深浦加奈子 5年間がんを隠し演技を続けた女優|爆報!THEフライデー

深浦加奈子(ふかうらかなこ)さんの代表作といえば、1994年のドラマ「スウィート・ホーム」です。最高視聴率26.9%を叩き出したこのドラマで、息子の受験に燃える教育ママを熱演しました。独身を貫き女優業に人生をささげた彼女は、多くの人に愛され慕われる存在でした。

しかし、2008年にがんで亡くなりました。

S状結腸がん

深浦加奈子さんの体に異変が出始めたのは2002年の冬。ただの生理痛だと考えていましたが、数ヵ月後猛烈な腹痛を訴え病院へ緊急搬送されました。S状結腸がんでした。

S状結腸がんの5年生存率は80%。手術が成功すれば治癒の見込みがありました。

ところが、深浦加奈子さんのがんは複数のリンパ節に転移していました。そのため、抗がん剤による治療が行われました。抗がん剤治療は激しい副作用があるため、母は治療に専念するように勧めましたが、深浦加奈子さんは断固として仕事を減らそうとはしませんでした。

そして、周囲に心配をかけないようがんを隠しマスコミや見舞いに来てくれた友人には腸閉塞だったと公表。がん手術から1ヵ月後、退院したその日に撮影現場へと向かいました。

なぜ彼女はがんを隠してまで女優を続けようとしたのでしょうか?

なぜがんを隠し女優を続けたのか?

両親の影響を受け、幼少期からミュージカルや演劇が大好きだった深浦加奈子さん。1980年、大学在学中に小劇団に入団し女優としてのキャリアをスタートさせました。人が演じたがらない悪役や癖のある難役を好んで演じ、舞台関係者には知る人ぞ知る女優となっていきました。

しかし、現実は厳しく30歳を過ぎてもアルバイト生活。それでも33歳で演技力が認められドラマ「スウィート・ホーム」に出演。以来、遅咲きだった彼女は仕事が恋人と公言し、生涯独身を貫いて女優の道をまい進しました。

苦労を重ねて掴んだ憧れの女優業だからこそ、絶対に失いたくなかったのです。

がんが進行

発症から2年、抗がん剤の効果もなく肝臓がんを発症してしまいました。

リンパに転移したがん細胞は最初に全身の血液が集まる肝臓に転移することが多い。しかも、肝臓は沈黙の臓器と言われ腹部の痛み・黄疸・全身のむくみなどの症状が出てくると時すでに遅し。

深浦加奈子さんの場合も手術することが不可能な状態になっていました。そのため放射線治療を行いました。しかし、肝臓は放射線に弱く、嘔吐・吐き気・下痢・肝機能の低下などの副作用が出ます。深浦加奈子さんは苦しみに耐えながら何度も放射線治療を受けました。

しかし、発症から3年後には胃・縦隔にも転移。そして発症から5年目に肺がんを発症。肺ががんになると咳が止まらず呼吸困難を引き起こします。深浦加奈子さんは話すことすら苦痛になり、酸素ボンベを手放せない状態に。肺に痛みがあるため横になることすらできず、ただ痛み止めのモルヒネを打つ毎日だったと言います。

病院では、深浦加奈子さんが苦しまずに最期を迎えられるよう終末期医療も検討されました。しかし、深浦加奈子さんは終末期医療を拒否。どんな役でもいいからもう一度舞台に立ちたいと思っていたのです。

最後の舞台

そんな中、舞台への出演依頼が来ました。母親は勤めていた会社を辞め、全力で深浦加奈子さんをサポート。最後に演じた役は、家族に問題を抱えながらも前向きに生きる水商売の女性でした。それは深浦加奈子さんの原点とも言える癖のある難役。学生時代から慣れ親しんだ小さな舞台で彼女は躍動しました。

それから半年後の2008年8月25日、深浦加奈子さんは亡くなりました。彼女は最期までがんと闘い、痛みに耐え座ったままこの世を去りました。

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