今から約1万6000年前、日本列島に暮らし始めた私たちの先祖がいました。縄文人です。縄文人はどこからやってきたのか、私たちとどんな関係があるのか、これまで謎の多かった縄文人の姿が明らかになりつつあります。
その謎を解き明かす鍵となったのが核DNA。ほとんど残っていないと考えられていた縄文人の遺伝情報が、発掘された骨から解読されているのです。
そこから見えてきたのは、縄文人が持つ意外なルーツ。他のアジア人と比べると遺伝的に大きく異なると言うのです。
縄文人の核DNAを解析せよ!
2014年、縄文人の核DNAの解析に初めて成功した研究チームのリーダーが、国立遺伝学研究所の斎藤成也さんです。これまで古代人のミトコンドリアDNAの分析などから日本人のルーツに迫ってきました。
生命の設計図DNAは、あらゆる細胞の核の中に存在しています。DNAは生きている人であれば、唾液などから大量に採取することができます。しかし、古代人の場合は骨に残されたDNAを使うしかありません。ところが、その多くは分解が進みほとんど残っていないため、分析できる可能性は極めて低いと考えられていました。
そこで斎藤さんは、縄文人の核DNAを解析するため、ある作戦をたてました。全国各地にある縄文遺跡の中で、DNAが分解されずに残っている可能性の高い寒冷の地域に狙いを定めたのです。こうして選ばれたのが福島県三貫地貝塚です。
1950年代に発掘された三貫地貝塚は、今から約3000年前の縄文遺跡です。人骨の出土数は国内最大規模。これまでに100体以上が発掘されてきました。
研究チームの一人である諏訪元さんは人骨の管理をしてきました。諏訪さんはどうすれば核DNAを採取できるか斎藤さんと話し合いを重ねてきました。
狙いは外気に触れることなく守られた歯の内部。そこでツヤがあり保存状態の良い奥歯にしぼりました。こうして最終的に成人の男女2人の歯からDNAを取り出すことになりました。
しかし、その後の作業も困難の連続でした。作業にあたったのは国立科学博物館の神澤秀明さんです。歯の内側を削り取り、その粉からDNAの抽出を試みました。調べてみると、本来数百万から数千万つながっている塩基が100以下までバラバラになっていました。
さらに、抽出したDNAの97%までがバクテリアなど別の生き物のものでした。それでも残り3%のDNAから縄文人の配列を読み解いたのです。
驚きの縄文人のルーツとは!?
20万年前、アフリカで誕生し世界中に移動していった人類。この中にアジアに向かった集団がいました。その後、この集団は東南アジア人の祖先となる集団と、東アジア人の祖先になる集団に分かれたと考えられています。
渡来系弥生人は、東アジアの祖先集団から分かれ日本列島にやってきました。しかし、縄文人がどのようにやってきたのかは謎が残っていました。これまで骨の形態からは東南アジア人に近いとされてきましたが、別の解析からはさらに北方の人々に近いという説も出ていました。どちらに起源があるか論争が続いていたのです。
斎藤さんは縄文人のDNAを分析。その結果、縄文人が枝分かれしたのは東南アジア人と東アジア人が分岐するより前。アジアの共通祖先から分岐していることが分かりました。縄文人は、より古い時代に日本にやってきて独自の道を歩んだ可能性があるのです。
お肌の悩みは縄文人から受け継がれていた!?
福島県三貫地貝塚の人骨から初めて解析された縄文人の核DNAの成功を受けて、次々と縄文人骨の解析が進められています。青森県の洞窟で発見された人骨からは、核DNAの8割もの配列が読み取られました。その結果、日本人のお肌の悩みと縄文人の体質に深い関係があることが分かったのです。
ポーラ化成工業の本川智紀さんは12年前、16番染色体のMC1Rという領域にあるシミになりやすさに関係する遺伝子を発見しました。シミになりやすいシミ型遺伝子か、通常型かはMC1Rの一か所の塩基配列の違いで変わります。日本人の多くはA、一方シミ型遺伝子を持つ人はここがGになっていたのです。
さらに、日本人のシミ型遺伝子を調べたところ本川さんは不思議なことに気づきました。シミ型遺伝子を持つ人が東北や北海道、九州に集中していたのです。これまでの研究で、北海道や沖縄の人は遺伝的に縄文人に近いのではないかと言われてきました。
シミと縄文人には関連があるのではないかと本川さんは縄文人の配列を調べました。すると、出てきたのはシミ型遺伝子を表すGの文字。配列が判明した5人の縄文人全員がシミ型遺伝子を持っていました。つまり、縄文人はシミになりやすい体質だったと考えられるのです。
「サイエンスZERO」
日本人のルーツ発見!~核DNA解析が明かす縄文人~
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