ジャック・ルイ・ダヴィッド「皇帝ナポレオン1世と皇妃ジョゼフィーヌの戴冠」|美の巨人たち

ジャック・ルイ・ダヴィッド作「皇帝ナポレオン1世と皇妃ジョゼフィーヌの戴冠」は1804年、ノートルダム大聖堂で開かれたナポレオンの戴冠式を描いたものです。

「皇帝ナポレオン1世と皇妃ジョゼフィーヌの戴冠」

絵の中央には英雄ナポレオンの堂々たる姿。両手で王冠を掲げています。周りに描かれた参列者は約200人。ほぼ全てが実在の人物です。一人一人の顔立ちや表情が細やかに表現されています。人物が着ている服の模様や装飾品は実物を取り寄せ忠実に描きこまれました。

戴冠式とは聖職者から冠を頂く儀式です。これは普通ではありえない光景です。(ナポレオン協会・歴史家 フランソワ・ウドゥセック)

ナポレオンはある狙いのもと、この場面を描かせたと言います。

イメージ戦略

ジャック=ルイ・ダヴィッド

ジャック・ルイ・ダヴィッドは、古代ギリシャ・ローマ美術を模範にした新古典主義を代表する画家です。ナポレオンが皇帝となり失脚に至るまで、首席画家として英雄のために筆をふるい続けました。

ダヴィッドがナポレオンにとって欠かせない画家となった代表作が「サン・ベルナール峠からアルプスを越えるボナパルト」です。この絵には英雄ナポレオンを作り上げるためのイメージ戦略がもりこまれていました。

例えば馬で峠を越えるのは到底無理です。実際に乗っていたのはラバで、服装も地味な軍服でした。英雄のイメージに沿うよう描き替えたのです。しかし、その非現実の姿は写真のない当時民衆を熱狂させナポレオンを現実の英雄に押し上げました。

ダヴィッドがナポレオンのために描いた最大かつ最高傑作と言われる「皇帝ナポレオン1世と皇妃ジョゼフィーヌの戴冠」にも多くの非現実がおりこまれています。狙いは絵を見た人にナポレオンの皇帝就任を誰もが祝っていると思わせること。

例えば、ナポレオンが強引に呼びつけたというローマ教皇ピウス7世の手は祝福のポーズをしています。下絵では手は膝の上に置かれていました。

また観客席で柔らかな微笑みをたたえているナポレオンの母マリアと兄ジョゼフですが、実は2人はナポレオンと対立していたため出席していませんでした。家族に祝福されない皇帝など民に見せられないと書き加えさせたのです。

こうして周到に皇帝就任をアピールしたナポレオン。そこには特別な思いがありました。

権力への欲望

ナポレオンが生まれたのは、フランスの併合されたばかりのコルシカ島。家は貧しく10歳でフランス陸軍士官学校に送られました。そこで訛りをバカにされて孤立。本の世界へ逃げ込み、歴史的な英雄の人物伝を読みふけったのです。

本で学んだ英雄たちの戦術は、後に戦争で大いに役立ちました。そして、望み通りフランスの英雄にのぼりつめたのです。ところが、ナポレオンはさらなる栄誉を求めるようになりました。

絵にはナポレオンの権力への欲が強く描かれています。被っている黄金の冠は月桂冠です。これは古代ローマ皇帝にちなんだものです。服にあしらわれた金色の蜜蜂模様も古代ローマに起源をもつ紋章です。そして、掲げている王冠は西ローマ皇帝が使ったものをわざわざ復元したと言います。

ナポレオンは、これでもかとばかりに過去の皇帝のイメージをまとい、皇帝ナポレオンを印象付けようとしたのです。そのため、大胆な非現実も盛り込みました。

皇妃ジョゼフィーヌは当時41歳でしたが、絵の姿は10代の娘のようです。実はモデルはダヴィッドの娘。皇帝の妻は若く初々しく、というナポレオンの意向だと言われています。

さらに、妻に王冠を授けている姿も非現実です。

この場面はジョゼフィーヌが描かせたのです。(ルーヴル美術館デッサン室クリストフ・レリボ)

ジョゼフィーヌは、ナポレオンの6歳年上でした。社交界の華と言われる程の大人の魅力に、ナポレオンは一目惚れ。熱烈に口説いて結婚にこぎつけました。

ジョゼフィーヌ

ところが、ジョゼフィーヌはナポレオンの遠征中にマルメゾン城を無断で買ったり、若い将校と浮気を繰り返すなどやりたい放題。ナポレオンをしばしば困惑させたと言います。

ダヴィッドの下絵を見たジョゼフィーヌは、描かれていたナポレオンの姿に驚きました。下絵ではナポレオンが自ら冠を被る姿が描かれていたからです。これはあまりに尊大なので、ジョゼフィーヌが書き直させたのです。

実はジョゼフィーヌは、天真爛漫な性格や人脈の広さをいかし、人付き合いの苦手な夫を助けていたと言います。さらに部下からも慕われ、彼女なしではナポレオンの成功はなかったとも言われる大切な存在でした。

しかし、ナポレオンは戴冠式の6年後、ジョゼフィーヌと離婚し、ハプスブルグ家の令嬢マリー・ルイーズと再婚。ナポレオンは皇帝の地位にあきたらず、民衆の敵だったフランス国王を目指していたのです。

そもそも戴冠式をノートルダム大聖堂で行ったのもおかしな話でした。教会は民衆の敵ルイ王朝と結びついていたわけですから。ナポレオンはこの絵で民衆を騙すつもりでした。しかし、最後には自らが騙されてしまったのです。(ナポレオン協会・歴史家 フランソワ・ウドゥセック)

ナポレオンは1812年からのロシア遠征に大敗北。無理な徴兵を続け、部下の裏切りで1814年に失脚しました。

ダヴィッドの警告

実は、絶頂期のナポレオンを描いたダヴィッドもそんな転落の兆しを感じていました。そして、作品の中でナポレオンに警告を発していました。戴冠式を祝っていない人物が2人描かれているのです。

一人はローマ教皇ピウス7世。ナポレオンに背を向けられ浮かない表情をしています。そして、もう一人が画面の端で冷めたまなざしを向ける外務大臣タレーランです。

画家ダヴィッドは、2人を祝福の笑顔で描くことはさすがにできなかったのかもしれません。しかし、ナポレオンは「まるで絵の中を歩いているようだ」と絶賛したと言います。

民衆に皇帝を祝福させるための絵でしたが、その世界にナポレオン自身も引きこまれ自分は神に選ばれし王であると錯覚してしまったことが転落の始まりだったのです。

戦に負け続けたナポレオンは、民衆にも見放されセントヘレナ島で生涯を閉じました。

しかし、その死から19年後、フランス議会はナポレオンの亡骸の受け入れを決定。生前未完成だった凱旋門を通りパリの街に帰ってきました。そして、アンヴァリッドに安置された棺の中で静かに眠っています。

「美の巨人たち」
ジャック・ルイ・ダヴィッド作
「皇帝ナポレオン1世と皇妃ジョゼフィーヌの戴冠」

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