シューベルトの「魔王」|ららら♪クラシック

ある調査によると「音楽の授業で習った中で最も印象深かった曲は?」という質問でシューベルトの「魔王」が圧倒的に1位だったと言います。

 

フランツ・ペーター・シューベルト

「魔王」人気の秘密とは

シューベルトの「魔王」というのは昭和37年から(教科書に)使われているんですね。半世紀以上に渡って必ず載っているんですね。詩の内容を非常に劇的にシューベルトが作曲していて、詩と音楽の関係を学ぶのにはとても良いということでずっと載り続けているということなんですね。

(玉川大学 野本由紀夫教授)

 

「魔王」はシューベルトが敬愛するドイツの文豪ゲーテの詩に曲をつけた歌曲です。まずは語りから始まります。

 

(語り)
夜遅く 風をついて馬をとばすのは誰か?
それは子どもを連れた父親

 

しっかりと子どもを抱きかかえる父。しかし、子供には魔王の声が聞こえてきます。

 

(魔王)
かわいい坊や一緒においで!
とっても楽しい遊びをしよう

 

魔王がいると必死に訴える子供ですが、父には理解できません。

 

(子ども)
お父さん お父さん 聞こえないの?
魔王が僕にささやくのが

(父)
落ち着きなさい坊や
風に木の葉が音を立てているのさ

 

恐怖の叫びは伝わらないまま、子供は父の腕の中で息絶えてしまいます。

 

秘密❶登場人物の描き分け

父親のパートは長調ですが、子供のパートは短調です。父と子が気持ちを共有していないことが表されています。そして魔王パートは長調です。お父さんはなだめようとしながら実は魔王寄りになっているのです。

 

秘密❷高まる恐怖感

度々登場する「お父さんお父さん」の叫びはどんどん高音になっていきます。

 

思春期 父との葛藤

シューベルトの父フランツ・テオドール・シューベルトは小さな学校を営んでいました。教師らしく真面目で厳しい性格。子供にも教師になって後を継いで欲しいと考えていました。

 

シューベルトは父の意向に従ってエリート校に入学。しかし、あまり勉強に身が入りませんでした。代わりに熱中したのは音楽。特に気に入ったドイツ語の詩にメロディーをつけることに夢中になりました。

 

その様子を知り、父は激怒。学業を疎かにするシューベルトを叱りつけ作曲を禁止。約束を破ったら家には入れないとまで言い放ちました。楽しいはずのクリスマスにまで「成績が悪い」「音楽なんてやめてしまえ」と叱りつけたと言われています。

 

クリスマスの翌日、シューベルトはこっそり曲を作りました。父親を殺した男を描いた詩に曲をつけた「父殺し」です。

 

息子の手にかかって父が死んだ
狼でも虎でもない
生き物の王たる人間だけが
父殺しなどしでかすのだ

「父殺し」より

 

父が求めるものと自分の生き方との間に極めて根本的な亀裂を感じていたと。より切実に「自分が父を殺したらどうなるだろう」という立場で書いた曲という風に言うことができると思います。

(国立音楽大学講師 堀朋平さん)

 

17歳になったシューベルトは父の思惑通り、半ば強制的に父の学校で働かされました。教師の仕事に追われ、作曲はますますやりにくくなりました。校長を務める父が息子の仕事ぶりに常に目を光らせていたからです。

 

それでも、メロディーは次々とあふれ出しました。授業中にも黒板を使って作曲するほどでした。教師の仕事に身が入らない息子を父は厳しく叱りました。思うように作曲できずストレスはたまる一方でした。

 

「魔王」が生まれたのはそんな18歳の秋。シューベルトは溜まりに溜まった父への鬱憤を作曲にぶつけました。子供の訴えを理解してくれない父。「魔王」はシューベルト自身の父との関係を反映した曲でした。

 

 

芸術家として生きたい自分を子供の立場に託して、一方で理路整然とした世界を投げかけてくる父親世代を父というキャラクターにして、これに対する批判であるとか必死の訴えをしているという風な見方もできると思います。

(国立音楽大学講師 堀朋平さん)

 

「魔王」を作曲することで初めて父への不満を思いっきり表現することができたシューベルト。「魔王」を作った半年後、父の元を去る決意をかためました。作曲家になるという夢を本格的に追い求めることにしたのです。

 

友人たちの支え

父との軋轢に悩むシューベルトを影で支えた人物がいました。学校の先輩で9歳年上のヨーゼフ・フォン・シュパウンです。

 

シューベルトが作曲を始めて間もない頃からその才能にいち早く気づいたシュパウン。父に五線紙すら買ってもらえないシューベルトを見て、身銭を切って大量の五線紙を買い与えました。

 

そんな中、シューベルトが執念で書き上げた「魔王」シュパウンはこの曲を世に出そうとある方法を思いつきました。「魔王」をはじめとするゲーテの詩に曲をつけた歌曲集を出版する計画です。

 

シュパウンは面識のないゲーテに手紙を書き協力をあおぐことにしました。しかし、シューベルトの「魔王」は斬新すぎたことが仇となりました。当時の歌曲にはありえないほどドラマチックな音楽。ゲーテはそれを気に入らなかったのです。

 

ゲーテが気に入っていたのはヨハン・フリードリヒ・ライヒャルトが曲をつけた「魔王」でした。言葉をじっくりと聞かせることに重きをおいたゲーテ。「シューベルトの凝った音楽は詩を邪魔する」と楽譜は送り返され、ゲーテからは推薦状一つ貰えませんでした。

 

それでもシュパウンは諦めませんでした。貴族や音楽関係者を集めた演奏会を何度も開き、シューベルトの魅力を広めたのです。

 

完成から6年、「魔王」はついに出版され、それがきっかけとなりシューベルトは作曲家として大きな一歩を踏み出しました。

 

父の元を去った後は友人の家を転々としながら作曲を続けたシューベルト。今日、彼の名曲を数多く聴くことが出来るのはシュパウンをはじめとする多くの友人たちのおかげなのです。

 

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シューベルトの「魔王」
~思春期 父との葛藤~

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