1954年3月1日、アメリカは太平洋ビキニ環礁で水素爆弾の実験を行いました。威力は広島に投下された原爆の1000倍。大量の放射性降下物「死の灰」が周辺に降りました。
この時、160km離れた海で日本の遠洋マグロ漁船「第五福竜丸」が操業していました。23人の漁船員全員が被爆。半年後、久保山愛吉さんが亡くなりました。
水爆実験は2ヶ月半に6回行われ、周辺には数多くの漁船が操業していました。しかし、日本政府は他に漁船員が被爆したとは認めませんでした。実験の翌年、アメリカから200万ドルの見舞金を受け取りこの問題を終わらせました。
それから60年、広島の科学者たちは第五福竜丸以外の漁船員の被爆を初めて明らかにしました。被爆の痕跡が歯や血液から次々と見つかったのです。
2013年4月、広島でビキニ水爆実験の被ばくを明らかにするプロジェクトが立ち上がりました。集まったのは被ばく者の体に残る放射線の影響を長年調べてきた専門家たちです。リーダーは放射線物理学の第一人者である星正治(ほしまさはる)さん。
プロジェクト発足のきっかけになったのは、元高校教師の山下正寿さんが行っていた漁船員の追跡調査でした。それは1989年に高校の生徒たちと一緒に、地元の漁師からビキニ周辺で操業していた船が港の近くに捨てられていると聞き、放射線量を調べてみることにしたのです。水爆実験から30年以上経っているにも関わらず毎時1.5マイクロシーベルトという自然界の37倍の放射線量が検出されました。
漁船員は水爆実験の後どうなったのか、山下さんは204人の実態調査を行いました。すると、がんなどの病気で全体の3割、61人がすでに亡くなっていました。さらに、一般の男性では1万3000人に1人が発症するとされる白血病で亡くなった人が3人もいました。しかし、山下さんには病気と被ばくを結びつける術はありませんでした。そこに協力を申し出たのが、長年被爆を研究し続けてきた広島の科学者たちでした。
プロジェクトは漁船員たちの被ばく量をはかり、健康への影響が現れるとされる国際基準の100ミリシーベルトを超えるかどうかに注目。リーダーの星正治さんは、漁船員たちの歯を集めることを提案しました。絶えず細胞が入れ替わる他の組織と異なり、歯は入れ替わらないため被ばくの痕跡が残るからです。
ビキニ水爆実験は、アメリカが広島・長崎の原爆投下から9年後に行ったものです。この時、被ばくが公になったのは第五福竜丸。日本政府は脱毛や火傷など、放射線による急性症状の現れた漁船員23人の被ばくを認定しました。
実験はその後も繰り返されました。大量の放射性降下物(死の灰)が太平洋に降り注いだのです。この間、周辺の海域では多くの漁船員たちがマグロを追っていました。被ばくを疑う声があがりましたが、国が認めることはありませんでした。なぜ漁船員たちは自ら声を上げてこなかったのでしょうか?そこには漁船員たちが抱える事情がありました。
桑野浩さん(81歳)は、高知県室戸市の遠洋マグロ漁船・第二幸成丸に乗っていました。1954年2月24日に日本を出港し、3月27日にビキニ環礁から1300kmの所で2回目の水爆実験に遭遇しました。そのとき乗っていたのは平均年齢25歳の20人の漁船員。実験から20年が過ぎた頃からがんや心臓病などで次々と亡くなっていきました。今生き残っているのは3人だけです。桑野さんは仲間の死が被ばくによるものだと思いつつも声をあげることは出来ませんでした。
室戸市内では、ビキニの話はないことにしようという風潮だったと言います。桑野さんと同じ第二幸成丸に乗っていた久保尚さん(77歳)は、国の対応に不信感を抱きながら被ばくの疑いを口に出せなかったといいます。当時17歳だった久保さんは、ビキニから日本に戻った直後、国による体の放射線検査を受けました。測定器は激しく鳴っていたと言います。しかし、国から結果を知らされることはなく、その後も何も対応はありませんでした。
国が漁船員に行った検査の結果はどうなったのでしょうか?山下正寿さんが当時の資料を探したところ、厚生省が作成した放射線検査のマニュアルが見つかりました。そこには、船体や魚だけでなく人の身体も被ばく線量をはかるよう指示が書かれています。ところが、水爆実験の翌年に国に提出された報告書には第二幸成丸の船体と魚から出た放射線量が記載されていますが、漁船員の身体の測定結果はどこにも記されていませんでした。
なぜ最も重要な身体の記録が示されないのか、山下さんは国や県に説明を求めました。すると、身体の検査結果は残っていないという答えが返ってきました。国は当時の検査記録がないことを理由に、その後も一切の対応を拒み続けました。被ばくの疑いを持ちながらも、それを証明する術がない中、漁船員たちの沈黙は続いてきました。
星さんは、水爆実験の現場から1300kmの海域にいた第五明賀丸に乗っていた男性の歯の提供を受けました。歯を分析すると、414ミリシーベルトの放射線量が検出されました。この値には日常生活での被ばくも含まれています。自然に浴びる放射線(45)や過去のレントゲンなどの記録から計算した医療被ばくの推定値(50)を引くと319ミリシーベルト。星さんたちが注目する100ミリシーベルトを遥かに超えていました。
ビキニから1300kmで検出された319ミリシーベルトは、広島の原爆で爆心地から1.6kmで被爆者が浴びた放射線量とほぼ同じです。広島では被爆者健康手帳が配布され、医療費の全額保証が受けられます。国が60年間認めてこなかった漁船員の被ばくが、広島の科学で初めて明らかになりました。
2013年11月、広島大学の田中公夫博士は血液からさらに被ばくの実態に迫ろうと考えました。調べるのは血液の細胞の中にある染色体の異常です。放射線が人の身体を貫く時、細胞の中にある染色体のいくつかが切断されます。切断された染色体は元に戻ろうとしますが、その時誤って別の染色体と入れ替わったり2つの染色体が1つになったりしてしまいます。
この手法では歯による調査ほど正確な被ばく線量を測ることは出来ませんが、より多くの漁船員を調べることで被ばくの広がりを把握できます。高知、愛媛、宮城などから18人分の血液が集まりました。
広島の科学によって明らかになり始めたビキニの真実ですが、水爆実験を行ったアメリカでも2014年2月に新たな事実が見つかりました。実験から数十年を経て公開された当時の極秘文書の中に、日本の厚生省がまとめ外務省を通じてアメリカ国務省に渡った検査の記録があったのです。
そこには被ばくした船のリスト、魚と船体が浴びた放射線量、漁船員の被ばく線量が書かれていました。国がこれまで存在しないとしてきたデータです。
漁船員の被ばく線量は、最大で500カウントまでであったと記されています。複数の専門家による推計に基づいて計算すると毎時2.5マイクロシーベルトという値になります。水爆実験から数週間経って寄港した時点でも漁船員の身体から被ばくによる影響が認められていたのです。
記録によれば14隻の漁船員の身体から放射線が検出されていました。しかし、アメリカは被ばくの事実を掴みながら水爆実験を続けたのです。被ばくによる人体への影響に目を向けることはなかったのでしょうか?
前年にソ連が水爆実験に成功したという情報が伝わる中ビキニの実験にのぞんだアメリカ。エネルギー省の元上級政策顧問ロバート・アルバレス氏によると、アメリカはこれまでにない焦りを感じ、実験の邪魔となる不都合な事実は全て極秘としたのだと言います。だからこそ、日本人漁船員の被ばくの事実も隠していたのです。
当時アメリカに記録を渡したと見られる外務省にNHKが情報公開請求を行うと、水爆実験の年に厚生省が独自にまとめた放射線の検査報告書が出てきました。そこには魚、船、人体の被ばく量が書かれていました。厚生省は漁船員の身体の被ばくを調べ記録を残していたのです。
久保さんや桑野さんが乗っていた第二幸成丸の記録もありました。亡くなった通信士の頭髪からは224カウント(毎時1.1マイクロシーベルト)の放射線が検出されていました。アメリカの文書にあった14隻の他にも新たに14隻の漁船員に被ばくがあったことが分かりました。
元厚生省審議官の蔵田直躬さん(91歳)は第五福竜丸以外にも被ばくした漁船員はいたと感じていました。しかし、検査は途中で打ち切られたと言います。
当時の極秘文書からアメリカが水爆実験で被害を受けた日本に対し、ある秘密工作を行っていたことが明らかになりました。当時のアイゼンハワー大統領は、その秘密工作を行うため直属の組織OCBを設けていました。OCB(工作調整委員会)は他国の世論を動かす心理作戦を担っていました。
当時、最も神経を尖らせていたのがソ連がアジアで推し進める共産化の動きです。水爆実験の年、ベトナムではホーチミン率いる共産党が勢力を急激に拡大。日本では第五福竜丸事件をきっかけに激しい反米・反核のデモが繰り返されOCBは警戒感を強めていました。
事態を打開するためOCBが推し進めたのは「原子力の平和利用」です。OCBは原子力は兵器だけでなく夢のエネルギーにも使えるとアピールすることで水爆実験への批判をかわそうとしたのです。
水爆実験の翌年、OCBが提案した原子力平和利用博覧会を日本は受け入れました。被爆地・広島を含む全国11箇所の会場に述べ300万人がおしよせました。
水爆実験の2年後、OCBがアイゼンハワー大統領に提出した報告書には「一連の原子力のPR工作によって日本人の反核感情はほとんど取り除かれた」と記されています。こうして、多くの漁船員の被ばくは顧みられなくなったのです。
「NHKスペシャル」
水爆実験60年目の真実
~ヒロシマが迫る埋もれた被ばく~
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