元テレビ朝日アナウンサーの龍円愛梨(りゅうえんあいり)さんは、エキゾチックな美貌と豊かな国際感覚を持つバイリンガルとして一躍人気アナウンサーとなりました。
2011年(当時34歳)にテレビ朝日を退社した後は、アメリカで活躍する実業家の男性と婚約、カリフォルニアへ。まるで絵に描いたような華やかなエリート人生を歩んできた龍円愛梨さんでしたが、その後の彼女を待っていたのは壮絶な人生でした。
現在はアメリカから帰国し、年金暮らしの両親のもとに身を寄せています。実は結婚はしておらず(事実婚)、息子ニコくんはダウン症だと言います。
1977年、大学教授である父の仕事先だったスウェーデンで生まれた龍円愛梨さん。幼い頃からバイオリンを習うなど何不自由なく育てられてきました。
そして1999年、テレビ朝日にアナウンサーとして入社。龍円愛梨さんはエキゾチックな美人アナウンサーとして人気になり、情報番組からバラエティ番組まで幅広く活躍しました。
2011年、テレビ朝日を退社。そのままアメリカ・カリフォルニア州の大学へ留学。実は女子アナ時代から貿易会社を営む日系アメリカ人の実業家と遠距離恋愛していたのです。彼女はアナウンサーという花形職業をあっさり捨て、幸せな家庭を持つという新たな夢に進みだしました。
カリフォルニアで恋人と同棲生活を始めた龍円愛梨さんは、35歳の時に妊娠。そして2013年5月5日、ニコくんを出産しました。
しかし退院後、ニコくんに異変が現れ始めました。ニコくんはほとんど自ら母乳を飲まず、あげようとしてもむせてしまいほとんど飲まなかったのです。しかも1日20時間近く寝て過ごし、授乳のために起こしてもお腹が空いたと自ら泣くことは一度もなく、ただただじっとしたままでした。
不安に思った龍円愛梨さんは様々な病院へ。しかし、どこへいっても異常はないと診断されました。
さらに、龍円愛梨さんにはもう一つ不安なことがありました。それは未婚の母だということ。実は当時、恋人は仕事が忙しかったため、いずれ結婚しようと約束し結婚しないまま出産していました。
ダウン症の息子
そして出産から1か月後、精密検査を受けた病院でニコくんはダウン症だと告げられました。
しかし、龍円愛梨さんは出産前にいくつかの検査を受け問題ないと診断されていました。なぜ検査でダウン症は見つからなかったのでしょうか?
検査で見過ごされた
当時35歳だった龍円愛梨さんが最初に受けたのは母体の血液を調べる検査。これは日本でも以前から行われている出生前診断で、胎児にダウン症などの先天性異常があるか確率で算出する検査です。検査結果はダウン症などの染色体異常の確率が非常に低い陰性。続いて、エコー写真による検診を受けた龍円愛梨さん。こちらも異常なしと診断されました。
しかし、この時お腹の赤ちゃんにはダウン症の赤ちゃんに現れることが多い、いくつかの特徴があらわれていました。それは心臓にあらわれた白い影。これはダウン症の胎児に見られる先天性心臓疾患の可能性が考えられました。しかし、現地の医師はアジア人に見られる人種的な特徴で問題ないと診断したのです。
さらに、ダウン症の胎児に見られることが多い手足が短いという特徴や、首の後ろに厚みがある特徴も見られました。しかし、これについても白人に比べて小柄なため正常の範囲内と診断されました。
龍円愛梨さんは息子がダウン症だという現実をしばらくの間受け止めることが出来なかったと言います。
母としての決意
そんなある日、病院の検査を終えニコくんを車のカーシートに乗せた時「この子が愛おしい」と感じたと言います。
ダウン症があってショックだったんだと思うけど、息子の顔を見たらこの子が大切なんだな愛おしいんだなという自分の気持ちを確認しました。
(龍円愛梨さん)
その瞬間、母としての強い覚悟を心に決めた龍円愛梨さん。そして日本で暮らす母に電話でニコくんのダウン症のことを告げることに。すると母からは「だから何?ニコちゃんを見てごらんなさい。昨日と同じように愛おしいでしょ。何も変わっていないのよ」と言われました。
こうして母に勇気をもらった龍円愛梨さんは、ニコくんのために最善を尽くすことを決意。パートナーと結婚することなく日本に帰国し、ニコくんを育てる道を選びました。しかし、ダウン症の子供と向き合う現実は甘くありませんでした。
帰国後の生活
アメリカから帰国した龍円愛梨さんは、年金暮らしの両親のもとに身を寄せています。2歳11ヶ月のニコくんには大きなハンデがあります。
ニコくんには他のダウン症の子供と同じく言葉の発達が遅い傾向があります。もうすぐ3歳になりますが、まだ言葉をしゃべることができません。さらに、生まれつき心臓に穴が開いており、成長するにつれ血液の循環が難しくなることで動悸・息切れ・むくみなどの症状があらわれてくると言います。そのため、体力をつけてから手術を受けなくてはいけません。
また全身の筋肉のはりが弱いため足首に大きな負担がかかり、足の関節が内側に曲がりやすい状態になっています。そのため歩行時にバランスが取りづらく、このまま成長すると歩行困難や運動障害を引き起こす可能性があるため、足首を固定するサポーターをつけ靴を履いて関節を固定しています。
そして、最も大変なのが左耳がほぼ聞こえていないこと。そのため右耳の聴力を守ることに龍円愛梨さんは気を使っています。しかし、ダウン症の子は風邪やインフルエンザなどにかかりやすい上、鼻から耳を通る管が細く中耳炎を起こしやすいのです。そのため中耳炎による難聴に常に警戒をしなければなりません。龍円愛梨さんは毎日吸引機を使い鼻づまりを減らすよう心掛けています。
そんな龍円愛梨さんは現在、アルバイトで生活費を稼ぎ、年金暮らしの両親と生活しながら女手一つでニコくんを育てています。
コミュニティ
龍円愛梨さんのもとには、ダウン症の子を持つ多くの母親が集まっています。実は龍円愛梨さんはダウン症を持つ親子のコミュニティをすすめています。参加者たちはみなベビーサインに取り組んでおり、龍円愛梨さんはその良いお手本になっています。
このような活動を始めようと思ったのは、かつて社会の現状を伝えるアナウンサーとして活躍した彼女の強い使命感がありました。龍円愛梨さんいわく、ダウン症の親子は周囲に見られることを避け引きこもりがちになり、なかなかコミュニティができにくいと言います。だからこそまずは自分が表に出ようと思ったのです。それこそがかつてアナウンサーという人前に出る経験をした自分の使命だと感じているそうです。
龍円愛梨さんが伝えたいのは「ダウン症育児は難しくないし楽しい」ということ。実際、ダウン症の子を持つ親の97%がダウン症を持った決断に満足しているという調査結果もあります。
龍円愛梨さんは今、毎日を全力で生きています。
「爆報!THEフライデー」
この記事のコメント
同じダウン症の子供を持つ母として興味深く拝見しました。私はもうダウン症の娘が30歳近く彼女見たいに逞しくはなく、あんなに努力もせず上に二人子供もいたので淡々とした日々を過ごしていたかと…忙しさに記憶にないこともあります。お子様が方耳難聴とか?うちの娘は両方難聴でろう学校に通いました。手話を覚えて今は事業所で楽しい毎日を送ってます。認めたくないこと、認めないと始まらないことがあります。あの時の苦労があり今の喜びがあります。出来ない事を認めたり、諦める事が努力が足りないからでなく他の事でプラマイゼロになる。頑張りすぎず楽しんで????苦労はバネになり糧になります。今振り返ると良く頑張った自分は、娘に励まされて来たからだと…頑張ってニコちゃん????頑張りすぎないでママ????明日はきっと晴れるよ☀