」と名づけられた空間に繋がっていました。重量軽減の間にも秘宝らしきものは何もありませんでしたが、最上階で考古学上の大発見がありました。天井には「クフ王」と古代文字で書かれていたのです。

これにより、大ピラミッドはクフ王が建てたということが初めて証明されたのです。そして1987年、女王の間に未知なる空間があることが判明。女王の間と同じような空間があると予測されています。

大ピラミッド建造法の謎

平均2.5トンの石材を300万個も積み上げて作られたクフ王の大ピラミッド。驚くことに、その底辺は正確に東西南北を向いています。ピラミッドの建設方法に関する記録は今なお発見されていません。

約20年かけて作られたとされる大ピラミッドは、一般的にスロープと呼ばれる傾斜路を作って作られたと考えられています。

スロープ説にも大きく3つの考え方があります。ジグザグ型スロープ説、渦巻き型スロープ説は決定的な問題があります。スロープの幅を広く取れないため、運び上げる石の量が限られてしまいます。計算すると20年で大ピラミッドを完成させることが出来ないのです。

3つ目が直線型スロープ説。これなら一度に大量の石を運びあげることができます。スロープはピラミッドの南側にあったとされています。大ピラミッドの石材は直線スロープを増設しながら、約20年の歳月をかけて積み上げられました。

完成当時、表面は白い化粧石でかたどられ神々しい輝きを放っていたと言います。

クフ王の野望とは?

太陽の船は2つあり、1つ目が見つかったのは1954年。ピラミッドの南側で木製の船の土台が埋設されているのが発見されました。その後、28年の歳月を経て発掘・復元された太陽の船は、人類最古の大型木造船です。

太陽の船は死後、神となったファラオが太陽神と一緒に天界と地上を行き来するための船です。対を成すもう1艘の船が隣に埋まっていると考えられていました。

そして1987年、ついに早稲田大学調査隊がその説を裏付けるように2つ目の太陽の船を発見しました。さらに在位が23年だったクフ王の治世18年目には大ピラミッドが完成していたことも判明しました。

クフ王が王位につく以前、エジプトでは苛烈な家督争いが起こっていました。初代ファラオであるスネフェル王の後継をめぐって2人の王妃が太陽神ラーを崇拝する太陽派と、北極星を神とあがめる星派にわかれ対立していたのです。

太陽派の王妃ヘテプヘレス1世は、何としてもクフを王位につけたがりました。しかし、そのためには対立する星派の王妃メルサンク2世とその息子のネフェルマアトが邪魔でした。そこでヘテプヘレス1世はメルサンク2世の化粧品に毒を盛り殺害。そして成長した息子のネフェルマアトも殺害したのです。その結果クフは王位を手に入れました。

太陽派の支配を完璧なものにするため、そして母の期待にこたえるためクフ王は史上最大のピラミッドの建設を決意したのです。

しかし、そんなピラミッドを建てられるのはネフェルマアトの息子ヘムオンしかいませんでした。実はピラミッド建設の技術は代々星派が受け継いできたものだったのです。ヘムオンはクフ王からのピラミッド建設依頼を受け入れました。しかし、ヘムオンは復讐の機会をうかがっていたのです。

ヘムオンが考えたデザインは、ギザの大地に3つのピラミッドが一列に並ぶというかつてない斬新なものでした。それは驚くことに天空のオリオン座の中心にある3つの星とピタリと一致します。ヘムオンはギザの大地に天空像を造ろうとしたのです。

古代エジプトではオリオン座の3つ星は、あの世の神の王と崇拝されたオシリスと同一視され、死んだ王の魂は天空のオシリスへ、つまりオリオン座に向かうとされたのです。この説を裏付けるような仕掛けが王の間の南側の壁にある穴にあります。斜め上に外部まで通じるこの穴から直線を延ばすとちょうど真南にのぼったときのオリオン座の3つ星のひとつにピタリと当てはまります。

つまり、王の間に開けられた穴はクフ王の魂が死後オリオン座に行くように設計されたものなのです。ヘムオンは太陽派への復讐のためにピラミッドを星信仰のシンボルにかえたのです。

「古代文明ミステリーたけしの新・世界七不思議7」

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