シューベルトの「冬の旅」|ららら♪クラシック

歌曲集「冬の旅」は、シューベルトが31歳で亡くなる前の年に作曲されました。絶望を抱えた旅人が、たった一人で冬の荒野をさまよう様子を描いています。暗く、寂しい曲です。そこにはシューベルトを絶望に陥れたある出来事が影響していました。

 

フランツ・ペーター・シューベルト

 

歌曲王と呼ばれたシューベルトは「魔王」「ます」「野ばら」など600曲以上の歌曲を残しました。歌曲集「冬の旅」の詩を書いたのはドイツの詩人ミュラー。24曲からできています。

 

深くて美しい絶望の歌

第1曲「おやすみ」は失恋した主人公が絶望して旅に出るところから始まります。若者は恋人に直接別れも告げず旅立とうとします。「おやすみ」とだけ門に記して旅立ったのです。

 

「冬の旅」の中で最も有名なのが第5曲の「ぼだい樹」です。冒頭では旅人が恋人との思い出を懐かしむ気持ちが歌われます。日本には明治時代に短く編曲された形で紹介され、愛唱歌として学校などで広く歌われてきました。この後もシューベルトは自らの作曲技法を駆使して若者の絶望の旅を描いていきます。

 

そして最後の曲「辻音楽師」へとたどり着きます。歌詞に登場する「ライアー回し」とは放浪を続ける貧しい年老いた音楽師のことです。そして最後に旅人は心の中で老人に「ぼくの歌にあわせてよ」と呼びかけるのです。旅路の果てにわずかながらも老人との心の交流をえがきました。

 

絶望から生まれた傑作

20代半ば以降シューベルトは、梅毒に悩まされていました。いつかかったかは諸説ありますが、1824年の手紙に「症状が重くなってきてもはや回復の望みがない絶望した」と書き綴っています。この悲惨な心境が「冬の旅」を作曲させる元になったのかもしれません。

 

やがてシューベルトはヴィルヘルム・ミュラーの「冬の旅」に出会いました。失恋の末に冬の荒野をさすらう若者の心情をうたったミュラーの詩は、シューベルトの心をとらえました。精力的に作曲に取り組み、亡くなる前の年の1827年に歌曲集「冬の旅」を書きあげました。

 

そして、すぐ仲間に声をかけ自ら歌って聴かせました。しかし、それを聴いた友人たちはあまりの暗さに驚いてしまいました。友人の一人が「ぼだい樹」はいいと思うよというのが精一杯でした。それでもシューベルトは「いつかこの曲の良さが君たちにもわかってもらえるはずだ」と答えたと言います。

 

シューベルトは死の直前まで「冬の旅」の楽譜に手を入れていました。

 

「ららら♪クラシック」
深くて美しい絶望の歌
~シューベルトの「冬の旅」~

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