橋幸夫(はしゆきお)さんは、1960年「潮来笠」で歌手デビュー。1962年には吉永小百合さんとのデュエット曲「いつでも夢を」が120万枚の大ヒット。昭和を代表するデュエットソングとなりました。
以来50年以上にわたり、芸能界のトップを走り続ける橋幸夫さんが、唯一許せない人物がいるといいます。それが安倍里葎子(あべりつこ)さんです。
安部里葎子さんは1970年「愛のきずな」でデビュー。刺激的なミニスカートとセクシーな歌声で瞬く間に話題を集め42万枚のヒットを記録。レコード大賞新人賞を受賞するなど、一気にスターダムにのし上がりました。
そんな安部里葎子さんと橋幸夫さんは、1983年にデュエット曲「今夜は離さない」を発売。この曲は順調に売り上げを伸ばしていましたが、安倍里葎子さんが失踪。デュエット相手がいなくなった橋幸夫さんは「今夜は離さない」をテレビやショーで歌うことができなくなり途方にくれました。
安倍里葎子さんは、1974年に既婚者だった大物芸能人Oと不倫をしていました。大きく報道され翌年Oが妻と離婚し、マスコミから悪女と呼ばれるように。バッシング報道でイメージが低下し仕事は激減。芸能界から干されてしまいました。
安倍里葎子さんは、事務所やレコード会社と決別し地方のスナックやキャバレーめぐりを行いました。華々しい人気歌手から一転、スキャンダルにまみれたドサ回り歌手へ。しかし、そんな辛い日々を救ってくれたのが橋幸夫さんでした。
1982年、安倍里葎子さんが地方のキャバレーで歌っていると、客として来ていた作詞家に呼び止められ橋幸夫さんのデュエット相手のオーディションを受けてみないかと誘われました。審査を行っていたのは橋幸夫さん。何人もの歌手の中から選んだのが安倍里葎子さんだったのです。
こうして安倍里葎子さんは橋幸夫さんのデュエット相手となり彼の所属する事務所「橋プロ」にも入れてもらい芸能界復帰を果たしました。
そして1983年にデュエット曲「今夜は離さない」を発売。また、橋幸夫さんの力添えもあって松方弘樹さんなど大物歌手と次々デュエットすることができ、デュエットの女王と呼ばれるまでになりました。しかし、そんな恩人の橋幸夫さんを安倍里葎子さんは裏切ってしまいました。
当時、橋プロは立ち上げたばかりで橋幸夫さんは「今夜は離さない」に全てをかけていました。それにも関わらず、安倍里葎子さんは橋幸夫さんに何の挨拶もなく事務所を勝手に辞めてしまったのです。
当時、天狗になっていた安倍里葎子さんは自分は一人でも芸能界でやっていけると思いあがり橋幸夫さんの事務所を辞めたのだそうです。
失踪から30年後、2人は再会しようやくわだかまりが溶けたようです。いつか再び一緒に歌える日が来るのかもしれません。
「爆報!THEフライデー」
この記事のコメント