ビゼー「アルルの女」から「ファランドール」|ららら♪クラシック

フランスの作曲家ビゼーは、その名を世界に知らしめた「カルメン」などオペラや劇のための音楽を得意としました。ビゼーには生涯親交を深めた友がいました。彼なくしては「ファランドール」はこの世に存在しなかったのです。

 

劇付随音楽はドーデすか?

「ファランドール」は現在ではコンサートホールでごく普通に演奏される曲ですが、もともとは「アルルの女」という劇の中でお芝居と一緒に演奏される劇付随音楽として作られた曲でした。

 

劇付随音楽とは、テレビドラマや劇でお芝居を盛り上げるためにシーンに合わせて付けられる音楽のこと。戯曲「アルルの女」にはシーンごとに様々な音楽がつけられました。フランスの作曲家ビゼーは「アルルの女」のために27曲もの劇付随音楽を書きあげたのです。

 

戯曲「アルルの女」はフランスのプロバンス地方を舞台にした物語です。祭りで賑わうアルルの闘技場で農家の息子フレデリは美しい女に目を奪われました。彼は一目見ただけのその女のことが忘れられず、ついに彼女と結婚しようとまで思いつめました。しかし、女が別の男と駆け落ちすることを聞いたフレデリは傷心のあまり窓から身を投げ自らの命を絶ってしまいました。このクライマックスのシーンで流れるのが「ファランドール」の有名なメロディーです。

 

この物語を書いたのは、フランスの文豪アルフォンス・ドーデです。当時33歳のビゼーは、劇場支配人からドーデの戯曲「アルルの女」の劇付随音楽を書くように依頼されました。早速ドーデの書いた本に目を通したビゼーは、ドラマチックに描かれた物語の世界に大きな感銘を受けました。作品から多くのインスピレーションを受けたビゼーは、短期間のうちに次々と音楽を作り上げていきました。

 

ビゼーは物語の舞台であるプロバンス地方を過去に訪れたことがあり、その経験も生かして地域色豊かな音楽に仕上げました。劇付随音楽 第23曲「合唱」はプロバンス民謡「三人の王の行列」がもとになっています。また第21曲目「ファランドール」もプロバンス民謡「馬のダンス」がもとになっています。「ファランドール」とはプロバンス地方で踊られる民俗舞踊のことです。

 

「アルルの女」の初演は芳しくありませんでしたが、ビゼーの作った劇付随音楽は極めて高い評価を得、作曲家として大きくその名をはせることになりました。

 

受け継いだ音楽のバトン

エルネスト・ギローは1837年に生まれました。パリ音楽院で学び、ビゼーより2年遅れてローマ賞を受賞しました。後に教師として多くの作曲家を育てフランス音楽の発展に貢献した人物です。

 

ローマ賞受賞後、ギローは留学先のローマに渡りますが、彼を暖かく歓迎したのが一足先に留学したビゼーでした。ビゼーはギローのことをとても気に入り、2人は1ヶ月もの間イタリア国内を旅しました。ビゼーはギローと過ごした旅の思い出を母に手紙で伝えています。

モーツァルトを2人で一日中歌っていました。チャーミングな旅の友を持てて僕は幸せです。

2人の関係は親友としてその後もずっと続きました。

 

ビゼーは30代の頃から持病の扁桃炎が悪化。耳を痛め音も聞き取りにくく作曲もはかどらない日々が続きました。そんなつらい時にいつもビゼーのそばにいてくれたのがギローでした。時にギローはビゼーにピアノを弾いて聴かせ彼を勇気付けました。そんなギローの優しさにビゼーはいつも癒されました。

 

しかし、そんな友との時間も長くは続きませんでした。ビゼーは心臓発作を起こし36歳という若さで帰らぬ人となったのです。

 

親友の突然の死に悲しみに暮れたギローは、ビゼーが書いた「アルルの女」の劇付随音楽の中からいくつかの曲を抜き出し管弦楽用の組曲を作り始めました。それは生前ビゼーが残した組曲とは全く異なる第2の組曲でした。

 

生涯親交を深めたビゼーとギロー。2人の才能が結びつき生み出した「アルルの女」は後世も生き続ける作品となったのです。

 

「ららら♪クラシック」
友に受け継がれたメロディー
~ビゼーの「アルルの女」から「ファランドール」~

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