金子哲雄の残された妻は今…死の裏側を激白|爆報!THEフライデー

TBSテレビの「爆報!THEフライデー(ばくほうザフライデー)」あのスターの残された家族は今…で金子哲雄さんの残された妻について放送されました。金子哲雄(かねこてつお)さんと言えば、2008年「国際値切リスト」という肩書で現れ、数々のテレビ番組に出演。愛嬌のある喋りと独自の視点で解説する家電量販店やスーパーの激安情報が人気に。多い時にはレギュラー番組を8本も抱えていました。しかし2012年10月2日、41歳で亡くなりました。晩年、その病から13キロ激やせ。最後まで病気を隠しテレビに出演し続けました。彼の死後、世間が再び驚いたのは四十九日に発売された一冊の本「僕の死に方 エンディングダイアリー500日」でした。金子哲雄さんは生前、自分の葬儀を全てプロデュース。お墓の手配から遺品整理まで全てを書き綴り、22万部を超えるベストセラーに。今では当たり前となった「終活」という言葉を広めこの世を去りました。

金子哲雄さんの死から4年、残された妻・稚子(わかこ)さんは今まで一切語ることのなかった夫の晩年を激白していました。

2人が出会ったのは2001年、金子哲雄さんが30歳、稚子さんが34歳の時でした。当時、金子哲雄さんは流通ジャーナリストとしてまだ駆け出しでした。一方、稚子さんは出版社でスポーツを担当するキャリアウーマンでした。2人は嫌いなものが一緒という共通点から意気投合し、出会って1年で結婚。そんな2人の趣味は街に出かけ日常の流れを観察することでした。そして結婚から6年たった2008年、金子哲雄さんは流通ジャーナリストとして花開きテレビでブレイク。しかし、そんな幸せな絶頂の中、金子哲雄さんの体を病魔が蝕んでいました。

2011年、原因不明の咳が出始めました。1年以上断続的に咳が続き精密検査を受けることに。そして、医師に告げられたのは肺カルチノイド。肺カルチノイドは10万人に1人しか発病しない珍しい肺がんの一種で、すでに末期症状と診断されました。死の宣告を受けた金子哲雄さんは妻の目の前で錯乱し泣き崩れたと言います。しかし、弱い姿を見せたのはこの日が最後でした。そして金子哲雄さんは仕事を続けるという決断をしました。さらに病気のことを伝えたのは家族や親しい友人のみ。それ以外には一切公表せず仕事を続けると決断しました。

そして金子哲雄さんは少しでも延命するため動脈塞栓術という治療にのぞみをかけました。動脈塞栓術とは太ももの付け根の動脈から専用のカテーテルを挿入し血管を辿って患部に到達させ、そこへ抗がん剤を混ぜた粒子を流し込み血管を封鎖するというもの。がん細胞への栄養を遮断し萎縮させる治療法です。この手術を受けたことで金子哲雄さんの肺カルチノイドは4ヶ月で9cmから3cmへと縮小しました。

金子哲雄さんは妻のために終活を始めました。金子哲雄さんは法律で認められる正式な遺言書、公正証書遺言書を作成。そこに書かれていたのはお金のこと。お金のトラブルにならないよう遺産の使い方をこと細かに決めていたのです。また金子哲雄さんは葬儀会社を呼び寄せ、遺影や棺、食事プランなど全て自分で決め葬儀をセルフプロデュース。流通ジャーナリストとして自分の葬式でさえ無駄な出費を抑えることを徹底しました。そして最もこだわったのがお墓の場所。子供のいない2人は東京タワーの真下にある集合墓を選択。稚子さんの分と共に購入しました。これにより通常300万円以上かかるところが10分の1程度に。さらに、残された妻がどれを捨てるのか迷わないように生前に遺品整理を指示。金子哲雄さんが遺品として残したのは2台のハードディスクだけでした。こうして出来る限りの終活が終わった金子哲雄さんは不思議なことに元気が戻ってきました。そしてメディアの仕事を精力的に続けました。13キロも痩せたもののダイエットと言い張り全てを笑いに変えました。しかし、そんな金子哲雄さんにもついに限界が訪れました。2012年10月1日、再び葬儀会社の担当者を呼び、自らの葬儀の最終確認を行いました。そして自らの死を悟っていたのか主治医と看護師にお礼を言いました。そして10月2日午前1時18分、妻に看取られ金子哲雄さんは生涯の幕を閉じました。その後、金子哲雄さんの終活通りの葬儀が執り行われ1300人が彼の早すぎる死を悲しみました。

稚子さんは夫を亡くした悲しみから何も手につかず気力も失ってしまいました。しかし1年が過ぎたある日、遺品として渡された2台のハードディスクを思い出しました。中身を確認すると写真のデータが。写っていたのは家電量販店やキオスクなど。最初は何の意味があるのか分からなかった稚子さんでしたが、写真は1ヶ月ごとにフォルダ分けされていました。それは金子哲雄さんが流通ジャーナリストとしてほぼ毎日欠かさず撮り続けた写真でした。自分が目にしたもの全てを写真におさめ、その膨大な写真を妻のために残していたのです。年越しそばの食材を一緒に買いにいった写真や、稚子さんのためにセール品のパンプスを買った時の写真など、普通なら撮ることのない流通ジャーナリストの金子哲雄さんらしい写真でした。これこそが金子哲雄さんが妻のために行った最後の終活でした。

最愛の夫の死を経験した妻は今、夫ロスからの立ち直りある仕事を始めました。それは終活ジャーナリスト。死の直面した方や家族への情報提供や死別後のサポート、さらに全国で講演会や研修などを行っています。


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