カネミ油症 母と子の記録|ETV特集

今から45年前、食事を通じて猛毒を口にした人たちがいます。毒の名はダイオキシン。市販の食用油の中に入っていました。何も知らずに毒を体に取り込んでしまった人々は、今もなお病に苦しんでいます。

国内最大級の食品公害「カネミ油症事件(かねみゆしょうじけん)」。被害者の子供たちもまた不可解な症状を訴えています。

ことの発端は昭和43年(1968年)、北九州市の会社が製造した食用油に化学物質「PCB(ピーシービー)」が混入したことです。その食用油は西日本一帯で流通。1万4000人が全身の吹き出物や内臓疾患など被害を届け出ました。

当時、病は奇病と恐れられ被害者は差別や偏見にも見舞われました。さらに、その後の研究で食用油にはPCBよりもはるかに毒性の強いPCDF(ダイオキシン類)が含まれていたことが判明しました。被害者は有効な治療法も見つからないまま様々な病に苦しんできました。

2012年、事件は節目を迎えました。被害者救済法が初めて制定されたのです。事件発覚から44年が費やされました。

これまでカネミ油症事件は、食中毒事件の一つとされ被害者の救済は加害企業に任されていました。水俣病などの公害病とは異なり国が表に立った救済策はほとんど実施されてきませんでした。

今回成立した法律は、被害回復の支援や健康状態の把握などの措置をこうじるよう初めて国にその責務を定めました。

子どもへの影響

しかし、この救済法で触れられなかった問題がありました。それは母親のお腹の中で毒にさらされた子供たちの被害です。事件発覚後、カネミ油症患者から褐色の皮膚をした黒い赤ちゃんが次々と産まれました。母親が取り込んだ毒の影響が子供にも及んでいたのです。しかし、こうした赤ちゃんがどれだけ生まれ、子供たちにどんな健康被害が生じているのか、その全体像は分かっていません。

長崎県諫早市に住む下田順子さん(51歳)は、カネミ油症事件の被害者の一人です。下田順子さんが汚染された油を口にしたのは6歳の時。それから40年以上が経過しました。体の震えや吹き出物、慢性気管支炎、リウマチ、骨粗しょう症、自律神経失調症などに悩まされています。

毒を含んでいたのは北九州市のカネミ倉庫が製造した食用の米ぬか油。米ぬか特有のニオイを消す工程で、油を熱するために使われた化学物質PCBが混入したのです。その油は美容や健康に良いとの触れ込みで西日本各地で販売されました。何も知らずに料理に米ぬか油を使った人が吹き出物や神経の異常などを訴え、その数は1万4000人にも及びました。

カネミ油症の被害が集中した地域の一つが長崎県の離島、五島列島です。下田順子さんの一家をはじめ800人以上の患者が発症しました。体中の吹き出物が原因となり、下田順子さんは小学校で激しいイジメにあいました。

中学2年生で下田順子さんはカネミ油症患者と認定されました。差別や偏見を恐れ、そのことを友人達に話すことは出来ませんでした。高校卒業と同時に下田順子さんは島を離れ、カネミ油症のことを誰も知らない街へ。愛知県の紡績工場に就職しました。

しかし、認定患者が対象の検診の案内が会社に届き患者であることが分かってしまいました。その後、体調が悪化した下田順子さんは長崎県に戻り入退院を繰り返すように。しかし、全身の痛みや倦怠感などの症状には治療法がなく医師からは原因が分からないと言われてしまいました。

下田順子さんは25歳の時に結婚。カネミ油症のことを全て話した上でのことでした。そして1男1女に恵まれました。長女の恵さん(23歳)は、生まれた時から体が弱く気管支炎や喘息を繰り返しました。また原因不明の高熱、腹痛、疲れやすさを訴えるように。

下田順子さんはその後、汚染油にはPCDF(ダイオキシン類)が含まれていたことを知りました。これはPCBが加熱により変化したもの。

ダイオキシンは体内に入ると排出されにくく長期に渡って体を蝕む恐れがあります。強い毒性を持ち免疫機能や生殖機能への影響、発がん性などが疑われています。

ダイオキシンは、ベトナム戦争でアメリカ軍が仕様した枯葉剤に含まれていました。枯葉剤が撒かれた地域では奇形児の出産が相次ぎました。それらはダイオキシンの影響とも指摘されています。

今、子や孫に油症の影響が及んでいるのではないかとの不安が広がっています。国は3年前、認定患者1131人を対象としたアンケート調査の結果を公表しました。そこでは約4割の患者が子供に何らかの症状があると訴え、孫の症状を訴えた人も1割以上にのぼりました。国はこうした症状の訴えと油症の因果関係は不明であるとしています。一方で、多くの被害者は実態の解明や被害の認定を求めています。

長崎県五島市に住む岩村定子さん(63歳)は4年前、初めて認定のための検診を受け油症患者と認められました。岩村さんが汚染された油を口にしたのは19歳の頃。皮膚の痒みなどの症状がありましたが、周囲の目をはばかり40年以上も検診を受けませんでした。血液中のダイオキシンの濃度は98.28。高い濃度の基準とされる50を大きく上回っていました。

岩村さん夫婦には40年前、生後4ヶ月で亡くなった子供がいます。子供は生まれながらにいくつもの障害を持っていました。

高知市に住むカネミ油症被害者の中内郁子さん(73歳)は27歳の時、汚染された米ぬか油を口にしました。長男の孝一さん(42歳)は郁子さんが汚染油を口にした3年後に生まれました。孝一さんは唇や上あごが裂けた状態、口唇口蓋裂で生まれ、その後も様々な病にみまわれました。

孝一さんは自分を被害者だと認めて欲しいと検診を受け続けています。しかし、ダイオキシンの血中濃度は一般の人と同じ程度なため認定患者として認められていません。

事件が発覚した頃から油症被害の研究に携わってきた吉村健清さんは、黒い赤ちゃんの相次ぐ誕生に当時、医学者たちは驚愕したと言います。吉村さんは事件から4年後、長崎県の五島列島で油症患者のいる108世帯を対象に調査を行いました。その結果、黒い赤ちゃんの出生が事件以来続いていることが分かりました。吉村さんはこうした子供世代への油症の影響を継続的に観察すべきだと訴えました。

しかし、その後油症患者から生まれた子供たちの詳細な疫学調査は行われませんでした。吉村さんはその理由を差別の問題だったと言います。今は普通の生活を送っている人や結婚を考えている人たちの生活を奪うことになりかねなかったからです。

40年に渡ってカネミ油症の研究を続けている長山淳哉さんは、油症患者から生まれ認定を受けている子供6人のへその緒と一般の子供のへその緒を分析し比較しました。その結果、ダイオキシンが見つかったのは認定を受けた子供のへその緒のみでした。

長山さんは、母親の胎内でダイオキシンにさらされた場合、大人とは異なる影響が生じる可能性があると指摘します。母から子へ、へその緒を通じて入り込んでいくダイオキシン。胎児期にさらされると何が起きているのかの解明が進んでいるのが台湾です。

台湾油症事件

カネミ油症事件の発覚から10年後、台湾で同様の事件「台湾油症事件」が発生しました。食用油にPCBやダイオキシンが混入。2000人の被害を出しました。

台湾油症の研究の中心を担うのが台湾大学公共衛生学部。追跡調査は20年以上におよんでいます。こそから次世代被害者の実態が明らかになってきました。一般と比べホルモン異常や発育の遅れ免疫不全など様々な影響が出ていることが判明したのです。これらの異常は胎児期にダイオキシンに晒されたことで体内の各器官に機能不全が生じたためと考えられています。

台湾では油症患者の母親から生まれた子供は申請すれば被害者として認められます。そして、医療費の自己負担分が政府によって免除されます。

「ETV特集」
毒と命 ~カネミ油症 母と子の記録~

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