沖雅也(おきまさや)さんは1952年、大分県で生まれました。15歳で俳優になるため上京。年齢をごまかしバーテンダーをしていました。
その時、日景忠男(ひかげただお)さんと出会いました。大病院の資産家だった日景忠男さんは沖雅也さんの人柄や魅力にひかれ、沖雅也さんのために芸能事務所を設立。さらに、沖雅也さんを養子に迎えました。
俳優デビュー
そして1968年、沖雅也さんが16歳の時に映画デビューを果たしました。また、ドラマ「さぼてんとマシュマロ」で沖雅也さんの名は一躍全国区に。人気役者となった沖雅也さんは、31歳までに125本の映画やドラマに出演しました。
交通事故…
1981年4月11日、28歳の沖雅也さんは交通事故を起こしてしまいました。実父の墓参りへ向かう途中、運転を誤り高速道路の壁に激突。幸い事故の怪我は軽傷でしたが、沖雅也さんの精神状態は壊れていきました。そして躁うつ病の状態に。
沖雅也さんは当面の仕事は全てキャンセルし、精神科に緊急入院しました。
自殺
1983年6月28日、沖雅也は飛び降り自殺をしてしまいました。
ホテルの部屋から見つかった沖雅也さんの遺書には「おやじ涅槃でまってる」と書かれていました。この言葉は沖雅也さんの日景忠男さんに対する愛情なのか、恨みなのか。同性愛疑惑報道も重なり、この言葉ばかり連日のようにクローズアップされました。しかし、この遺書には彼の意思と葛藤が記されていました。
人は病む。いつかは老いる。死を免れることはできない。若さも健康も生きていることもどんな意味があるというのか。おやじ涅槃でまってる。沖雅也
綴られていたのは老いることへの恐怖と、あまりにも強すぎる美へのこだわりでした。
沖雅也さんが自殺したホテルは半年前から予約されていました。自殺する半年前、沖雅也さんは闘病生活の影響で体重が10kg増加。美男子と言われていた頃と比べ、ふっくらとしていました。そして半年間走りこみ、ベストの体重に戻しこの世を去ったのです。彼は美しい姿で死にたかったのでしょうか。
沖雅也さんの死の間際を見届けた警備員によると、沖雅也さんは飛び降りる瞬間わざわざ後ろ向きになり背中から身を投げたと言います。47階、高さ178mから飛び降りたにも関わらず顔には一切傷が残っていなかったそうです。
そして、沖雅也さんが亡くなった翌日、遺作ドラマ「蒲田行進曲」が放送されました。
「爆報!THEフライデー」
この記事のコメント
カッコよかったねえ。
石原裕次郎の後釜は絶対に沖雅也だと思っていた。
存命なら相当な大俳優になっていたに違いない。
しかし彼は若い頃から30歳までに死ぬと周囲に漏らしていたそうだ。
そして半年間、トレーニングして本当に実行してしまった。
彼の美学だったのだろうが、そういう意味では変わった思考の持ち主
だったのだろう。
自殺から34年経った今でも残念な気持ちは変わらない。
あんにゅい(´・ω・`)
最後に演じたのが、飛び降り自殺をしようとした女性を説得する刑事役だったんですよね。
自殺されたとき、本当にショックだった。
彼のように美しい俳優は見たこと無かったから。
しかし、不思議。
若くして亡くなった人は、いつまでも美しいままなんですね。
老いた姿を見ることは無いから当然といえば当然ですが。
彼は私たちに美しいまま記憶に残すことに成功したんですね。
今も彼の優しい笑顔に魅了され、さぼてんとマシュマロや小さな恋の物語、悪魔が来たりて笛を吹く等見たくなります。
私が最後に彼の姿を見たのは必殺シリーズで、ある日突然出なくなりいつまで待っても出ないのでその時母親から自殺したんだよ。と聞いて小学生の私はショックを受けました。
再放送で若い頃のドラマを見て益々大好きになりました。
DVD化して欲しいです(^^)さぼてんとマシュマロ
スコッチ、錠、市松、唐十郎、キャプテンなどなどクールな二枚目の役から2枚目半のような少しユニークな役、情のある優しい役、熱血な役と病の前までは幅広い役をされ、男前カッコいいだけじゃなく演技も上手な役者さんだったと思います。
病後は殺人者、死ぬ役が増えたような。病がなければ同世代の水谷豊さん舘さん柴田さん草刈さんのようにテレビドラマで主役または脇でも重要ポジション役として活躍されてたでしょうね。スコッチとボギー、マミー、トシさん…の絡み見たかったですし、俺天2
もあったのではと思うと36年経ったと
はいえ残念です。